第91話 ふたりの脱出行(その5)
小鳥のさえずりが聞こえてきて、はっ! とシーザーは顔を上げる。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
(もう朝か)
何事もなかったのに安堵しながらも、寝ずの番を務めあげられなかったことに落胆もしていたが、そこで背中からセイジア・タリウスの感触が消えているのに気づいた。振り返ると、
「起きたか」
少女騎士は先に目覚めていたらしく、狭い洞の内壁に背中を預けてしゃがみこんでいた。上着は着ていたが、ズボンはまだ履いておらず、白く長い2本の脚の根元にある下穿きを見つめてしまいそうになって、シーザーは慌てて目を逸らす。こいつ、なんでこんなにおれをドキドキさせるんだよ、と昨晩の天国でもあり地獄でもあったひとときを思い返しそうになる脳の自動再生機能をどうにか強制的に終了させると、
「大丈夫か?」
と訊ねる。金髪の娘は首を横に振って、
「まだ動けそうにない」
小さく呟いた。顔はさらに赤くなっているように見え、熱もまだ下がってはいないのだろう。ただし、それは予想していたことで、覚悟もしていたので、黒い短髪の少年に動揺はない。
「わかった。おれがなんとかする」
再び「置いていけ」と言われたら怒鳴ってやるつもりだったが、セイは特に抵抗することなく、
「さっさと服を着ろ」
と言って、静かに目を閉じた。そこで少年は自分が全裸のままだったのに気づいて、座ったまま秘所を両手で隠す。「おまえが脱がせたんだろうが」と小声で言い返したが、少女は、はあはあ、と息を荒くして何も答えない。かなり具合が悪いのかもしれない。もはや一刻の猶予も許されない、と感じたシーザーは出立の準備を始める。
昨日川に落ちてずぶ濡れになっていた服は生乾きではあったが、着れないことはなくなっていた。たとえどんな状態であっても着ないわけにはいかなかったのだが、これもひとつの吉兆のように思えて、少年の気分はわずかに明るくなる。
(鎧は置いていく)
それは重大な決断だった。少女を連れていくために少しでも身軽になりたい、と考えてのことだったが、騎士にとって鎧は命と同じくらい大事なものだ、と義父のレオンハルト将軍からも常に注意されていた。しかし、今のふたりは生命の危機にある。そんな状況でまで騎士の誇りを優先させるのは間違っている、とシーザーは考えていた。正しく死ぬよりは間違っていたとしても生き抜くべきなのだ。
「行くぞ」
洞を出たシーザーはセイを背負ってから歩き出す。自分の判断が正しかったのはすぐにわかった。武装を解いて重みを失くしたことで、昨日と違って実に楽に歩けるのだ。もちろん、13歳の少女といっても、それなりの体重はあるわけだが、少年は騎士見習いだった時分に行軍の際に重い荷物を背負ったまま山道を歩かされたことが何度もあって、それに比べればどうということはない、と思えた。これならいける、と早朝の木漏れ日の中で軽快に歩を進めていたが、ただひとつ誤算もあった。鎧を身に着けていないことで、少女の身体の感触を直に感じてしまっているのだ。特にまだ固さの残る2つのふくらみが背中で潰れるたびに、否応なしに劣情を刺激されてしまい、脳味噌がとろけそうになったのだが、それ以上に感じたのは熱さだった。人のものとは思えないほどの、溶鉱炉に近づいたときのような温度を感じたことで、シーザーは辛うじて我に返ることができた。
(とにかく急ぐんだ)
余計なことを考えている暇はない。一刻も早く本隊に追いついて、少女を医者に診てもらわないといけない。落ち葉と石ころだらけのぬかるんだ地面を強く踏みしめながら、少年騎士はひたすら先を急いだ。
いつの間にか、太陽が頭上高く輝いていた。もう真昼に近く、気温もすっかり高くなっていた。
(何処まで歩けばいいんだ)
もう何時間も歩き続けていたが、騎士どころか、人の姿をまるで見かけなかった。自分たちを探すのを諦め、既に移動しているのかもしれない、と思って、気持ちが暗くなりかけたが、救助の手はもともとあまりあてにはしていなかった。自分のせいで父や仲間たちに迷惑をかける方がむしろ心苦しい。自力で助かるのが最善の道だ、と心を強く持とうとする。
セイはよく眠っていた。それでも時々目を覚ますと、
「あれを食べよう」
と赤い小さな実のなった木に近づくように言ってきたりした。毒ではないのか、と不安がる少年に、
「大丈夫だ。わたしにはちゃんとわかるから」
病気のやつに言われても、と思うシーザーだったが、確かにその実はやたらに酸っぱかったもののかすかに甘みもあって、空腹の少年は、ばくばく、と食べられるだけ食べてしまった。しかし、それでも成長期の若者には十分とは言えず、
(飯食いてえな)
と思いながらふらふら歩いていると、せせらぎが聞こえてきた。いつの間にかまた川に近づいていたらしい。「ちょうどいいや」と思ったシーザーは方向を変えて水を飲みに行くことにする。すきっ腹を少しでも満たしたい、という思いと、セイの熱を冷ましたい、という目的がそれぞれあった。彼女の病状は悪くなってはいても良くなっているとは思えなかった。
叢を抜けて河原へと足を踏み入れる。目の前にある川は、昨日よりも幅が狭くなっているように見えた。だいぶ上流に来ているのかもしれない。「結構歩かされた」と思いながらも胸を撫で下ろしたシーザーはあることを忘れてしまっていたのに気づかされることになる。
「やっと追いついたぜ」
自分たちが追われている身だったことをシーザー・レオンハルトが思い出したときには、河原の中央付近で数人の男たちに取り囲まれて、もはや抜け出すことは不可能になっていた。
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