第132話 突然の再訪者(後編)

「きみに相談したいことなど別にない」

いきなりのリブの申し出に、セドリックは口ごもったが、今の彼には悩み事がないわけではなかった。

「気になる異性がいて、どうにかして付き合いたいのですが、彼女はとても頭がよくてまるで歯が立ちません。どうしたらいいのでしょうか?」

などと打ち明けるには伯爵にはプライドがありすぎた。そうでなくても、思いを寄せている当の本人に訊けるはずもない。困り顔をする高貴な青年を、「ふーん」と楽しげに見やった女占い師は、

「それじゃあ、わたしの相談に乗ってくださらないかしら、伯爵様?」

いきなり話の流れが変わって、

「きみがわたしに相談する、だと?」

セドリックは驚き、

「ええ。とても気になることがあって、夜も眠れずに昼寝ばかりしてしまうの」

いかにもふざけ半分といった感じでリブは微笑んでから、

「どうして、あなたがセイのことを嫌っているのか、それを教えてほしいんだけど」

いきなり口調を鋭くして真剣なまなざしでセドリックを見つめた。妖艶な美女からまぎれのない迫力が伝わってきて、濃紺のスーツを着こなした青年は思わず身体をこわばらせるが、

「家庭の事情を外部の人間に話すつもりはない」

とすぐに言い返そうとして、それは通用しないことに気付く。彼が妹を辺境の地に追いやったことで、目の前の女性には多大な影響が出ていて、「家庭の事情」で押し切れるものではなくなっている。だから、

「別に嫌っているわけではない。あいつが貴族の生まれであるにもかかわらず、それにふさわしくない振舞いをしているのを、タリウス家の当主として認めていないだけだ」

と述べることにした。だが、

「その『ふさわしくない振舞い』というのは具体的にはどういうこと?」

リブを納得させられはしなかった。

「まあ、確かに食堂で働いたり、舞台で踊ったりするのは、貴族らしくはないでしょうね。でも、あなたがセイを嫌っているのは、それよりもっと前からでしょ?」

つまり、と紫の瞳を輝かせてから、

「女の子なのに騎士になったのが気に入らない、ってことなのかしら?」

「わたしが気に入るか気に入らないかは問題じゃないが、確かにそれも『ふさわしくない振舞い』ではある」

占い師の鋭い舌鋒に伯爵は早くも後退を余儀なくされるが、

「でも、それって妙な話だと思うのよね」

リブの攻めが緩むことはない。

「だって、タリウス家のご先祖様って騎士なんでしょ? 戦いで武勲を得てその見返りとして貴族に取り立てられたわけだから、セイが騎士になったのは伝統にのっとっている、と言えるんじゃないかしら。それとも」

ぎろり、とセドリックを睨んで、

「女の子は騎士になどならずに家の中で大人しくしていろ、とでも言いたいのかしら? どんなろくでなしだろうと文句を言わず嫁いでおけ、ってあなたは思っているの?」

それって単なる女性差別なんじゃない? という燃えるような怒りを感じて伯爵は返す言葉を見失ってしまう。セイに婚約を強いたのを彼女に責められたことも思い出して、身動きが取れなくなる青年に、「あのねえ」とリブは溜息をついて、

「さっき、あなたが言ったことは建前でしかないのよ。建前で本音を覆い隠すのはやめにした方がいいわ。そういうのは卑怯者のやることよ」

そして、もういちど溜息をつき、

「誤解しないでほしいんだけど、あなたがセイを嫌っているのを責めるつもりはないの。人が人を嫌いになるのはある意味自然なことで、それ自体は悪いわけではないのよ。ただ、あなたがどうして妹を嫌っているのか、わたしはそれを知りたいだけ」

