第73話 雪解け(その1)

「わーっ」と大声を上げながら、子供たちが野原を駆けていく。今日はセイジア・タリウスと一緒にジンバ村の北の土地へとやってきたのだ。モクジュからの避難民がやってきて以来、大人たちから立ち入りを禁じられていたのだが、セイが彼らとの「住み分け」を主張し、その後モクジュ側とも話し合いをまとめたことで、禁止は解かれていた。とはいうものの、住み分けが実現しようとも、よそものがよそものであるのに変わりはなく、村の少年少女たちは他者のいる場所に足を踏み入れるのを躊躇っていたのだが、今日は頼れる女騎士が一緒ということもあって、久しぶりに足を運んでいた。といっても、子供たちは遊びに来たわけではない。

「今日はたくさん採って帰らなきゃ」

と意気込むクロエが片手に籠を持っていることからもわかるように、彼女は野草を摘んでくるように親から言いつけられていた。山間の村の生活は厳しく、子供といえども遊んでばかりはいられない。食事の手伝い、掃除、水汲みなどやることはいくらでもあった。いつだったか、5、6歳くらいの子が赤ん坊をあやしているのを見て、

「子供が子守りをしている」

とセイは妙な気分になったものだったが、ジンバ村の人たちにとってはそれが当たり前のことだと知って、すぐに慣れてしまった。女騎士は村で暮らすようになってからも、積極的に村人たちの生活に関わろうとはしなかった。彼女の力をもってすればより豊かな暮らしにすることも可能だったろうが、たとえ向上させるとしても、個人の生き方を無理矢理に変えようとするのは暴力でしかない。

(誰もが王侯貴族みたいな暮らしをしたいわけじゃない)

幸せのありようは人それぞれなのだ、ということはセイにもわかっていた。戦争の英雄である女騎士ならばいくらでも贅沢ができるはずだったが、彼女はそれを望まず気ままに自由に生きる今の生活を心から楽しんでいた。村人たちの暮らしは貧しいながらも充実していて、それを守るのが騎士としての役割なのだろう、とセイは思うようになっていた。明らかに不自由に苦しんでいる場合だけ手を差し伸べればそれで十分なはずだった。距離の取り方を間違えては、あっという間に仲間外れにされてしまう。自分もまた「よそもの」なのだ、とセイはいつも意識して日々を過ごしていた。

「見ろよ。まだ雪がある」

マルコが前方を指さすと、雪の解け残りがある木の根元へと少年たちは一斉に向きを変えて走り出した。村ではもう消えてしまったが、気温の低い山の方ではまだ残っているようで、そこかしこに白い塊が見えた。

「もう、マルコって本当にガキなんだから」

クロエが頬を膨らませたのにセイは噴き出しそうになる。同い年でも女の子の方が早く大人になるものらしい。そこへ、

「あっ」

と後ろの女の子が声を上げたのが聞こえた。振り返ると、少女の視線の先に人影があるのが見えた。みすぼらしい布切れを頭から覆って顔ははっきりとは見えず、男か女かはわからないが大人であることはわかる。

「大丈夫だ。あの人は何もしないよ」

セイは声を出した少女の肩に手を置き、顔をこわばらせた子供たちに向かって優しく声をかける。あれはモクジュから来た避難民のうちの一人だろう。

「やあ。元気か?」

女騎士が呼びかけると、人影はわずかに頭を下げてから、何も言わずに遠ざかっていく。

「なんだか、わたしたちのことを怖がってるみたい」

クロエのつぶやきには「大人なのに」という思いが込められているのがわかる。

「そりゃ怖いさ。大人だってよく知らない人は怖いものだ」

ふっ、とセイは柔らかな微笑みを浮かべ、

「だから、そっとしておいてあげた方がいい。あの人たちは大変な思いをしてここまでやってきたんだ」

子供たちも「よそもの」の正体について何か聞かされていたらしく、揃って黙って頷いた。それから再び歩きはじめ、やがて開けた場所にたどり着く。

(後でまたパドルのところに行くか)

能天気に駆け回る少年たちと和やかに草を摘む少女たちを見守りながら、セイはそんな風に思っていた。モクジュの避難民のところへは2、3日に一度顔を出すようにしていた。頼みがあれば聞くつもりだったが、

