第102話 その夜のふたり(前編)

村はずれの小屋で、セイとシーザーは夕食を楽しんでいた。

「うめえな、これ!」

大柄な青年が熱々のシチューに舌鼓を打つ。昼間に手に入れた野兎の肉と山菜がふんだんに入っていて、まさしく「山の味」がするように思えた。

「そうだろう、そうだろう」

テーブルの反対側に座ったセイが自慢げに頷く。「くまさん亭」で料理人として働いていた彼女が腕によりをかけて作ったのだ。美味しくないはずがなかった。

「おまえに作ってもらって正解だったわ」

山で負傷したセイを心配してシーザーが夕食を作るつもりだったが、「そこまでさせるのは悪い」と彼女が断ったのだ。もともと彼は客人なのに、山から家まで運んでもらって、迷惑をかけてしまっていた。

「手は無事だし、料理を作るのに何の支障もないからな」

そう言いながら、セイは負傷した右の足首を見下ろす。包帯がきつく巻かれていて完全に固定されている。シーザーがやってくれたのだが、「そこまでしなくても」と女騎士が言っても「こういうのはやりすぎるくらいがいいんだよ」と取り合ってくれなかった。ただ、その過剰ともいえる心配ぶりが今の彼女には妙に嬉しくもあった。

「にしてもよ」

シチューを頬張りながら、シーザーが室内を見渡す。

「おまえ、いい家に住んでるな」

慎ましい生活を好む金髪の女子らしく、最低限の家具しか置かれていなかったが、それでも立て付けはしっかりしていて、ちょっとやそっとの荒天ではびくともしないように見える。石造りの暖炉には、火が付けられていた。季節はもう春だが、田舎の夜はまだ肌寒い。

「そりゃそうさ。なにしろ、わたしが自分で建てたんだからな」

「そんなところだろうと思った」

セイが建築においてもかなりの腕前だというのは、シーザーだけでなくアステラの騎士ならば知らぬ者はいなかった。以前の戦争において、敵陣の背後に一夜のうちに砦を築き、夜が明けてそれに気づいた敵を大混乱に陥れた事件は語り草になっていた。後に高名な文学者が著した軍記によって、このエピソードは大陸全土で知られるようになり、突貫作業で見事な仕事を仕上げることを意味する「タリウスの砦」という慣用句まで出来ることになるのだが、今を生きる彼女にとってはさしあたって関係のないこぼれ話である。

「でも、みんなが元気そうで安心した」

女騎士が安堵の溜息を漏らす。食事をしながら彼女が去った後の都の様子を悪友から聞いていたところだった。

「『くまさん亭』は相変わらず繁盛しているようで何よりだ」

「ああ。おれもちょくちょく通っているが、いつも大満足だ」

でもよ、とシーザーはセイの顔をじろりと見て、

「あそこに行くたびにおかみさんに愚痴をこぼされるのは勘弁してほしいんだけどな。『あの子はわたしに何も言わずに行っちまって』って、そればかり言われる」

「それは悪かった」

セイは素直に申し訳なく思う。ノーザ・ベアラーに別れを告げずに出発してしまったのは今でも心残りになっていた。直接話すと別れが余計につらくなるので会いに行かなかったのだが、今にして思えばやはりちゃんと挨拶をすべきだったのだろう。

「わたしは元気でやっている、とおかみさんに言っておいてくれないか?」

「別に構わねえが、それより手紙でも書いてやれよ。その方がおかみさんも喜ぶ」

それはそうだ、と女騎士も思う。今夜のうちに文をしたためてシーザーに持って行ってもらうことにしよう、と思ってから、

「あ、手紙といえば」

振り返って手を伸ばすと、背後にあるベッドの枕元に置かれていた一枚の封筒を取り上げて、

「兄上からも手紙が届いていた。この村の現状を報告したところ、返事を送ってくれたのだ」

と言いながら、中から便箋を抜き出して、

「読んでみてくれ」

シーザーに手渡す。

「いいのかよ?」

「読まれて困ることは書かれてない」

セイは事も無げに言い切ったが、言われた若者の方はそういうわけにもいかなかった。彼女の兄、セドリック・タリウス伯爵とは面識はないが、兄妹の関係があまり良好ではないのは薄々察していた。騎士になるために実家を飛び出した妹をよく思えないのだろう、と考えながら便箋に目を落とす。