温かみのある言葉がセドリックの頑なで冷え切った心を溶かそうとしていた。沈黙が長くなり、間がもたなくなったリブがワインを一口飲もうとすると、

「わたしがこの世で一番愛しているのは母上だ」

だしぬけにそう言った青年を、

「いきなり『わたしはマザコンです』って告白されても困るんだけど」

呆れたように見る女占い師を、「はっ!」とセドリックは笑い飛ばし、

「きみはもうちょっと賢いと思っていたのだがな、リブ・テンヴィー。わたしが母上を称えると、女性たちは決まって潮が引くように逃げ去ってしまうのだが、どうしてそうなるのかさっぱりわからん。母を嫌うより愛する方が正しいに決まっているではないか」

自信満々に言い切る若き貴族に、

「いや、そういうことじゃなくって」

リブはますます呆れて、

「お母さんを好きなのはもちろんいいことよ。ただ、あんまり堂々と言われると、『この人大丈夫なのかしら?』って普通の女の人が思うのは当たり前じゃない」

どうにか教え諭そうとするが、

「何が駄目なのかさっぱりわからん」

伯爵の心を変えるには至らなかった。

(見た目は結構いいのに、この人が今でも独身なのはそういうことなのか)

と納得してしまってから、

「せっかくだから、あなたのマザコン、わたしが治してあげてもいいけど」

「どうしてそういう話になる? わたしの母上への愛は決して変わることはない。美しく賢く優しいあの人こそわたしの永遠の理想なのだ」

高らかに謳いあげる青年に「だめだこりゃ」とリブは呆れてしまうが、

「それで、あなたのマザコンとセイがどういう関係があるの?」

と訊ねると、セドリックの表情が一変して厳しいものとなった。

「母上はわたしとセイジアをとても大事に育ててくれた。そして、愛してくれた。だから、わたしも母上を愛した。あいつも、妹もそれは同じだと思っていた」

なのに、と言った伯爵の声が震え出す。

「忘れもしない、決して忘れられるはずもない、8年前のことだ。母上が亡くなられたとき、あいつは傍にいなかった。母上は病でもう長くはないとわかっていたのに、騎士になるなどという自分のわがままのために、何も言わずに無断で家を飛び出していったのだ」

ぎりり、と歯を食いしばる音が向かい合って座る女占い師の耳にも届く。

「そんな自分勝手な人間をどうして許せる! 嫌いになって、憎んで当然だろう! いくら戦場で勇敢に戦い国を守ったところで、親を見捨てた事実は変わらん。わたしはあいつを絶対に許すつもりはない!」

灯りがともっても薄暗い室内に、はあはあ、と荒い息遣いだけが聞こえた。しばらく時間が過ぎてから、

「すまない。見苦しいところを見せてしまった」

取り乱してしまった自分につい笑ってしまったセドリックに、リブは首を横に振って

「そんなことないわ。つらい思い出を話してくれてありがとう」

哀しげに微笑んだ。彼女の優しさに初めて触れた気がして伯爵の動揺は鎮まっていく。

「母上がもうこの世にはいない、と思うと今でも胸が張り裂けそうになってしまう。いい加減に立ち直らなければいけない、と思ってはいるのだが」

「立ち直れなくて当たり前よ」

思いがけない事を言われて、「え?」とリブの顔を見るセドリック。

「大事な人にいなくなられた心の痛みは一生消えることはないわ。無理に立ち直ろうとしたり忘れようとすれば、かえってつらい思いをしたり、人として曲がった生き方をするようになってしまう」

今のあなたのようにね、と彼女は言わなかったが、彼はそう言われた気がして俯いてしまう。

「でも、もしかしたらそうなんじゃないか、って思っていたけど、やっぱりそうだったのね」

言っている意味が分からずに伯爵が頭を上げて女占い師の白い顔を見ると、

「セドリック、あなた、誤解してる」

とリブはつぶやいた。

「誤解とはどういうことだ?」

「わたしから話していいのか少し迷ったけど、今のあなたを見ていられない気もするしね」

だから、言うことにする。リブ・テンヴィーの表情には決意が宿っていた。

「セイがお母様をほったらかしにして飛び出した、というのは間違いよ」

「なに?」

思わず椅子から腰を浮かせたセドリックをしっかりと見つめたまま、リブは真実を告げる。

「セイに騎士になるように、家を出て行くように言ったのは、あなたのお母様なのよ」

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