第6話 静かな生活(後編)
話が妙な方向に転がり出したのはそれからである。ガダマーがエリに怒られてからしばらく経ったある日のこと、夕方になって避難民の暮らす集落に帰ろうとしていたエリを村の鍛冶職人が呼び止めると、
「これを持って行けよ」
古い鍋を数個手渡した。穴が開いて使い物にならなくなったのを、
「あら、ありがと。料理がしやすくなって助かるわ」
異国から来た若い女性ににっこり微笑まれたガダマーは、ぷい、と顔を背けるとさっさと仕事場に戻ってしまった。この光景を見て、ジンバ村の人々は大きな衝撃を受けた。
(あのガダマーがタダで物をあげるなんて)
サービス精神などかけらもないケチな男が何の下心もなく人のために尽くすなど、空が落ちてくるよりも有り得ないことだ、と仰天してしまってから、「いや、そうではない」と思い直す。下心があったからこそ、ガダマーは行動したのだ。つまり、エリの歓心を買いたいがために、鍋をあげたというわけだ。女性へのプレゼントとしては不器用にも程があるやり方だったが、かくして、むさくるしい中年男の恋心は村中の人間が知るところとなった。
「怒られた女の人を好きになる、というのがぼくにはよくわかりませんが」
ハニガンが噴き出しそうになるのをこらえながらつぶやくと、
「あいつは寂しかったのかもしれん」
クロウは笑いに同調することなく真面目な顔で答えたので、若者は意外に感じる。
「そうなのかもな。ガダマーのおふくろさんは、あいつがまだ子供の頃に死んじまったから、十分に甘えることもできなかったのだろう」
ラバンが頷き、
「そういや、親父からは厳しくしごかれて、いつも殴られていたっけ。職人としては一人前になれたかもしれないが、そりゃ性格は捻じ曲がるわな」
ベイルが溜息をつく。
(そういうことだったのか)
村の鼻つまみ者が抱えていた事情に初めて気づいたハニガンは俯いてしまう。村長として十分に配慮できなかったことを反省していると、
「だから、ガダマーがエリちゃんを好きになる、というのはわからん話でもないのよ。怒る、というのはある意味親身になってくれている、ということだからな」
元木こりのラバンが木のコップに入った酒を飲むと、
「もともとあいつはあの子に気があったんじゃないか? だから、しつこく悪口を言ってたわけで」
配達人を引退して久しいベイルが推測する。子供じゃないんだから、と一同で呆れた後で、
「しかし、本当に驚いたのはその後のことよ」
今でも現役の農夫として働くクロウ老人が集会場の天井を見上げる。
「ええ、そうですね」
ハニガンも同意する。クロウから話を聞かされたときには、自分もビックリしたものだ、と思い出していた。
その日、クロウはアルマの家を訪れていた。幼馴染の彼女とはもう50年以上の付き合いになる。
「おまえさんもすっかり元気になったようだな」
クロウが丸いテーブルの向こうに座ったアルマに話しかけると、
「あんたにも心配をかけちゃったようだけど、エリちゃんのおかげですっかり若返った気分よ」
壁に背中をもたれさせたエリに老婆がにっこり笑い、「いえ、そんな」と海老茶色の頭巾をかぶった「よそもの」の女子は慎ましく微笑み返した。
「謙遜せんでもいい。村中みんな、あんたに感謝してるんだ」
白い髭を延ばした老人が力強く言い切ると、
「その『みんな』にガッちゃんも入ってるの?」
アルマがからかうようにささやいてきた。婆さんになってもいたずら好きだった娘の頃と中身は変わっていないのかもしれない、とクロウは感じながらも、
「入ってるに決まってる。説教されたのがだいぶ効いたのだろう。あのへそ曲がりが最近ではすっかりおとなしくなった」
「まあ、それはいいことをしたわね、エリちゃん」
2人の老人が揃って笑い声を上げたので、「その話はもういいですから」とエリは顔を赤らめる。一時の感情で公衆の面前で激昂したのを今では恥ずかしく思っていたのだ。
「でね、わたし、考えたんだけど」
アルマがエリを見つめて、
「エリちゃん、あなた、ガッちゃんのお嫁さんになる気はない?」
思いがけない発言に、エリがきょとんとするのを見て、
「ははははは。そりゃ名案だな、アルマ。言われてみれば、ガダマーの寝小便垂れもいい歳だ。そろそろ身を固めないといかん」
「でしょう? ガッちゃんは気難しいから、エリちゃんみたいなしっかり者ならちょうどいいと思ったのよ」
笑い合った爺さんと婆さんの視線が向けられたのを感じた小柄な女性は、ふう、と溜息をついてから、
「向こうから、どうしても、と言って来たなら考えないでもありませんが」
