第59話 大戦終結秘話・帝王決断す(後編)

実のところ、アステラとモクジュ双方に和平の意思がある、と知った時点でマズカ皇帝には戦争を継続する意思はかなりの部分でなくなっていた。

(大義が失われた)

と思っていたからだ。「空白地帯」の混乱を抑えることで、大陸の安定を取り戻す、というのがこの戦争の表向きの目的で、そのための軍事介入は多国間の協調の下に行われるのが必須だと彼は考えていたが、アステラが離脱すればその仕組みが崩壊する。もうひとつの同盟国であるマキスィは商人国家であり、世の中の風向きには敏感だ。王国の動きに同調する可能性が高い、という見立ても帝王の決断に影響を与えていた。

3か国による同盟軍を結成したのは、もちろん一国のみで負担の軽減を図る意味合いもあったが、決してそればかりが理由ではない。マズカ単独でもモクジュを下すことはできなくはない、というのが皇帝の見込みであり、彼に仕える軍人たちもそのように考えていた。しかし、仮に勝利を収めたとしても、それを他国はどう見るかを彼は常に気にかけていた。よその国は敵を下した帝国を警戒し、その野望が自分たちにまで及ぶことを恐れることだろう。南方の大国であるサタドは今のところはマズカに対し中立の立場をとっているが、モクジュが敗れれば帝国に対して明確に敵となり、それによってサタドへとなびく国も出てくるはずだった。現在は同盟国であるアステラやマキスィといえども完全に信用できたものではない。だからこそ、戦争を行うにあたっては、ただ勝てばいいというものではなく、勝利に付随する大義が必要なのだ、と皇帝は強く考えていた。自国のみならず世界のために心ならずも戦ったのだ、と宣言できる主義思想が必要なのだ。だが、アステラが抜けるとなれば、同志であるはずの友邦が離脱すれば、帝国の掲げる理想までも疑念を持たれるのは必至だった。だからこそ、皇帝は戦意を失いつつあったのである。

マズカの帝王が大義名分に執着するのは、彼の生い立ちにその理由があった。彼は先代皇帝の次男として生まれ、本来であれば後継者の立場ではなかった。だが、

「おれはどうしても皇帝になりたい」

という強烈な野心に突き動かされて、兄弟を抹殺し父を追い込み、強引な手段でもって帝位についたのだ。彼の家族に問題があったのであれば、まだしも許容されたかもしれないが、父は峻厳にして威容を誇る皇帝にふさわしい人物であり、皇太子だった兄は真面目な人柄で「あのお方をおいて他に跡取りはいない」と周囲から一目置かれ、年の離れた弟は天真爛漫な性格で誰からも愛されていた。そんな彼らを、まるで落ち度のない家族を陰謀によって破滅へと導いたのだ。弟思いの兄と兄思いの弟を死に追いやり、息子たちを愛していた父を追放し、権力を我が物にしても、彼はまるで恥じるところはなかった。自分こそが皇帝にふさわしい人間なのだ。偉大なる帝国を築き上げれば、誰も文句は言えない。そう思っていた。それは決して思い上がりなどではなく、彼は皇帝として辣腕を振るい、マズカの国威を大いに発揚させた。帝国、いや、大陸の歴史に残る指導者として名前を残してもおかしくはなかったが、決して「名君」と称えられることはなかった。皇帝の座に上るまでの経緯が決して消えない瑕となっていたからだ。

「親不孝者」「兄弟殺し」

という汚名が晴れることはない、と彼が気づいた時にはもう遅かった。家臣からは恐れられても忠誠を得られず、正義を持ち合わせない皇帝に反逆する者は後を絶たなかった。昨年も地方の有力貴族が反乱を企て、皇帝自ら鎮圧に乗り出す羽目となり、それによって軍備の調整が遅れ、「空白地帯」の制圧をアステラにのみ押し付けることにもつながっていた。「これまで戦争を辞められなかったのは余の不徳の致すところだ」と皇帝は軍議の場で部下に詫びてみせたが、戦争を続けられなくなったのも皇帝に徳がなかったせいだとも言えた。少なくとも表向きは、彼は家族を犠牲にしたことを一度として後悔したりはしなかった。だが、自らの行動に必要以上に大義名分を求めたところを見ると、皇帝といえどもやはり人の子で、拭い切れない罪悪感に苦しんでいたのかもしれなかった。

