第85話 青年騎士、村を訪れる(その4)

「案外てこずったな」

朗らかな笑い声を上げて、早春の草原を行くセイジア・タリウスの後ろから、

「あたりまえだ。狩りなんかするのはだいぶ久しぶりなんだ」

汗だくになったシーザー・レオンハルトがふらふらとついていく。右手には急ごしらえの手製の槍が、左手にはようやく仕留めた野兎がそれぞれぶら下がっている。それが今夜の2人の食事になるはずだった。大陸きっての槍の名手との評判もある青年でも、戦闘と狩猟ではいささか勝手が違うらしく、一羽の兎を仕留めるのにだいぶ時間を食ってしまい、すっかりへとへとになっていた。

「だらしのないことだ。団長さんはお城での仕事に慣れて、身体がなまってるんじゃないか?」

妖精のように可憐な女騎士にくすくす笑われたシーザーは、

「それもあるかもしれんが、おれは都会っ子なんだ。田舎の流儀は身についていない」

ものは言いようだ、とセイは噴き出しそうになる。確かにシーザーは王都チキで生まれ育った「都会っ子」であるが、華やかな表通りとはかけ離れた暗く薄汚れたスラム街の出身だ。そして、彼は親の顔を知らず、レオンハルト将軍に出会うまで一人で生き抜くしかなかったのだ。笑ってしまいそうになって、シーザーに対する同情の念が女騎士の胸に湧き上がる。

(大したやつだ。つらいことも多かっただろうに)

不幸な幼年期を送ったにもかかわらず、青年はそれを悪いこととも不名誉なこととも思っていないようで、

「まあ、確かに親父に拾われるまではひでえ生き方をしてた、って自分でも思うが、そのおかげ、というかなんというか、騎士団に入ってしごかれたり戦場で死にそうな目に遭っても大概は『ガキの頃と比べればどうってことねえ』って思えたのは、ある意味ラッキーなのかもな」

セイがまだ騎士だった頃にあっさりそう言われたのに衝撃を受けた後、それが感動に変わったのを昨日のことのように思い出していた。裏通りで無頼の日々を送っていた少年の胸に気高い精神が宿っているのを確かに感じたのだ。貴族の出身である自分には持つことのできない強いハートがある、とセイは素直に認め、シーザーを一生の友とすることをひそかに誓ったのだった。もっとも、そのおかげで「シーザー=友人」という固定観念が頑固な女騎士に強く根付いてしまったために、恋人へのステップアップがかなり困難なものになってしまったことを考えると、若者にとってはあまり喜ばしい出来事とは言えないのかもしれない。

「じゃあ、次は山の方に行くぞ」

「まだ何かするのかよ」

慣れない狩りで疲れ切ったシーザーがぶつくさ言いながら軽やかに前を行くセイに文句を言うと、

「栄養はバランスよくとらなきゃ駄目だ。肉は確保したから、今度は野菜を採りに行こう」

「山に野菜があるのか?」

おやおや、とセイはにやにや笑いながら振り返り、

「山は食材の宝庫だぞ。都会のもやしっ子はそんなことも知らないらしい」

「誰がもやしっ子だ」

歯を剥き出して怒るシーザーを見て楽しげに笑ってから、セイはぴょんぴょんと飛び跳ねて斜面を登り始める。こうしていると騎士として一緒に戦っていた頃と何も変わらないように思えて、童心が甦ったかのような気持ちになれた。だが、

「それにしても、ナーガさんはずいぶん大変な目に遭ったんだな」

シーザーの一言であっという間に現実に引き戻されて、「もう少しくらいいい気分でいさせてくれればいいのに」と不満に思いながらも、

「ああ、そうだな」

と感情を押し隠せる程度にはセイは大人になってしまっていた。狩りをしながら、彼女は青年にナーガ・リュウケイビッチがジンバ村へとやってきた事情を説明してあった。

「おれとしても出来ることはしたいが、あまり大っぴらにやれる話でもないのが難しい」

シーザー個人としては、尊敬していたドラクル・リュウケイビッチの孫娘の生活が立ち行くように取り計らいたいところだったが、彼の思いを抜きにしてみると、ナーガは2年前まで戦争していた敵国の騎士なのだ。そんな人物がひそかに国境を越えてきた、と重臣たちに知られればどうなるかわかったものではない。秘密裏に事を運ぶ必要がある、というのはシンプルな構造の頭脳しか持たない騎士団長にも理解できることだった。

