第62話 大戦終結秘話・猛虎、月に吠える(その3)

(この娘は自分のしでかしたことがよくわかっておらんようだ)

酒がかなり入っていても、ティグレ・レオンハルトの頭脳の働きは確かなままだった。

(戦争を始めるのも止めるのもまつりごとの範疇であって、騎士のすべきことではない。つまり、セイジアはおのれの分際を超えてしまったのだ)

といっても、将軍には少女を責めるつもりはなかった。

(問題なのは、その企てを見事に成功させてしまったことだ。とてつもない能力が無くては到底成し得ぬことを、この娘はひとりでやってのけた。騎士としてずば抜けた才能の持ち主だというのはとうにわかっておったつもりだったが、わしも理解が足らなかったわ)

ぐい、とまた一杯酒を飲み干す。

(セイジア・タリウスは将の器にあらず。この娘は王の器だ。一国を、いや大陸全土を治めるに足りるほどの英雄なのかもしれん)

いまだにあどけなさの残る美貌にそぐわない大いなる力を隠し持った少女騎士を見やって、老人は背筋に震えが来るのを感じていた。

(セイジア、おまえはもはやまっとうな人生を歩めぬ。良かれ悪しかれ、おまえは人とは違うおのれだけの道を征くしかないのだ。余命いくばくもないこの老いぼれにそれをどうすることもできぬのが無念ではあるが、自分でなんとかするがいい。それがおまえの生きる道だ。わが馬鹿息子が助けになればいいが、足手まといになるだけか)

金色の髪を持つ少女が老騎士を慕ってやまないのは周知の事実だったが、常にそっけなくあしらってはいても、実は彼の方が彼女をより強く想っているのかもしれなかった。「アステラの猛虎」の秘めた愛情を受けた娘は、

「『モクジュの邪龍』、ドラクル・リュウケイビッチ殿。実に手ごわき御仁だった」

そっと溜息をついた。

「そりゃそうだ。なにしろ親父のライヴァルだ」

シーザーが何処か誇らしげにつぶやくと、

「そんないいものではない」

ただの腐れ縁だ、と将軍は苦々しく愚痴をこぼした。宿敵の名を聞かされて、男の心は重くなり、その動きは鈍くなる。彼の右眼を奪った騎士の壮絶な死にざまを聞かされてからというもの、一年中雨が降り続く国に移り住んだかのように、老人の日々は憂鬱なものに変わっていた。そして、それはセイにとっても同じことだった。敵将と槍を交えたのも、直接相見あいまみえたのも、それぞれただ一度きりのことでしかない。だが、彼をよく知るのはそれだけで十分だった。相手が立派な人物であるのはよくわかっていた。しかし、そんな一流の騎士と呼ぶべき男を自らの手で死に追いやった事実は日に日に少女に重くのしかかり、戦争が終わった安堵の思いも味わえぬほどになっていた。

(せめて、わたしの手で討ち取るべきだったのか)

リュウケイビッチ将軍が自刎した、との知らせを受けてからというもの、そう思わない日はなかった。一騎討ちで敗れたのであれば、武人としての誉れはまだ残されていたかもしれない。だが、宮廷で主君の前で自ら首を刎ねざるを得なかった将軍の心境を思うたびに、セイは心を黒く塗りつぶされたかのように暗澹たる思いにとらわれた。死に面した彼がどれだけの絶望を感じていたか。そして、そうなるように仕向けたのは他ならぬ自分自身なのだ。少女に敗れた老将が死を選ぶことは予期していたことであり、戦争を終わらせるために必要なことだと覚悟もしていたはずだった。だが、予想していたはずのことがいざ現実のものになってみて、その重さに耐えきれずにいる自らの未熟さをセイは痛感し、今また顔を上げられなくなっていた。

「気に病むことはない」

そんな娘にレオンハルト将軍は力のある声を投げかけた。

「えっ?」

「おまえがあやつの死を嘆くことはない。戦いに敗れて死ぬことは騎士にとって当たり前のことだ。あやつも覚悟の上だ」

それに、と老人は少女を見つめて、

「おまえも命懸けであやつとわたりあい、そのうえで勝ったのだ。だったら、堂々と胸を張れ。それが勝者の務めだ」

痛烈な一撃を見舞われたのをセイは感じていた。情けをかけて敗者を汚すな、と戦場の先輩から戒めを受けたのだ。自らを憐れんで真実から目を背けるな。死んでいった者の命を引き受けて前を向け。それが騎士の宿命だ。そのように言われた気がした。今の自分にとって、なんと重く厳しい言葉であることか。だが、決して間違ってはいない。騎士であり続けたいなら、そうするよりほかにないのだ。

「それにしても、『モクジュの邪龍』とさしでやり合うとは、とんでもない博打を打ったものだな。一歩間違えばおまえが戦場の藻屑となっていたところだ。わしが討ち取れなかった相手だぞ? おまえの度胸には感心するよりも呆れるわ。もしや、勝つ自信でもあったのか?」

心の中で葛藤を続ける少女を慰めるように、将軍は軽い調子で言葉をかけた。「ああ、いや」とセイは無理に微笑んで、

「自信なんてとてもとても。あれが戦争を終わらせるために唯一の避けて通れぬ道だったので、そうするしかなかっただけだ。言われてみれば、確かに自分の無謀さに呆れてしまうが」

うむ、と将軍は頷いて、

「まあ、そういうことにしておくのだな。わしが何十回もやり合った相手を初回であっさり倒されたのでは面目丸潰れだからな。『アステラの猛虎』などと二度と名乗れなくなる」

ぐび、と酒を飲み干す。

「あやつに目を付けたのは決して悪くはない。ドラクル・リュウケイビッチこそがモクジュの戦いの要であった。あやつを抑えるのはモクジュという国を抑えるのと同じことだ。その点では、セイジア、おまえは正しい」

大きく息をついて天頂に達しつつある丸い月を見上げ、

「それに、あやつを一思いに討ち取らなかったのも正しかったのだろうな。仮に討ち取っていれば、『龍騎衆』をはじめとした敵軍が弔い合戦に打って出て、無惨なことになっていたやも知れぬ。そう考えれば、おまえの策はやはり正しかったことになる」

将軍の呟きを耳にしたセイは、

(「蛇姫バジリスク」殿は決してわたしを許さないだろうな)

と思っていた。ナーガ・リュウケイビッチの美しい金色の瞳が復讐の怒りに燃えているのが目に見えるかのようだ。

「とはいうものの、だ」

またしても空っぽになった素焼きの壺を地面に転がしながら、老人はしゃべり続ける。

「身も蓋もない話をしてしまうが、あやつは弱いから死んだのだ。おまえに負けたから死んだ、ただそれだけの話よ。それが嫌だったら負けなければよかったのだ」

「じいちゃん、そんな言い方」

「丁寧に言おうが乱暴に言おうが、真実は変わらん。あやつは死に、わしは病み衰えた。それをいかに取り繕おうがむなしいだけだ」

将軍の答えを聞いて、セイはそれ以上抗議することはできなかった。自分の倍以上も生きている、戦地の惨状を見つめ続けた男の言葉に、才気あふれる少女といえども口答えできるものではなく、黙って受け入れるよりほかに術がなかった。と、そのとき、

「え?」

女騎士は異変を感じて、視線を老騎士から外し、すぐ隣を見た。彼女のすぐそばに立っていたシーザー・レオンハルトがその大きな身体を震わせているではないか。野性味あふれる青年の眼から涙があふれ、嗚咽を止められないでいるのが、セイにはしっかりと見えていた。

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