第103話 その夜のふたり(後編)
「姐御か? あの人なら元気だぞ」
元気すぎるくらいだ、とひきつった笑いを浮かべるシーザーを、
「リブと何かあったのか?」
セイが訝しげに見つめると、
「なんもねえ! なんもねえ!」
青年騎士は汗だくになって否定する。「何かあった」と誰もが思うに違いない慌てようだった。
(あやしい)
奇天烈な振る舞いに苛立ちを覚えた金髪の美しい騎士は目の前の大柄な若者をぎろりと睨みつけるが、
「まあ、正直、リブのことはあまり心配していないんだけどさ。なんだかんだ言っても、しっかりしてるもんな」
この場では追及しないことにする。シーザーには昼間に八つ当たりしたばかりだ。また険悪な雰囲気にしたくはない。対する青年騎士といえば、
(あぶねえーっ!)
ひそかに胸を撫で下ろしていた。といっても、その心臓は重機の駆動音のごとき猛烈なボリュームのまま激しく動き続けていたのだが。彼がひた隠しにしようとしているのは、言うまでもなくリブ・テンヴィーに騎士団本部で迫られたことだ。肉感的な美女にしなだれかかられて、危うく誘惑に屈しそうになったのを、いまだに忘れられずにいたのだ。その後、夜中にひとり寝ている時に、身体の上に白い裸身が覆い被さってくる幻影を見て飛び起きたことは何度もあった。そのたびに、
(もしかして、おれはものすごいチャンスをふいにしちまったんじゃねえか?)
と頭を抱えた後で一瞬でも心が揺らいだことに罪悪感を抱くのが常だったが、もとより彼が想っているのはセイジア・タリウスただ一人で、彼女以外の女性には脇目も振らずに生きてきたのだ(シーザー本人は自覚していないが、彼は女性には相当もてるタイプである)。そんな一途な若者をも悩ませるほど女占い師の色香は強烈なもので、むしろよく辛抱した、と褒めるべきなのかもしれない。その一方で、彼にモーションをかけたリブの方にも、この一件に関して思うところがあるようなのだが、その話については後に譲ることにするので、読者の皆さんにはしばしお待ちいただきたい。
その後は和やかなムードで会話が弾んだ。話題には事欠かなかった。2人が知っていること、どちらか一人だけが知っていること、どんな話題でも楽しく話すことができた。長い間離れていたのが嘘のように、すっかり打ち解けて話せたのに、セイもシーザーも大いに満足していた。
「それでよ」
がはは、と大声で笑いながら、シーザーが顔を上げると、目の前からセイの姿が突然消えていた。最強の女騎士ならテレポーテーションも使いかねない、と思いながら、
首を伸ばして室内の様子をうかがうと、
「ぐう」
いつの間にかベッドに横たわって眠りこけているのではいか。さっきまで元気に話し込んでいたのに、あまりにも寝つきがよすぎて思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「ったく、しょうがねえな」
文句を言いながらも、その細い肢体に毛布と布団をかけてやる。
(相変わらず、なんでもかんでも、一人で抱え込みすぎなんだよ)
長年友達付き合いしているおかげで、シーザーはセイがかなり気を張って生きているのに気が付いていた。天真爛漫なように見えながらも、彼女は彼女なりに気を使っていて、それが精神的に大きな負担になっているのを知っていた。ジンバ村に来てからもそれは変わらないのだろう。見知らぬ土地にただ一人やってきて、村人との軋轢を乗り越えた後も、モクジュから来た避難民への対応などで気苦労が絶えなかったはずなのだ。それどころか、最近では近隣の村でも困りごとの相談に乗っているというから、お人よしにも程がある、としか言いようがなかった。そんな彼女を見かねて、
「もっとおまえの好きに生きていいんだぞ」
と前から忠告していたし、今夜もそう言ったのだが、
「十分好きに生きているさ」
と笑われるだけだった。人のために尽くすのが本能のようになっていて、騎士になるために生まれて来たかのようだ、と思ってしまう。そんな彼女が感情を暴発させたのも、悪友である自分の顔を見て、心の
(それだけおれに気を許してくれてるんだろう)
と悪くは思わなかった。どうせなら心の底まで見せてくれてもいいのに、と思ってから、セイの寝顔に見入ってしまっているのに気づく。目が固く閉じられているおかげで、睫毛が長いのがよくわかった。かすかに開いた桃色の唇からは、すー。すー、と寝息が漏れている。ごくり、とシーザーは思わず唾を飲み込んでから、自分の顔と彼女の顔が次第に近づいているのに気づく。そうするつもりはないのに、重力に引かれるかのように接近していく。その柔らかな頬に触れたかった。金色の髪を指に絡めたかった。そして、口づけをしたかった。それくらいなら許されるのではないか。セイは寝ていて気づきはしない。自分だけの秘めた思い出を持ってもいいのではないか。短い時間の中でそんな無数の言い訳が脳内で流星のように駆け巡る。
ごくり、ともう一度つばを飲み込んでから、もうあとほんのわずか、というところで、青年騎士は危うく踏みとどまった。
(そういうことはしない、って決めただろうが)
恋をしたあの夜から思いに変わりはなかった。恋する女子の心を堂々と勝ち取るのか、彼の変わらぬ願いなのだ。眠っていて、しかも怪我をして弱っている彼女に不意打ちのような真似をしたところで、何の意味もないどころか、自らの思いを汚すことになってしまう。だから、シーザー・レオンハルトは今夜は何もしないことに決めた。
(まあ、後で悔やむかもしれないけどよ。でも、それがおれなんだから、しょうがねえさ)
ぱちぱち、と暖炉で薪が爆ぜる音がよく聞こえた。ふっ、と笑みを浮かべてからセイの頭を軽く撫でる。きっといい夢をみている、という気がなんとなくしたし、そうあって欲しかった。
「さて、おれも寝るか」
と言いながら小屋を出て行こうとする。セイと同じ部屋で寝られるはずもなかったので、別の場所で休むことにしたのだ。といっても、他の家に泊まると村人の迷惑になりそうなので、
(しょうがねえ。馬公と一緒に寝るか)
セイが家と一緒に建てた馬小屋で眠ることにした。あの生意気な「ぶち」と添い寝する、と考えると癪に障るが、藁に包まれて寝るのは案外気持ちいい、というのをシーザーはよく知っていた。昔、騎士として駆け出しの頃は、遠征先でそうやってよく眠ったものだ、と懐かしさを感じながら、外へと出て行き、部屋には眠りについたセイが一人だけ残された、のだが。
ばちん!
といきなりその両目が開く。そして、
かーっ!
とその顔が見る見るうちに紅潮していく。
(え? え? なに? 一体どういうことだ?)
胸の高鳴りがちっとも収まらないまま、金髪の女騎士はどうにか考えをまとめようとする。
(もしかして、いや、もしかしなくても、シーザー、あいつ、今、わたしにキスしようとした?)
セイジア・タリウスはシーザー・レオンハルトが何をしようとしていたのか、しっかり気づいていたのだ。
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