第5話 静かな生活(中編)
ジンバ村の集会場に何人かの村人たちが集まっていた。村長のハニガンを除いてはあとはみんな年寄りばかりだ。といっても、真面目な話し合いをしているわけではなく、茶や酒を飲みながら他愛のない世間話をしているだけである。しかしながら、そういった会話の中から村が抱えている問題が見えてくることもあるので、案外馬鹿にできたものではない、と若い村長は考えていた。
「アンナはいい旦那を見つけられたようで何よりだ」
クロウが白い顎髭を撫でながらつぶやく。おしゃまな少女クロエの祖父である。
「ああ、まったくだ。『よそもの』だが、あの若僧はいい根性をしている」
ラバンが頷いた。長く木こりをしていただけあって、老いても頑強な身体をしている。
「『よそもの』だって悪いやつばかりじゃない、ってのはおれやセイジア様が証明済みだからな」
短躯のベイルがにやりと笑う。元々は郵便配達人をしていたのだが、この村を担当しているうちに居着くようになって、かれこれ20年以上が経過していた。よく言うよ、とみんなして笑った後で、
「まあ、アンナのことは何も心配してはおらんかったのだがな。あの子は心の清らかな娘だ。きっと幸せになれると思っておった」
「別嬪さんだしな」
「いい身体をしているしな」
老人たちがにやにや笑い出したのを見て、
「村中で祝ってやりましょう。盛大な結婚式を、ぱーっ、と挙げて」
ハニガンが大声を上げる。どうも話が下品な方向に流れそうになったので、早いうちに路線変更を図ったのだ。すると、
「おう、わしが今日話したかったのはまさにそのことなのだよ、村長」
我が意を得たり、とばかりにクロウが膝を叩いたので、「はい?」と実直な青年は首を傾げた。
「アンナを祝ってやるのは当然の義務だとして、もう一人助けてやりたいやつがおるのだ」
一体誰の事だろう、とハニガンが頭の中で霧が立ち込めるような頼りない気持ちになっていると、
「ああ、あいつか」
ラバンが納得した顔になり、
「確かに助けてやった方がいいかもしれん」
ベイルを頷いた。この老人たちは年をとっても頭の働きは確かで、ボケる様子は一向に見えない。自分だけ話を理解できずに慌てる若者を見かねたのか、
「ガダマーのことだ。あの馬鹿たれをわしらで何とかしてやらないとならん、という話だ」
ラバンに教えられて、「ああ、あのことか」とハニガンもようやく事情を理解する。鍛冶屋のガダマーの変化はこの狭い村でもひそかな話題になっていたのだ。
ガダマーという男は、小太りの丸い顔に髭をもじゃもじゃと生やしたむさくるしい外見もさることながら、度を越した、と言ってもいいほどの偏屈者で、何かとこだわりが強く、村の中でもしばしば揉め事を起こしていた。モクジュから逃げてきた避難民に対しても「すぐにでも追い出せ」と主張する強硬な反対派で、村にやってきたセイジア・タリウスにもいまだにきつく当たっていた。仕事の腕は優れていて、決して悪人ではないのだが、困った人間であるのは確かで、村人たちも扱いかねている、というのがこれまでの状況だった。
それが変わったのは、つい先日のことだ。セイの粘り強い説得とナーガ・リュウケイビッチの熱心な仕事ぶりのおかげで、「よそもの」への忌避感がようやく緩み出したジンバ村には、最近になって他の避難民も出入りするようになった。アンナと交際しているマキシム青年以外にも、北の土地で取れた果実や野草を届けに来たり、力仕事を手伝ったり、老人や子供の世話をする者が何人か村まで通い出していた。
そんな中に、一人の女性がいた。まだ若く、いかにもおとなしそうで小柄な彼女は、
「面倒を見てやってくれ」
とナーガに頼まれて、ひとり暮らしの老婆の介護をするために毎日村まで降りてくることになったという。病気がちで足腰に不安を抱えるアルマ婆さんには身寄りがなく、誰かがついていた方がいい、というのは周囲もわかっていたのだが、貧しい村にはそこまでの余裕がなかったのだ。エリ、という名の女性の仕事ぶりが確かなものであるのは、村人たちにもすぐにわかった。一種のトレーニングのなのか、老婆と彼女は村の通りを毎日散歩していたのだが、アルマに付き添うエリの顔は常に真剣そのもので、主人であるナーガから頼まれたから、というだけではない、仕事にかける熱心さとおばあさんへの思いやりが間違いなくうかがえて、たとえ「よそもの」だろうと犯すべからざる真摯な姿勢に、誰もが頭が下がる思いを感じざるを得なかった。ただ一人を除いては。
