第114話 伯爵、因縁をつけられる(その8)
いきなり私的な事柄について訊かれてセドリック・タリウスは戸惑ったが、
「わたしはまだ独り身ですが」
と貴婦人に答える。
「婚約者とかはいらっしゃるの?」
「そういう人は特にいません」
すると、アレクサンドラ・フィッツシモンズは、
「じゃあ、ちょうどよかった」
満足した様子になる。何がちょうどいいのか、とますます戸惑う伯爵に、
「そういうことなら、あなたにうちの孫娘を紹介したいのだけれど、どうかしら?」
「はい?」
淑女の言葉に高貴な青年は目を剥いて驚いてしまう。
「さっき言ったアリエルには姉と妹がいるのよ。20歳のアリアドネと16歳のアリシア。親の欲目、というか祖母の欲目になってしまうけれど、二人ともとてもいい子で、わたくしとしては大いにおすすめしたいところよ」
あらあらまあまあ、とアレックスの友人たちは色めき立ち、
「それはいい考えだわ。アリーは結婚にはまだ早いかもしれないけど、賢くていいお嫁さんになるはずよ」
「アディはぼんやりしてるけど、ボインちゃんでタリウスさんもきっと好きだと思うわ」
会ったばかりの人の好みを決めつけないでほしい、とセドリックは思ったものの、レディたちは大盛り上がりで話を聞いてくれそうにはない。女性は年齢に関係なく「こいばな」で盛り上がれるものらしい、と教訓を一つ学んだ気になっていると、
「どうかしら? 一人選んだら、今ならもれなくもう一人お付けしてもよくってよ」
「いやいやそんな。叩き売りじゃないんですから」
困り果てるセドリックに、ふふふ、とアレックスは笑ってみせる。この白髪の女性にかかると、冗談が本当の話に聞こえてしまい、50歳近く年齢の離れた若者は翻弄されるばかりだったが、
「ありがたいお話だと思いますが、お断りさせていただきます」
どうにか頭を下げる。
「あら? うちの子に何か気に入らないところがあった?」
「いえ、あなたのお孫さんならきっと素敵なお嬢さんなのだと思います。問題があるのは、わたしの方です」
少し黙ってから、
「心に決めた人がいるのです」
と呟く。青年の整った容貌に隠しきれない懊悩が浮かんでいるのを見たご婦人方は「まあ!」と嬌声をあげる。彼が複雑で困難な事情に直面しているのを感じ取ったのだ。道ならぬ恋でもしているのだろうか。大いに興味をそそられて矢継ぎ早にセドリックに質問を浴びせかけたのだが、
「およしなさい。若い人を困らせるものではないわ」
アレクサンドラが、ぴしゃり、と言ってのける。そして、憂い顔の伯爵の方を振り向いて、
「あなたの気も知らないで余計なことを言ってしまったわね。許してちょうだい」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません」
と2人が謝り合っていると、そこへ、
「タリウスくん、大丈夫かい?」
広間に駆け込んできたのは、セドリックをこの茶会に連れてきた知人だった。その横には、
「どうやらとんだ騒ぎになっていたようで」
肥満体を揺らしてきたのはパーティーのホストである豪商だった。
「ええ、その通りよ。とんだ騒ぎだったわ」
今更やってきても遅い、という思いをありありと出しながらアレックスが答える。その騒ぎを煽り立てたのは他ならぬ彼女だったが、悪びれた様子をまるで出さないのは「王国の鳳雛」と呼ばれる少年騎士の祖母にふさわしい貫禄、と評するべきだろうか。
「お詫びをさせてもらいたいのですが、いかがでしょう?」
「いや、わたしの方にも落ち度はあったわけなので」
富豪の申し出に遠慮深いセドリックは腰が引けてしまうが、
「そういうのはありがたく受け取っておくものよ、ボクちゃん」
先代フィッツシモンズ侯爵夫人にたしなめられて、受け入れることにする。
「では、こちらへどうぞ。別室に用意をしてありますので」
豪商に差し招かれた青年は椅子から立ち上がる。
「いろいろとありがとうございました」