とつぶやいて、もう一度息をついた。予想外の反応にクロウとアルマは唖然として口を大きく開けてしまう。即座に断られるとばかり思い込んでいたのに、彼女は満更でもないといった表情をしているではないか。
「ちょっと、エリちゃん、それ、まさか本気で言ってるの?」
「相手はあのガダマーだぞ? よく考え直した方がいい」
そっちから勧めてきたんじゃない、とエリはむっとしたが、
「わたしもそろそろ結婚を考えたい年齢なので、いい話があれば乗ろうと思っていたんです」
と言ってから、
「ガダマーのことは、別に嫌いではありません。まあ、第一印象が最悪だったから、それ以上悪くなりようがない、ということもあるかもしれませんが」
ふうむ、とクロウ老人は腕を組んだ。目の前の女子が冗談を口走っているわけではない、とようやく気付いていた。
「あんたから見て、あいつに何か取り柄はあるのかね?」
年長者からの問いかけにエリはかすかに笑って、
「ありますよ。仕事がちゃんとできるじゃないですか」
確かにその通りだ、とクロウもアルマも頷く。性格に難があっても、ガダマーの職人としての腕前は折り紙付きと言っても良かった。
「わたしが人を見るときに一番大事にしているのは、仕事のやりかたなんです。仕事をするときにその人らしさが一番出るような気がするんです。見た目や言葉は偽れても、仕事は嘘をつけない、そう思うんです」
少し黙った後で、
「ガダマーがくれた鍋を見たときに、あの人のことがわかった気がしたんです。すごく丁寧に壊れた場所を直していて、使う人のこともちゃんと考えてくれている、って。だから、それが本当のガダマーだと思ったから、わたしはもう悪くは思えないんです」
実感のこもった口ぶりに、老爺と老婆は心を打たれていた。そして互いに目配せをして、二人の男女の縁を取り持ってやろう、と心に決めていた。
クロウから話を聞いた村人たちもガダマーの恋を後押しすることにしたのだが、
「あの馬鹿。余計な意地を張りやがって」
ラバンがぼやいたように、
「あんたらには関係ねえ」
と髭だらけのむさくるしい鍛冶屋は、自分からエリにアタックしようとはしなかった。
「こんなチャンス、一生に一度しかない、ってあの野郎はわかってるのかね? あいつみたいな意地悪を好きになってくれる娘さんがこの世の何処にいるっていうんだ」
ベイルも不平を言い立てるが、
「まあ、あいつが自分から動かない以上、わしらでどうにかするしかあるまい。さっさと外堀を埋めることにしよう」
クロウがつぶやくと、他の2人も同意する。
「そういうわけだ、村長。できることなら、アンナとマキシム、それにガダマーとエリの結婚式を合同で挙げたらどうか、と思っておるのだが」
「ああ、それはいい考えですね、クロウさん」
人のいい青年は心からの笑顔を浮かべた。この小さな村に一度に二組の夫婦が誕生するなど、この上なく喜ばしいことではないか。上に立つ者として役割を果たさなければならない、と意気込むハニガンだったが、
「どうかしましたか?」
クロウが自分をまじまじと見つめているのに気づいて戸惑った。
「いや、なんでもない」
白髪白髭の老人は首を横に振って視線を若い村長から外したので、ハニガンの疑問はそれきりになった。
(本当なら、あんたのこともどうにかしてやりたいのだがな)
クロウはハニガン青年の恋心にも気が付いていた。モクジュの少女騎士ナーガ・リュウケイビッチに彼が想いを寄せているのも、村の大きな関心事となっていたのだ。
(だが、こればかりはどうにもならん)
他の2人と違ってナーガは貴族であり若者とは身分がかけ離れていた。それに加えて、
「いずれはモクジュに戻って再起しようと思っている」
いつか老人が彼女に今後について訊ねたところ、そのように力強く答えられたのだ。祖父の汚名を晴らすことを悲願とする娘に、ずっと村に留まってほしい、と頼むのも無理な話なのだろう。ハニガンの恋の行方は暗い、と言わざるを得なかった。
「村のために、これからも頑張っていきましょう!」
張り切る村長に3人の老人は苦笑いを浮かべ、それからは真面目な話を一切することなく、冗談と猥談を語っているうちにいつの間にか時は過ぎ去っていた。
このように、ジンバ村では平穏な日々が続いていた。だが、そんな静かな生活が終わることは、このとき既に決まっていた。遠く離れた都で開かれた会議によって小さな村の運命が変わってしまったのを、村人たちが知ることとなるまでに、それほど時間は残されていなかった。
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