「いい気になってんじゃねえぞ」
ガダマーは彼女たちを見かけるたびに罵声を飛ばしていた。運の悪いことに、2人の散歩のルートに、男の仕事場の近くも含まれていたのだ。だから、逃げることも隠れることもできずに、いつも悪口を言われながらも、エリとおばあさんは何も言い返すことなく黙って通り過ぎていくことしかできないようだった。さすがにあれは気の毒だ、と根は純朴な村の住民は同情したが、ガダマーに忠告したところで聞く耳を持たないのは火を見るよりも明らかで、「ああいうのはよくないですよ」と見かねたハニガンが注意したところ、
「『よそもの』がおれらの村を堂々と歩きまわっている方がよっぽどよくねえだろ。村長ならしっかり取り締まってくれよ」
とせせら笑われる始末だったという。性格の悪さだけはどんな医者も治しようがない、と誰もが匙を投げていたそんなある日のこと。前日まで雨が降って道路がぬかるんでいたせいなのか、その日はエリが一人だけで歩いていた。買い物でもするのか、右手に籠をぶら下げて、すたすたと歩く小柄な女性に、
「さっさと国に帰りやがれ」
例によってガダマーが大声で怒鳴った。また始まった、とその場に居合わせた人たちは顔をしかめたが、その日はいつもと違っていた。
「あん?」
根性の悪い鍛冶職人も異常に気付く。いつもなら、黙って通り過ぎていくはずの女性が、ぴたり、と足を止めてこちらを見ている。感情も何も感じられない目つきだったのがかえって気味悪く思えて、
「何か言いたいことでもあるのか、このブサイク」
続けて声を張り上げた。すると、エリは、すたすた、と男の方へと歩み寄ってきて、すぐ目の前で立ち止まった。相変わらずの無表情のまま、肥満気味の職人の顔を見上げてから、ぼそぼそと何事かをつぶやいた。
「は? そんな小さな声じゃ聞こえねえぞ」
冷笑するガダマーに、
「じゃあ、大きな声で言ってやるよ」
やや甲高い声が今度ははっきりと聞こえた。そして、
「いい気になってんじゃねえぞ、このボケ!」
村全体がどよめくほどの、国境にそびえる山にこだまするほどの大声がエリの小さな身体から発せられる。
「ナーガ様に『我慢するように』と言われてたし、アルマさんにも悪いから無視してやってたらいい気になりやがって。ぶち殺してやろうか、このヒゲダルマ。だいたい、てめえなんか人の顔のことをとやかく言えるようなツラじゃねえだろうが。3日前の食べ残しのスープで顔を洗って出直してきやがれ、っていうんだ。国に帰れ、だって? 上等だよ。なんだったら、力づくで出て行かせてみろ、っていうんだよ。てめえみたいな豚野郎にわたしをどうにかできるもんならやってみろ、っつーんだよ。わかったか、このゴミ人間!」
煉獄の業火をも上回るほどの怒りが小動物を思わせる外見の女子から噴き出ている異様さに、村人たちは唖然とし、「あわわ」とガダマーは情けなく腰を抜かしていた。
「エリ、その辺にしておけ。ナーガにも言われてるだろ?」
「セイジア様、止めないでください。このクズの息の根を止めてやらないと気が済みません」
たまたま通りかかったセイジア・タリウスが羽交い絞めにして連れて行かなければ、エリは本当にガダマーを殺してしまっていたかもしれなかった。
「エリを怒らせるとは、とんでもない馬鹿者だな」
後で話を聞いたナーガはにやにや笑った。エリはリュウケイビッチ家に仕えるメイドだが、筋金入りの根性の持ち主で、騎士を志したとしても間違いなく一流になるだろう、と見込んでいた。
ともあれ、その日からガダマーはエリとアルマ婆さんを罵倒することはなくなった。その代わりに、
「こんにちは、ガダマー」
老婆とともに散歩するエリの方から男に挨拶するようになっていた。
「こ、こ、こんにちは」
いかつい髭を生やした職人がもじもじしながら返事をすると、
「なあに? はっきり聞こえないんだけど」
小柄な女性に意味ありげに微笑まれて、
「こんにちは!」
ひっくりかえった声で叫ぶ。
「うむ。元気でよろしい」
エリは満足げに頷き、
「ガッちゃん、仕事頑張ってね」
男を赤ん坊のころから知っているアルマが手を振って、2人は去っていき、残されたガダマーは脂汗をだらだら垂れ流す。そんな光景がジンバ村の新しい日常となっていた。
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