「セイジアへ

了解した。

引き続き村のために励むように。

兄より」

わずか4行しか書かれていなかった。確かにこれなら誰に読まれても困ることはないだろう。

「これだけか?」

「これだけだ」

あむ、とセイはスプーンを口に含む。

「兄上は昔からそういう人なんだ。まあ、何かしくじったら長々とお説教されるので、わたしとしてはかなり気をつけているつもりなのだが」

そう言いながらも、女騎士がそれを不満に思っていないようにシーザーには見えた。妹として兄を慕う気持ちは間違いなくあるのだろう。なるほどな、と呟きながら青年はセイに便箋を返す。

「おまえと兄貴、案外似ているような気がしてきた」

「そうか?」

事情をつかめないのが丸わかりな表情で女騎士は首を捻る。しかし、シンプルこの上ない家に暮らす妹と簡素極まりない手紙を寄越す兄、そんな2人には通じ合うものがあるはずだ、と若き騎士の野性的な勘には訴えかけるものがあった。

「でも、ここまで来るのは大変だっただろう?」

セイに訊かれて、

「まあな。急ぎで来ても3日かかった。この国は案外広いもんだ、と初めて分かった」

シーザーは感心半分呆れ半分といった心境でたくましい腕を組む。明日の朝にはまた旅立って3日かけて都まで戻らなければならない。何とも慌ただしいことだが、王立騎士団団長としての職務をおそろかにするわけにはいかなかった。

「そこまでして来てもらって、大した歓迎も出来なくてすまない」

「構わねえよ。おれはおまえの顔が見られればそれで十分だ」

口から出たのがあまりにも率直な言葉だったので、言ったシーザーは戸惑い、言われたセイもやはり戸惑い、食卓に気まずい沈黙が流れる。

(どうしてこうなるんだ?)

女騎士の顔が熱くなる。シーザーと2人きりで食事をするのは何度もあったことなのに、まるで初めての経験であるかのような違和感をおぼえていた。それだけでなく、居心地の悪さと同時に得体のしれない心地よさもあることが、セイの思考を乱していた。

「わたしも、おまえの顔を見られてうれしかった」

やっとのことでそれだけ言うと、「おう」とシーザーも怒ったような表情でつぶやいた。親しい関係のはずなのに、こんなに近くにいるのに、今の彼が考えているのか、彼女にはわからない。

「しかし、おまえでも苦労する道のりなら、リブに来てもらうわけには行かないな」

落ち着かない雰囲気を変えるべく、無理矢理別の話題を振ることにした。

「まあ、それはそうだ。女の人には勧められねえ」

と急な話題転換を気にする様子もなくシーザーは言ってから、「誰かさんを除いてな」とセイの顔を見ながらにやにや笑ったので、「うるさい」と女騎士は短く言い返す。数か月前にたったひとりで都からジンバ村までやってきた彼女は例外中の例外なのだ。

「ここに来る前に、『一緒に来ないか?』とリブを誘ったのだが、あっさり断られてしまったんだ」

「へえ。姐御はおまえと一緒なら何処へでもついていきそうだが」

「そうしたい気持ちはあるらしいのだが、ある重大な理由があってどうしても行けない、と言われては、わたしとしても無理強いできなくてな」

「なんだよ。その『重大な理由』ってのは?」

ただならぬものを感じたシーザーの声が低くなるが、セイは少し黙った後で、

「虫がダメだから田舎には行けない、とのことだ」

と静かに言った。案外しょうもない話だったので、

「なんだ、そんなことか」

とシーザーは呆れてしまったのだが、

「その『なんだ』のおかげでひどい目に遭ったんだ。わたしもリブの話を聞いて『なーんだ』って言ったら、若い女性にとって虫がいかに恐ろしいものであるかを小一時間とくと聞かされて、死にそうになったんだぞ」

恐ろしい思い出がフラッシュバックして苦しむセイを見ながら「ははは」とシーザーは気の抜けた笑いを漏らす。「金色の戦乙女」と「アステラの若獅子」、2人の勇者をもってしても妖艶な女占い師リブ・テンヴィーには苦労させられるようであった。

「そういえば」

セイはそう言いながら顔を上げて、

「おまえからまだリブの話を聞いてなかったが、ちゃんと元気でやっているのか?」

とシーザーに訊ねた。

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