第12話 会議の行方(その6)
「あれを持ってきてくれないか?」
アルが壁際に控えていた小者に呼びかけると、「かしこまりました」と頭を下げた男が部屋の外へと早足で出て行く。「あれ」とは? と茶色い髪の少年以外の出席者が戸惑っていると、先程飛び出していった小者が戻ってきた。その手にはきれいに巻かれた大きな紙が握られていて、
「こちらに貼ってもよろしゅうございますか?」
「ああ、頼む」
アルが頷くと、男は手際よく紙を広げて壁にぺたりと貼り付けた。
「おお、これは」
国王が声を出したのは、その紙に書かれていたのがアステラ王国の地図だったからだ。
「こうして見た方がみなさんにわかりやすいかと思いまして」
騎士団副長が説明すると、
「その色分けはどういうことかね?」
と訊ねたのは財務大臣だ。その地図は三色にきれいに塗られているのに誰もが気付いていた。ただ、いかなる理由で色分けされているかまではわからなかったのだが。
「この色は騒動の発生件数を表したものです。多発している順に赤、黄、青と色を分けています」
「確かにデータと一致してますな」
アルの返答を聞きながら市警長官が頷く。だが、他の出席者たちの表情は会議が始まってから最も険しいものになっていた。
(これは猶予ならない状況だ)
壁に貼られた王国の地図がほぼ半分近く赤に染まっていたからだ。こうしてわかりやすく視覚化されてみると、事態の深刻さが一段と感じられてしまう。
「一刻も早く動かねばならんな」
深く溜息をついた王に、
「まさしく陛下の仰る通りかと思われますが、わたしが注目していただきたい点は他にございます」
少年は言葉を返す。
「他、とはどういうことか、フィッツシモンズよ?」
「はい。この地図の色が塗られていない箇所をごらんになっていただきたいのです」
そう言われて見てみると、地図には空白になっている部分が確かに存在した。王国の中央よりもやや北、つまり王都チキの周辺がぽっかりと空いている。そしてもうひとつ、隣国モクジュと国境を接する東方に縦に細長いスペースが出来ていた。
「え? どうしてこんな?」
司法大臣の疑問は皆の疑問でもあった。王のお膝元である都は警備体制が固いうえに経済状況も比較的良好なので、騒動が起こっていないのは理解できる。しかし、辺境の地が無事なのはいかなる理由なのか。見当がつかずに政治家と官僚たちが困惑していると、がははははは! とシーザー・レオンハルトが突然大笑いしたではないか。
「なるほどな。セイのやつがちゃんと仕事をしていたわけか」
にやり、と笑う「アステラの若獅子」に、
「その通りです。レオンハルトさん」
「王国の鳳雛」が微笑み返す。
「待て、待て。余にもわかるように説明せよ」
国王が不満を漏らすと、
「これは失礼いたしました」
アルは主君の方へ向き直って優雅に一礼する。そして、
「わたしのかつての上官であるセイジア・タリウスは、現在都を離れて東の国境地帯に居るのですが」
「うむ。どうもそのような話だと余も存じてはおる」
アルのつぶやきに国王スコットは答える。といっても、「デイリーアステラ」に掲載された「セイジア・タリウス王都を去る!」という大々的な記事(執筆したのは少女記者ユリ・エドガーである)を読んだだけで、詳しい事情まで知っているわけではない。
「余に挨拶もせずに出て行くとは、実にけしからん娘だ」
と、朝刊を読んでから一日中機嫌の悪いままで過ごしたのを思い起こしていると、
「彼女はタリウス伯爵家の領地である村の管理をするために辺境まで行ったのですが、今では近隣の住民の相談にも乗って、トラブルの解決に自ら乗り出していると聞きます」
「ははは。いかにもあの者らしいな」
若い王は顔をほころばせる。人望のある女騎士を村人が慕い、困ったことを見過ごせない彼女が金のポニーテールをなびかせて田舎を駆けまわっているのが目に見えるかのようだ、と考えていた彼の表情が突然固まったかと思うと、
「そういうことか」
と何かを得心した晴れやかな顔へと変わる。重臣たちも「おお」と嘆声を上げているのを見ると、彼らも何が地図に空白をもたらしたかに気付いたのだろう。
「あの者が、タリウスがやってくれたのか?」
「まさしくその通りかと。わたしの聞いた話では、強制労働に従事されていた者を解放したり、税額を引き下げるよう掛け合ったりするなどして、領主と住民との摩擦を未然に防ぐ働きもしていたようです」
と、アルは王に答える。とはいえ、彼が少し前にジンバ村に行った折りに、セイが村娘モニカの身代わりにレセップス侯爵の館に潜入してモニカの姉アンナたちを救い出した話を聞かされた際には、「無茶をするにも程がある」と呆れてしまったのだが。
「うむ。セイジア・タリウス。まことに頼りになる娘よ」
国王スコットはかつての家来への信頼を今一度篤いものとし、そして、前途に光を見出した気分にもなっていた。セイを他の地方へと派遣して、住民たちと交渉に当たらせれば、騒動を無事に終わらせることができるのではないか。血塗られたかのように赤く染まった地図を平和の白に塗り替えることもできるのではないか。最強の女騎士が混迷した状況における最高の一手になり得る、という認識が広まりつつある会議の場の空気が明るく暖かなものに変わろうとしている中で、ただひとり、宰相ジムニー・ファンタンゴだけが、穏やかならざる思いを抱えていた。
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