そんな風に戦いを継続する意思を失くしかけていたマズカ皇帝に決定打を加えたのが、ドラクル・リュウケイビッチの死だった。才能のある人物を愛していた彼は、「モクジュの邪龍」と呼ばれる敵の勇士にも一目置いていた。出来得ることなら臣下として召し抱えたい、と思っていたが、敵国の誘いにやすやすと乗るような者は召し抱えたくない、とも思っていて、ままならぬ思いに苦笑いを浮かべたこともあった。そんな敵将の自決にマチズモの権化ともいえる皇帝は大いに心を動かされていた。自らの命を代償にして国家の命運を変えようとした壮絶としか言いようのない死にざまを無視することなど、皇帝であると同時に武人であると自認している男には出来ない話だった。モクジュの大侯に哀悼の意を伝える手紙を祐筆に任せることなく自らしたためたのも、本心から敵将の死を悼んだためなのだろう。血も涙もないと思われていた男にもわずかながら人間らしい側面が残されていたことは、心ある人々の記憶にとどめられるべき話なのかもしれない。


(思いも寄らぬことが起こるものよ)

深夜、明かりも暖房もない自室で皇帝はひとり床に就いていた。欲望が兆した時には数人を一度に相手にすることもあったので、特別に頑丈に作られたベッドを今夜は特に広く感じた。権力を強化するためだけに結ばれた正妃への愛情はとうに失われ、都の郊外で離れて暮らす妻の身の上に夫は興味を持たなかった。彼の関心は、急速に収束に向かいつつある遠く離れた土地の戦争に注がれていた。

(わが軍の準備が遅れたのは認めるべきだが、それにしても戦況の流れが早すぎた)

アステラ軍が「空白地帯」で優勢になったことで、王国の政治家や官僚の一部が勢いづいてモクジュの侵攻を早めようとしたと聞いて「拙速だ」と感じたのを思い出したが、口に出さなかったこともまた思い出していた。あの頃は自国の混乱を抑えるのに懸命でよその国に心を傾ける余裕などなかった。それに、面倒事をアステラに押し付けてしまいたい、という気持ちが全くなかったと言えば嘘になる。結局、自らの怠慢によって野望を断念せざるを得なくなった、と皇帝は結論を出していた。誰かを責めるのではなく、その無念を自分一人で引き受け、新たな機会に野望の実現を目指そう、と決意を新たにする。「名君」と呼ばれることはないとしても、この男は指導者としての資格を十分に有していた。有しすぎている、と言ってもいいくらいだった。それゆえに家族を不幸に巻き込み、彼自身も人が感じるべき幸福を味わうことなく、孤独な帝王の道を歩き続ける宿命にあるのかもしれない。

(あの娘、セイジア・タリウスと言ったか)

同盟国の騎士団を率いる少女の存在を皇帝が強く意識したのはこれが初めてだった。それまでは、「いかに強いと言ってもまだ若い娘ではないか」と偏見に満ちた見方をしていたのだが、彼女がきっかけで戦争が終結に向かったと知って、考えを改めないわけには行かなかった。深夜のアステラ宮廷でのセイの奮闘も、男の耳には既に届いていた。ふん、と仰向けになったまま息を吐き、

(娘だてらに大したものではあるが)

と考えてから、

(わけのわからんやつだ)

と決めつけた。騎士の身でありながら命令もなく自ら戦争を終わらせようとした少女は、様々な固定観念に強くとらわれた帝王にとって理解の及ばない存在だと言えた。「わけのわからんやつ」というマズカ皇帝のセイジア・タリウスに対する第一印象は、この後も全く変わることはなかったのだが、とりあえずその夜はそれ以上彼女のことを考えることなく、帝王は眠りについていた。夜明け前には執務を始めなければならないので、あまりに短くはあったが、それでも男にとっては唯一のやすらぎの時間であった。



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