第15話 「影」、村で働く(中編)

「こいつを働かせてやってくれ」

セイジア・タリウスに「影」を連れてこられたジンバ村の人々は皆一様に困惑した。閉鎖的な集落に暮らす住民にとって、本名も定かでない黒ずくめの顔色の悪い不気味な「よそもの」を受け入れるなど到底認められないはずだったが、

「この通りだ」

いつも村のために尽くしてくれている女騎士に頼まれては断りようがなかった。そんなわけで仕方なく働かせてみることにしたのだが、

「そういうことなら、あれをやってもらおうか」

まず手始めに、ドブさらいをしてもらうことに決まっていた。みんなのやりたがらないきつい仕事を頼まれた、というより押し付けられた「影」は、

「暗黒街で恐れられたこのおれにそのような下らないことをさせるのか」

と怒りにわなわなと震えたのだが、しかしながら、ここで逃げれば悲願であるセイとの再戦の機会は永遠に失われてしまうので我慢するしかなく、炎天下に晒されながら悪臭の中で働かざるを得なかった。ボウフラが浮かぶ汚水に膝まで浸かりながら、辺境の地で惨めな有様に成り果てているおのれを愚かしく思い、

「そもそも、あの女と戦うことにそこまでこだわらなくてもいいんじゃないか?」

とも思っていた。確かにその通りだった。女騎士のことを諦めれば、愚かな村人たちの言いなりになって働く必要などないのだ。都に戻るなりそれ以外の大きな街に出るなりすれば、彼の天職である暗殺や破壊の依頼もきっとあるはずだ。どうして自分で自分を追い詰める必要があるのか、と「影」の黒い心が村から逃げ去る一歩手前まで来ていたまさにそのとき、濁った臭い水の表面に反射した太陽の光が闇の住人の視界に飛び込んできた。しばし立ち尽くしたのちに、

「それができれば苦労はしない」

自らの迷いを笑い飛ばすと、「影」は止まっていた手を再び動かし出した。セイジア・タリウスを諦めるなど、言語道断だ。彼の人生における最大最強の敵からおめおめと尻尾を巻いて退散するなど、絶対に認められないことだった。そうするくらいなら、この場で直ちに自決した方がずっとマシだ。男の戦士としての誇りが女騎士への復讐を断念するのを決して許しはしなかった。そして、

「おれはプロフェッショナルなんだ」

一度頼まれた仕事を途中で投げ出すのも絶対に嫌だった。依頼人のためにやっているのではなく、あくまでも自分自身のためだ。与えられた任務を完了させることで、おれは今まで生きて来られたのだ。それすらできなくなってしまえば、この世に生きている価値のない最低のクズになってしまうではないか。だから、男は意に染まない無理矢理押し付けられた仕事であっても、懸命にやり抜くことに決め、実際にやりきった。

「よく頑張ったな」

夕方、長時間の労働を終えて全身汚泥まみれになった「影」にセイが近づいてきた。

「ご褒美だ」

そう言って、パンの入ったバスケットとワインを一瓶手渡すと、金髪の騎士はそれ以上男をねぎらうこともせずに立ち去っていく。

(こんなもののために)

けっ、と「影」は労働の対価のしょぼさに嘲笑を漏らすが、しかしそれでも成果は成果であり、腹が減っていた。道端に座り込んで、がつがつ、とパンを貪り、ぐびぐび、と瓶に口を付け酒を咽喉に流し込む。

(やってやろうじゃないか)

食事を終えた裏社会の住人は沈みかけた陽を睨みつけ、心を決めていた。どんなにつまらない仕事だろうと、やりとげてみせようではないか。悪辣非道な女騎士は誇り高い刺客を貶めようとしているのだろうが、そうはいかない。あらゆる困難を乗り越え、逆境を耐え抜き、再び戦いの舞台に上がってみせる。「影」の心に久しく失われていた黒く熱く燃える闘志が甦りつつあった。

「意外とちゃんとやってくれてますね」

村長のハニガンの反応でわかるように、しばらく経つと「影」を見る村人たちの目は変わってきた。どんなにきつい仕事でも文句を言わずにやり抜く姿が人々の好感を得たのだ。一方、「影」本人はといえば、

(おれも落ちたものだ)

すっかり変わり果てた我が身を嘆いていた。まず何よりも外見が変わっていた。今までの彼は全身を黒一色で統一させていたのだが、今では頭に白い布切れを巻いて、さらにエプロンまでつけていた。仕事がやりやすいからこのスタイルに変えたのだが、所帯じみてしまったのは否めず、

「よく似合ってるじゃないか。殺し屋なんかやめてそのまま家政夫になるといい」

セイににやにや笑われても反論できなかった。しかし、それ以上に変わったのは男の内面だったかもしれない。かつては人を寄せ付けない殺気を身にまとっていたのが今では、

「『影』さん、納屋の片づけをしてもらえないかね?」

「『影』の旦那、隣村までひとっ走り届け物をしてくれないか?」

村人に気安く頼みごとをされるようになっていた。

「ああ、まかせておけ」

男の返事はいつもぶっきらぼうだったが、仕事はきっちりやってくれるので、

「外見は薄気味悪いが性格は悪くない」

と村人からの評価も上々(?)だった。

「せっかくなので使ってください」

野宿をし続ける「影」を見かねて、お人よしの村長は教会で寝泊まりするように勧めてきた。辺鄙な村には神父もやってこないので、長らく無人のままになっていた。罪人が神の家に居座る皮肉な成り行きに男は苦笑せざるを得ない。

「いつまでこんな村にいなければならないのか」

途方に暮れながらも「影」は蝋燭を消す。聖域の清冽な空気に決して慣れることはないだろうが、暗闇に包まれると心が安らぐのを感じた。

「セイジア・タリウス。貴様にはおれを辱めた報いを必ず受けてもらう」

金髪の女騎士への消えることのない怨念を燃え上がらせたまま「影」は目を閉じる。この村で働くようになってから、今までになく深く長い眠りにつくようになったのに、彼はまだ気づいていなかった。

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