礼儀正しく頭を下げる伯爵に淑女は、
「困ったことがあったら何でも言ってきなさい。わたくしはあなたの味方よ」
と微笑み、彼女の友人たちも一緒になって頷いた。
「きみもなかなか隅に置けないね」
おばあちゃんたちにモテモテじゃないか、と知人にからかわれて、「いや、そういうわけでは」とセドリックは眉をひそめたが、広間を出ようと足を踏み出したところで、
「ねえ、セドリック」
アレクサンドラに声をかけられた。何事か、と振り向くと、
「あなたの想いがかなうのを祈ってるわ」
ぽつり、と漏れた言葉だったが、それだけに胸に沁みるものがあって、青年は無言で頭を下げ、そして今度こそ明るく広い部屋から出て行く。
(それは無理な話なのですよ、アレックス)
口に出さなかった答えを胸の内にこぼした。自分の恋がかなうことはない、というのを伯爵自身が一番よく知っていた。諦めに諦めを幾重にも重ね、そうやって一生生きていくつもりだった。季節がめぐり春が訪れても、自分には新しい恋はやってこないのだ。たとえ、その機会があったとしても顔を背け、見て見ぬふりをしてやりすごしてしまうはずだった。
(あの人に会いに行こう)
決して成就しない恋愛に思いを馳せているうちにいつしかそう思っていた。何より会うのが怖くて、そして何より会いたかった人のもとへもう一度行こう、と心が決まっていた。その決意をもたらしたのが決闘で生じた勇気の余韻なのか、あるいは凛とした老婦人の励ましなのかはわからなかったが、ともあれセドリック・タリウスは後ろ向きに生きるのをやめて、ようやく本当の意味で人生にはじめの一歩を踏み出そうとしていた。
先代フィッツシモンズ侯爵夫人アレクサンドラの見立ては正しかったようで、セドリック・タリウス伯爵とレノックス・レセップス侯爵の決闘未遂はすぐに王都チキで話題を呼ぶこととなった。それは国王スコットの耳にも届き、
「貴族たる者がみだりに私闘に及ぶとは感心しない」
と不興を買ったと伝えられ、伯爵と侯爵はともに自ら謹慎して謝罪の意思を示した。主君が「喧嘩両成敗」の立場をとったために、臣下である貴族や平民もうわべでは「どっちもどっち」と言うしかなかったのだが、諍いの原因を作っておきながらすごすごと逃げ去ったレセップスが悪い、と考える人間が大半で、いつもは威張っているのにいざという時に役に立たない人や物事を意味する「レセプる」という単語はこの事件に由来していたりもする。
「馬鹿者が。こちらまでとばっちりを食らうのはごめんだ」
そして、侯爵の後ろ盾となっていた大物たちも、彼の不始末に呆れ果てて一方的に絶交を申し渡した。これによって、ジンバ村の権利をめぐる争いでレノックス・レセップスに勝ち目はなくなり、これもアレックスの見立て通りに事が進んだわけである。
「あの男には注意しておいたのだが、また何か企んでいたようだな」
ジンバ村で暮らすセイジア・タリウスが溜息をついたのは、事件から1か月後の午後、アンナとモニカの姉妹と一緒におやつを食べていた時のことだった。都から遠く離れた辺境の地には、ニュースが届くのもかなりの時間を要した。
「しかも、兄上に難癖をつけるとは実にけしからん。もう一度懲らしめておいた方がいいのかな?」
腕組みをした女騎士に本気度の高さを感じたアンナが、
「いえいえ、そこまですることはありません」
と慌てて止めた。レセップス侯爵に仕えていた身として、かつての主人を守ろうとする気持ちが働いたのかもしれない。
「それにしても、伯爵様ってすごいですね。わたしだったら決闘なんか怖くてとてもできないもの」
セイが焼いた甘いパンをぱくつきながらモニカが感心すると、
「あたりまえだろ」
ふふん、と自慢げに金髪の女子は笑う。
「わたしの兄上なんだ。わたしより強くて勇気があるに決まってるじゃないか」
セイの笑顔は兄を慕う気持ちに溢れ、強く輝いていた。
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