第70話 雪原の激突(その7)

「姉上から離れろ! この悪魔め!」

ナーガの上にまたがったセイに、急いで駆け寄ってきたジャロ少年が体当たりをくらわし、ぽかぽかと殴りつけてきた。もちろん、最強の女騎士は何らダメージを受けることなく、

「こら」

茶色い髪の少年の襟首をあっさりつかんで、猫の子を乱暴に扱うように持ち上げていた。

「いくらなんでも言いすぎだぞ、坊や。若い女に向かって言っていい言葉じゃない」

やんわり注意したが、ジャロは聞く耳を持たず、どうにかして憎い女騎士をやっつけてやろうと手足をばたばたさせるが、セイの身体に届くことなく空を切り続け、そのうち少年の眼には涙が滲んできた。相当な負けず嫌いで相当な泣き虫のようだ。

「ジャロから手を放せ!」

今しがた負けたばかりの「蛇姫バジリスク」が声を荒げたので、やれやれ、とセイは肩を落とす。これではいじめっ子のようではないか。立ち上がってから、ぽいっ、と片手に持っていた少年を雪の上に無造作に落とす。

「ジャロ、痛くなかったか?」

心配して体を起こしたナーガに、「あねうえ、あねうえ」と涙をこぼしながらジャロが抱きつく。姉弟の仲は良好なようで実に結構だ、と金髪の騎士は笑ってしまってから、

「今日のところは勝負を預けることにする」

と、さっきまで戦っていた相手の娘に呼びかけると、

「は?」

ナーガは驚きに目を見開いてセイを見つめた。どう考えても自分が負けていたのに、何故そんなことを言うのか。彼女が敗北を認めていたのは、その瞳の金の輝きがいつもよりも弱まっていることからも明らかだった。

「敵討ちは1回しかできない、という決まりはないだろ? わたしは何度でも受けて立つぞ。まあ、きみにまだやる気があれば、の話だが」

ぎり、とモクジュの少女騎士は歯を食いしばる。舐められている、侮られている、としか思えなかった。しかし、それだけではなく、再戦の機会が与えられたことにわずかながらも明るい気持ちになっていたのも事実であり、そんな自分を情けなく思った。結局、自分が弱いのが悪いのだ、と認めるしかない。

「ここでとどめを刺さなかったことを後悔させてやる」

言っている本人にも負け惜しみにしか聞こえない捨て台詞を、

「是非させてほしいものだな」

満面の笑顔であっさりと跳ね返された瞬間に、ナーガ・リュウケイビッチの心は完全に折れ、ひとりで耐えることもできなくなった。だから、腕の中の少年を強く抱きしめ、黙って涙を流すしかない。いつも頼りにしている娘が泣き崩れているのを見たジャロもより激しく泣き出す。2人をそっとしておこうと、歩き去ろうとした女騎士の背中に、

「待て」

ナーガが声をかけてきた。何事か、と足を止めて振り向くと、

「わたしたちがここにいる理由を知りたがっていたな」

と話を続けてきた。泣いてはいても声はしっかりとしているあたり、彼女も一流の騎士なのだ、とセイは感心しつつも、

「ああ。知りたいな」

と答える。すると、

「わたしは貴様に教えるつもりなどない。貴様の得になることなど何一つだってしてやるつもりはない」

一度敗れたくらいで「蛇姫」の怨念が消えるはずもないのはセイもわかっていたので、決闘で勝ったとしても彼女から何か聞き出せるとも思っていなかったのだが、

「だが、他の誰かが説明するのを止めるつもりはない。たとえば、そこにいるパドルから貴様が話を聞こうとしても、それはわたしの与り知らないことだ。勝手にすればいい」

ナーガの思わぬ発言に、一瞬きょとんとしてから、

(まわりくどいことをする)

と金髪の女騎士は笑いそうになる。つまり、自分たちの置かれた状況を説明する気になったのだが、それを自分の口からは言いたくない、ということなのだろう。敗れた時にこそ、人間の真の姿が現れるものかもしれず、ナーガ・リュウケイビッチは敗者となっても誇り高く振る舞おうとしていて、卑しくも惨めにも成り果てはしなかった。そして、セイはそんな彼女に明らかに好感を抱いている自分に気づいていた。

「では、そうさせてもらおう」

と言ってから、

「ありがとう、ナーガ」

と親愛の情を込めて呼びかけた。俯いたままの「蛇姫」の表情は見えなかったが、おそらく何も反応はしていないだろう、と想像がついた。それでも、

(いつか、きみと友達になりたいものだ)

きっとそうなれるはずだ、と信じながらセイジア・タリウスは再び歩き出し、白い広野には互いを強く抱きしめ合うナーガとジャロの2人だけが残された。


「ありがとうございます」

近づくなり、いきなりパドルが長身を折り曲げて感謝を述べてきたので、

「礼を言われるようなことをした覚えはないが」

セイは戸惑いながら言葉を返す。

「あなたとの戦いでお嬢様は実に得難い経験をなされました。より強くなられることでしょう」

ドラクル・リュウケイビッチに心残りがあったとすれば、孫娘を十分に鍛えきれなかった、ということもあったはずだった。「龍騎衆」の一員たる力量は持ち合わせていたとしても、ナーガはいまだに発展途上の身であり、伸びしろは多分に残されていた。祖父の成し得なかったことを仇敵が代わって受け持つという皮肉な成り行きに、

「自分をつけ狙う相手を鍛えてやるとは、わたしも大概お人よしだな」

「金色の戦乙女」も噴き出してしまう。だからといって、その行為を後悔するつもりも全くなかったのだが。

「事情は承っております。ここに至るまでの経緯を、わたしから説明させていただきます」

リュウケイビッチ家の有能な執事は頭を下げ、

「ああ、頼む」

セイは頷き返し、そばにいたハニガンも興味津々といった表情をする。「よそもの」がやってきた事情をジンバ村の村長として知る必要があるはずだった。

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