第115話 少年騎士、村を訪れる(その1)

よく晴れ渡った空を見上げて、眩い日差しにモニカは思わず目を細めた。初夏を通り越していきなり真夏になったかと思われるほどの陽気で、長袖のワンピースを着た村の娘はすっかり汗をかいている。今日も朝から早起きして家の仕事をやり終えると、村のあちこちの家を訪れては細々とした家事の手伝いをして回っていた。人口が100人にも満たない小さな集落では、みんなで支え合って生活していくのが習わしのようになっていて、少女もまた誰かに助けられつつ誰かを助けて日々を過ごしていた。食事どころか休憩もとらずにずっと働いていたので、まだ10代の少女でもさすがに疲労を覚えたが、それでも彼女は一向にへこたれてはいなかった。

(全てが上手く行っている気がする)

モニカがそんな風に前向きになれているのは、何よりも姉のアンナが病気から回復しつつあるからだ。まだ全快したわけではなかったが、それでも1か月前までほぼ寝たきりだったことを考えれば、普通に歩けるようになっているだけでも格段の進歩だと妹は感じていた。それに加えて、すっかり村に馴染んだセイジア・タリウスがいつも何かと世話を焼いてくれるのも嬉しかったし、さらには、

「わたしたちが住んでいるのはもともとおまえたちの土地なんだ。遠慮せずに来るといい」

ナーガ・リュウケイビッチが暮らしている村の北側に行ってもいいか、と訊ねたところ、モクジュの少女騎士があっさり快諾してくれたので、早速行ってみたのだ。すると、東の山を越えてやってきた避難民たちは彼女が想像していたのとは違って、まるで普通の人たちのように見えた。

(わたしたちと何も変わらない)

学校に通うこともなく素朴な生き方を送ってきた少女だからこそ、かえって曇りのない目で事実をありのままに見られたのかもしれない。テントで寝起きする人々が不自由な暮らしを送っているのを見たモニカは「なんとかしてあげたい」と思い、それからというもの、彼らの手伝いに訪れるようになった。「そこまでしてもらわなくてもいい」とナーガは遠慮したのだが、

「ナーガさんにはお姉ちゃんを助けてもらったんだもの」

とにっこり笑われると、それ以上断るわけにもいかなかった。いつしか異国の人たちの中に平然と入り込むようになったモニカを見て、

「あの子はわたしやおまえよりもずっと強いぞ」

セイは笑い、ナーガもそれに同意するしかなかった。普通の女の子の中に「金色の戦乙女」にも「蛇姫バジリスク」にも負けない精神が秘められている、というのはこの世界に潜む驚異の一つなのかもしれなかった。モニカの行動を知った村の大人たちは危ぶみ心配したが、

「大丈夫。みんないい人たちよ。何も心配要らないから」

と罪のない笑顔で言われては返す言葉もなく、足繁く通う少女を見ているうちに、「モニカの言う通りなのだろう」と未知の集団への忌避感を徐々に和らげていった。ナーガが村の病人たちの診療に当たっていたことで、恐怖心がだいぶ薄れていたのも手伝って、異邦人が出現したからというもの、常に緊張感に包まれていたジンバ村もようやく落ち着きを取り戻しつつある、というのが現状だった。そして今、モニカは、遅い昼食かあるいは早めの夕食を摂るために、家へと戻ろうと村の小さな通りを歩いているところだった。

(ああ、これで素敵な人と出会えたりしたら言うことないのになあ)

恋を夢見る年頃の少女がぼんやり物思いに耽っていると、

「すみません。お聞きしたいことがあるのですが」

後ろからはきはきした声で訊ねられて、「はい?」と言いながら振り返ると、そこには見知らぬ人物が一人立っていた。

「ここはジンバ村でしょうか?」

さわやかに問いかけてきたのは、見た目もさわやかな男性だった。年の頃はモニカとそれほど違いはないように見えたから、「少年」と呼ぶべきなのだろう。

(素敵)

としかモニカは考えられなくなる。頭には天然パーマのなごりなのか、くりくりとカールした茶色い髪を戴き、目は大きく鼻筋はよく通っていて口許は引き締まっている。「わたしよりきれいかも」と少女が思わず嫉妬してしまいそうになるほどのルックスだった。それほどの美少年であるにもかかわらず、なよなよしたところはまるでなく、頼りがいのある雰囲気をしっかりと身にまとっていた。きっと身体も鍛えているのだろう。非の打ち所のない異性が突然目の前に現れて、小村に暮らす娘はうっとりとして口もきけなくなってしまったのだが、

「あの、すみません。大丈夫ですか?」

と初対面の少年に心配されて、

「はい! 別に何ともありません!」

とあたふたしながら答えた。それでも顔は真っ赤なままだ。

「もう一度お訊ねしますが、ここはジンバ村で間違いないでしょうか?」

「はい! 間違いありません! そして、わたしの名前はモニカで、14歳です!」

訊かれてもないことまで勝手に付け足してしまうが、スリーサイズを言わなかっただけモニカはまだ自重したと言えた。

「そうですか。モニカさん、それではもうひとつ訊きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「なんなりとお聞きください!」

一体何を訊かれるのだろう。結婚してほしい、と言われたらどうしよう。まだ会ったばかりで名前も知らないのにいきなりすぎるけど、でもこんなにかっこいい人となら、と少女は妄想を膨らむだけ膨らませていたのだが、

「この村にはセイジア・タリウスさんがお住まいのはずですが、今はどちらにいらっしゃるのでしょうか?」

そう訊かれた瞬間に、

(またあ?)

とモニカはがっかりして叫びそうになる。この前やってきたシーザー・レオンハルトという美形の青年もそうだったが、この美少年もあの女騎士目当てで村を訪れたのだ、と気が付いたのだ。

「どうかされましたか?」

失望をあらわにする少女を心配して、少年が訊ねたが、

「ああ、いえ、大丈夫です」

超スピードで失恋した心の痛手をあえて見て見ぬふりをしながらモニカは平静を装おうとする。

「えーとですね、セイジア様は今日は山を二つ越えた先にある隣村のさらに隣村までお出かけになっているので、今は留守にされてます」

そういうことですか、と旅人は頷いて、

「では、大変申し訳ないのですが、セイさんが戻ってくるまで、何処かで待たせていただけないでしょうか?」

「そういうことでしたら、わたしの家でお待ちください。たぶんもうそろそろ戻られると思いますので」

「よろしいのですか?」

もちろん、と答えたモニカの表情は明るさを取り戻していた。ロマンスに発展する可能性はないとしても、ひとつ屋根の下で美形と過ごす時間は何物にも代えがたい経験になるはずだった。

「お名前をお聞かせ願えますか?」

自宅へと案内しながら村の娘が訊ねると、

「申し遅れました。ぼくの名前はアリエル・フィッツシモンズといいます」

アリエルさんですね、とモニカは微笑む。たくさんごちそうしてあげるんだ、とやる気になった少女とともに歩きながら、

(いよいよだ)

アリエル・フィッツシモンズの眉間がごくわずかながら寄せられる。セイジア・タリウスとの久々の再会にあたって、心中期するものがある少年騎士の表情は戦場に赴くときとほぼ同じものになっていた。

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