「正直おれの手に余る気もするから、アルに任せてみようかとも思っている。あいつならいい手を思いつけるかもしれん」

早くも部下の少年に丸投げする姿勢を見せるシーザーだったが、かつて騎士団を率いていたセイは別にそれを悪いとは思わず、「見極めがいい」とむしろ褒めたい気持ちすらあった。組織のトップが一番やってはならないのは、何でも一人で解決しようとすることだ、というのは金髪の騎士もよく知っている。誰にでも得手不得手があって、任せるべきことは任せることも必要なのだ。そうわかっているつもりなのだが、天馬騎士団長の頃の彼女は重要な場面でひとり敵に向かって駆け出すこともよくあって、そのたびにアリエル・フィッツシモンズ少年にこっぴどく怒られていたのだから、人の生き方は簡単には変えられないものだ、と思わざるを得なかった。

「おまえやアルは忙しいだろう。ナーガのことはわたしが考えるから、あまり気にしないでくれ」

「そうはいくか。国は違っても同じ騎士が困っているのを見過ごせるわけないだろう。おれにも手伝わせてくれ」

シーザーの反応は、普通に聞けば、感心な言葉のはずだった。思いやりのこもった振舞いのはずだった。だが、

(なんとも親切なことだ。シーザーのやつ、ナーガには親切なんだな)

セイはそうは受け取らず、何故か不愉快になっていた。そして、そうなった理由が自分でもわからなかった。シーザーに悪気がないのはわかっていて、気分を害すべき状況でないのもわかっている。しかし、だからこそ、余計に不愉快になってしまっていた。そんな女騎士の感情の急変にまるで気づかない青年騎士は、

「まあ、それにしても、ナーガさんと面と向かって話すのは初めてだが、なんというか凛々しくて清潔感のある人だな。眼も金色に光ってとてもきれいだった」

深く考えもせずにのんきにそんなことを口走っていた。もちろん、シーザーはナーガに女性として好意を抱いたわけではない。きれいな人だと思ったから、きれいだ、と言ったまでのことだ。仮に誰かがそれを咎めたとしたら、

「それの何処が悪い?」

とシーザーは言い返しただろうし、言い返された方もそれ以上何も言えはしないだろう。確かにそれ自体は何も悪いことではない。しかし、悪くなかったとしても、何らかの導火線に火をつけてしまうことは有り得ることで、現にセイは山を登る足を止めて向き直ってから、後から来るシーザーをぎろりと見下ろしていた。

「なんだ? どうかしたのか?」

先行していたはずの金髪の騎士が急に立ち止まったので、青年が戸惑っていると、

「前から思っていたんだが」

騎士らしい自制心で平静を装ったつもりでも、セイの声は震えていた。

「おまえ、わたしの扱いがひどくないか?」

「はあ?」

突然思いも寄らないことを言われてシーザーは素っ頓狂な声を上げる。

「ちょっと待て。いきなりどうした? 一体何があった?」

急展開についていけない騎士団長はあわてふためくが、

「シーザー、おまえって、わたしを本当に雑に扱うよな。いつもぞんざいにあしらわれて、乱暴なことを言われて、結構前から気になってた」

ぎゅっ、と両拳を握りしめてから、

「他の女の子には丁寧に話すのにさ。今日もそうだ。ナーガにだって、モニカにだって、優しく話をして、今もそうやって心配してる」

でも、それもしょうがないのかな、と金髪の騎士は肩を落とす。

「わかってる。わたしは全然女の子らしくないから、おまえだって優しくしがいがない、っていうのはわかってるつもりなんだ。他のは違うもんな。ナーガもモニカもかわいいから優しくしたくなるのはわかる。でも、あんまりはっきりやられると」

わたしだってきつい、とは口に出せなかった。それ以上話すと涙がこぼれてしまいそうだったからだ。つまらないことで、ちっぽけなことで腹を立てている自分が嫌だった。しかし、つまらないちっぽけなことだからこそ腹立たしいのも確かで、自分の中で吹き荒れる嵐を止めることがセイにはできない。一方、いきなりまくしたてられたシーザーはといえば、

(違う違う違う違う違う!)

