第130話 突然の再訪者(前編)
扉を挟んで、男と女が見つめ合っていた。互いに驚きに目を見張っている。
(やはり、なんと素敵な人なのだろう)
男―セドリック・タリウス伯爵は改めて驚愕していた。彼女の美しさは一度会ってよく知っていたはずで、昼夜を問わずその美貌を思い出すたびに溜息を止めることができなかったのだが、今こうして会ってみると実際の彼女は記憶に残っているよりもずっと美しく、感動するあまり動くことも喋ることもかなわなくなってしまっていた。巷間ささやかれるところの「美人は三日で慣れる」などというのは真っ赤な嘘だ、と彼は確信する。これから何度会ったとしても、どれだけ長く共に時間を過ごしたとしても、自分は決して彼女に慣れることはなく、胸の高鳴りを止められはしないだろう、と思い、そしてそうなることを望んでいた。
そんな風に顔面を紅潮させて自分を凝視している男を、女―リブ・テンヴィーは冷たく見つめ返して、ふん、とかぐわしいに違いない息を漏らすと、物も言わずに扉を閉めて家の中に戻ろうとしたので、「わーっ!?」と叫びながら、セドリックは慌てて引き留めようとする。
「待ってくれ。さんざん待たされた挙句に、何も話を聞かずに帰ってしまうなんてあんまりじゃないか」
反論というより懇願に近い口調で言われて、さすがに気がとがめたのか、
「セイのことなら心配ないわ」
青年の顔を見ずにリブはつぶやいた。
「セイジアがどうしたというのだ?」
勘の鈍い男に呆れたかのように、
「あなたの言いつけ通りにセイはジンバ村でしっかりやってるわ。この前、手紙を送ってくれたのよ。だから、あなたの嫌いな妹さんのことは何も心配要らないわ、タリウス伯爵」
あからさまな皮肉だったが、セドリックはあまりショックを受けた様子もなく、
「そのことはわたしも知っている。あいつはわたしの方にもこまめに便りを寄越しているのでね。一応は真面目に村のために尽くしているようなので、今のところは取り立てて文句はない」
兄の言葉には妹を思う気持ちがそれなりに感じられたので、リブは室内に戻るのをやめて、振り返るとセドリックの顔をもう一度見た。
「セイについての話じゃないなら、どうしてここに来たの?」
今度は彼の方が彼女の物分かりの悪さに呆れたかのように、
「あなたに話があるからに決まっている」
そう言われた女占い師は目を大きく見開き、
「あなたがわたしに何の話があるというの?」
「それをちゃんと説明したいから、家の中に入れてほしいのだが」
わずかな言葉のやりとりだけで疲労を覚えたのか、秀でた額に汗をにじませたセドリックが、
「この前はすまなかった」
と頭を下げてきたので、リブは心底驚いてしまう。高い身分の貴族が占い師のような賤業と見られがちな仕事に従事する人間に謝罪することなどこの国では滅多にないことで、しかも人一倍誇り高いであろう伯爵がそんな行為に及んだのだから驚かない方がおかしかった。だが、
「あなたに謝られる覚えなんてないんだけど」
あえて平静を装いながら答えると、
「わたしにはある。わたしのせいで、あなたを怒らせ悲しませてしまった。望んでやったことではないが、男として貴族としてあるまじき行為だった。どうか許してほしい」
うわべだけではない心情のこもった言葉だというのは、数え切れないほどの悩める人たちの相談に乗ってきた占い師には当然わかったが、
「あなた、謝る相手を間違えてる」
鋭く短く言い切る。
「なに?」
「あなたが謝るべきなのは妹さんよ。セイを悪く思ってひどいことをしているのを心から反省すべきね」
リブにぴしゃりと言われたセドリックだったが、今ひとつ納得できない表情で俯きかけてから、何かに気づいたように、
「お詫びと言っては何だが」
と言いながら、左手に持っていた花束を前に立つ美女に手渡した。真紅の薔薇だ。花びらはひとつひとつ大きく分厚く、その美しさを誇るかのように、馥郁たる香りを辺りに撒き散らしている。
「あなたによく似ている、と思ったのだ」
知り合いの貴族の屋敷に招かれた際に、温室で育てられているこの花を見かけて、
(あの人だ)
といっぺんに心を奪われて、譲ってくれるように頼んだ、といういきさつがあったので、別にお世辞でそのように言っているわけではなかった。花を贈られたリブは、
「確かにそうかもしれないわね」
とうっとりと眼鏡の奥の目を細めながらつぶやく。プレゼントが効果を発揮してセドリックは喜びかけたが、
「刺されると、とても痛くて血が出るところも、よく似ているかも」
と言いながら、茎から生えた大きな棘を見て微笑んだので、
(上手く切り返された)
と少なからず失望する。やはり贈り物で心が得られるほど簡単な相手ではなかった。しかし、その一方で、彼女の豊かな知性が垣間見えたことに満足もしていた。美しさと賢さを兼ね備えた女性こそが、彼の理想なのだ。
「それから、これもあなたに持ってきた」
そう言いながら、今度は右手に持っていたガラスの瓶をリブに手渡す。中には透明な液体が満ちているが、
「これは?」
さすがの女占い師も正体がつかめなかったらしく、質問してきた。
「東方でよく飲まれている清酒というものらしい。あなたはお酒に目がない、と聞いたから探しておいたのだ」
へえ、これがね、と清酒の存在だけは一応知っていたリブは頷いて見せる。そして、
(だいぶ頑張ったみたいね)
とセドリックの苦労を思いやる。生真面目な性格の青年はおそらく酒もさほどたしなまないだろう、と慧眼を持つ彼女は見抜いていた。珍しい酒を探し回るのにあちこちを走り回る羽目になったはずだが、男性が自分のためにひいひい言っていたのを無視できるほど、リブ・テンヴィーの血は冷たくはなかった。
「一応合格、ということにしておこうかしら」
女占い師の反応を固唾を飲んで待ち受けていた伯爵に向かって、溜息混じりでそう言うと、花束と瓶を抱えて家の中へと引き返す。そして、
「どうしたの? お入りになったら?」
と直立不動で固まっている青年に笑いかけた。
「え? え? いいのか?」
たちまち挙動不審になるセドリック・タリウスに、
「お帰りになるなら止めないけど」
そう言いながらドアを閉めようとしたので、「わーっ!?」と伯爵は叫びながら室内に飛び込み、
「だから、そういう意地悪はやめてくれ。わたしを弄ぶのがそんなに楽しいのか?」
はあはあ、と息を弾ませて女占い師を非難したが、
「ええ。楽しいわ。とっても」
リブ・テンヴィーに堂々と言われてしまっては返す言葉がなく、朗らかに笑う彼女を見て胸の鼓動は高鳴っていく一方だった。
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