「これ以上ご迷惑はかけられません」

パドル老人にいつもやんわりと断られていた。おそらくは彼の主人であり集団のリーダーであるナーガの方針なのだろう、という気がセイにはしていた。彼女自身が顔を見せることはなく、再戦を挑まれることもなかったが、少し寂しい気持ちになったのも事実だった。その代わりに、

「何をしに来た。この卑怯者め」

女騎士がやってきたと聞きつけると、ジャロ少年が走ってきて罵倒されるのが習慣のようになっていた。ひとつふたつ言い返すと「あねうえーっ」と泣きながら逃げ帰るまでがお決まりのようになっていたので、

「あれではわざわざ泣かされに来るようなものだ」

とセイは呆れていたのだが、少年は懲りることなく毎回悪口を言いに来ていて、女騎士もそれを楽しみにするようになってしまっていた。

それだけではなく、パドルは狩りで得た獲物や果物を差し出していた。迷惑料を用意する、という約束にはなっていたが、無理強いするつもりはなかったのでセイは驚きつつも感激もして、その品々を持ち帰ったところ、村人たちも大いに感銘を受けた様子だったので、少なからず悪感情を緩和する効果もあったのは、思いがけない幸運と言えたかもしれない。

(今のところは揉め事もなくて何よりだ。これからもそうあってほしいが)

深刻な表情になっていた女騎士が視線を上げて、「おっ」と嬉しそうな顔になる。

「どうかした?」

しゃがみこんでいたクロエがセイを見ると、「まあ見てろ」と金髪の美しい女騎士が地面から石を拾い上げ、それを真上へと放り投げた。甲高い加速音とともに天空へと急上昇していく石ころの行方を男の子も女の子も、ぽかーん、とした顔で見上げていると、ぼん、と蒼穹に炸裂音が小さく響き、それから数秒もしないうちに何かが落下してきて、うわー、と悲鳴を上げて子供たちは逃げ惑う。

「今夜の食事を用意していなかったから助かった」

セイはにこにこ笑って草むらに墜落した何かを拾い上げる。野鳥だった。しかも、かなりの大物だ。

(鳥なんか全然見えなかったのに。っていうか、どうやったら命中させられるのよ?)

クロエは驚きながらも呆れていたが、一番に突っ込むべきなのは視力なのか腕力なのかセンスなのか、判断できなくて口には出せなかった。「金色の戦乙女」は何もかもが規格外の存在なのだ、と村の娘は毎日のように痛感させられ、憧れることもできなくなっていた。

「なあ、セイって騎士なんだろ?」

マルコに声をかけられて、

「ああ、その通りだ。それ以上でもそれ以下でもないが、それがどうかしたか?」

自ら落とした獲物を両手に持ったセイが答える。

「だったらさ、騎士らしく弓矢を使ったらいいじゃん。そんな、石なんかぶつけないでさ」

マルコにしてはもっともなことを言う、とクロエだけでなく他の子どもたちも思っていた。この少年はいつも考えるよりも先に身体が動く性格で、木から落ちて危うく死にかけてもそれは変わらなかった。

「ああ、いや、それはちょっと遠慮したいな」

女騎士が気まずそうに俯いたので、マルコは意外に思って、

「どうしてさ?」

とさらに二の矢を放ったが、

「弓矢はあまり好きじゃないんだ」

ぽつり、と漏らした。すると、

「下手なんだ」

と、一番小さな少女が思わず口に出していた。子供たちはみんな同じように思っていたが、幼いながらに空気を読んで黙っていたのに、そんなことを言ったら怒られる、と不安に駆られたが、

「そういうことにしておいてくれ」

セイは寂しげに笑って背中を向けたので、少年少女はほっとするのと同時に同情もしていた。

(すごく下手なのを気にしてるんだな)

いつの間にか、「下手」が「すごく下手」に変化していたのはともかく、最強の女騎士にも苦手なものはあるのだろう、と察した子供たちは、

(セイに弓矢の話を振るのは禁止な)

と目配せを交わし合った。田舎の子供の小さな社会にも気遣いはしっかりと存在しているのだ。

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