と頭の中で全力で否定して回りながら、何をどうやって伝えるべきか懸命に考えていた。セイと同じく、シーザーもまたかなりのショックを受けていた。何故ならば、彼の思いとは全く逆の受け取り方を、恋する女子がしていたとわかったからだ。

(そうじゃねえよ。おれが気楽に話をできる女の子はおまえだけなんだよ)

セイが「ぞんざい」「乱暴」と受け取った言葉遣いは、彼にしてみれば親愛の情を表現したつもりだった。そして、他の女の子に丁寧に接する、というのも、女子を相手にすると少なからず緊張しているために、そのような態度をとらざるを得ない、という事情があったのだ。はっきり言えば、シーザーは女の子が怖かったのだ。かわいくて柔らかくて気まぐれな彼女たちは、彼にとってどんな敵よりも恐ろしい存在だった。

「騎士たる者、婦女子には常に礼節を持って相手をしなければならん」

養父であるレオンハルト将軍にもその点は厳しく教え込まれていて、その甲斐あってレディーファーストの精神を身に着けることには成功していたが、長年思い焦がれていた女子に嫌われたとあってはまるで意味がないどころか完全に害になってしまっている。

「いや、それは違う。誤解だ。そうじゃねえんだって、セイ」

「誤解なものか。いつもいつも、わたしにだけ気安く話しかけて。わたしを舐めている何よりの証だ」

気安く話しかけるのが嫌ならどうしろというのか。一人の少女を一途に想っていたために色恋を知らずに来た青年にとっては難しすぎる問題だった。

「悪かった。おれが何かおまえの気に入らないことをしちまったと言うなら、それは謝るし、これからは気を付けるようにする。だから、少し落ち着いてくれないか?」

シーザーも必死だった。こんなセイジア・タリウスを見たことがなかった。感情を抑え込めずに、理屈にならないことをわめいている。そんな彼女を抛っておけるはずがない。なあ、頼む、と声を限りに呼びかけると、

「ううん。おまえのせいじゃないよ、シーザー」

首を横に振ってセイが答える。声はもう震えていなかったが、それがいいものとはシーザーには思えなかった。この落ち着き方は不吉なものだ。

「悪いのはわたしだ。わたしがいけないんだ。女らしくないのに。優しくしてもらう資格なんてないのに。それに」

その瞬間、涙が流れ落ち始めた。

「結婚だって失敗したのに」

シーザー・レオンハルトはこれまでの20年余りの短い人生で数々の後悔すべき出来事を経験してきたが、このときほど自らの行動を悔やんだことはなかった。

(馬鹿かおれは。セイが傷ついていたのを今まで気づかなかったなんて)

考えてみれば当たり前の話だ。結婚寸前まで行った女性がそれがおじゃんになって何とも思わないはずがないではないか。だが、セイは違うと思い込んでいた。最強の女騎士だから平気だと思っていた。ろくでもない婚約者とくっつかないで逆に良かった、とあいつなら思っているのではないか、と考えようとした。実際、彼女は平気そうに見えたし、いつだったか、その件が話題にのぼったときも特に気にする様子を見せてはいなかった。だから、大丈夫なのだ、と思い込もうとしたのだ。だが、そうではなかった。セイの心は深く傷ついていたのだ。本人も平気だと思って、立ち直ったつもりで元気に生きてはきたが、別の見方をすれば傷口から滴り落ちる血から目を逸らしていたのかもしれず、その代償の清算を今この場で彼女は求められているのかもしれなかった。

「せっかく遠くまで来てもらって悪いが、もう帰ってくれ。これ以上わたしにかまわないでくれ」

「馬鹿を言うな。今のおまえを抛っておけるか」

「うるさい! いいから帰れ」

泣き叫ぶその姿にいつもの勇ましさはなく、今のセイは何処にでもいる平凡な若い女性でしかなかった。どうにかしないと、と焦る心を持て余したシーザーは彼女の方へ一歩近づこうとするが、それと同時に、

「来るな!」

と叫んで、セイは足早に急な斜面を横切っていく。もちろん、青年はどうにか追いかけようとし、それを見た金髪の女子はポニーテールを激しく揺らしてさらにスピードを上げていく。頭が熱くなっていたためなのか、追いすがるシーザーを無理に振り切ろうとしたからなのか、理由は定かではないが、

「あっ」

セイジア・タリウスは足を滑らせていた。

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