第60話 大戦終結秘話・猛虎、月に吠える(その1)

大きな満月が出ていた。青い月明かりの下で、ティグレ・レオンハルトは黙々と酒を飲み続けていた。自宅の庭に筵を敷いてその上に胡座をかき、手にした茶碗からがぶがぶ酒を飲み続ける。あたりには素焼きの壺が何個か転がっていた。中には濁り酒が満たされていたのだが、老人が全て飲み干してしまったのだ。それだけ、今夜の「アステラの猛虎」の酒量はすさまじいものがあった。

将軍の横では2人の若い騎士が直立不動で立ち尽くしていた。天馬騎士団団長セイジア・タリウスと黒獅子騎士団団長シーザー・レオンハルトだ。

「閣下にご報告が遅れたことをお詫びいたします」

金髪の少女騎士が深々と頭を下げた。いつもは「じいちゃん」「じいちゃん」となれなれしく迫ってくる娘に堅苦しい態度をとられると妙にくすぐったくて仕方がないのだが、いつも明るい彼女といえども、今夜ばかりは真面目にならなければならない事情があった。セイとシーザーは将軍に戦争の終結について報告しにやってきて、一通りの説明が今ちょうど終わったところだった。

戦争が終わって、既に1か月が過ぎようとしていた。「空白地帯」に各国の指導者が集結して講和を締結したことによって、数十年にもわたって続いてきた戦いはようやく終わりを迎えた。マキスィの統領、マズカの皇帝、アステラの王、モクジュの大侯、ヴィキンの女王、という当事国の君主に加えて、立会人としてサタドの太守までもやってきた大掛かりな話し合いであったが、実際のところ、その場で決められたのは、戦争を正式に終わらせることと、「空白地帯」の西半分をマズカとアステラが、東半分をモクジュとヴィキンがそれぞれ共同で管理する、ということだけだった。つまりは、内容に乏しい会議、と言わざるを得なかったのだが、それでも無益な争いを終わらせることこそが喫緊の課題であり、細かな諸問題についてはおいおい話を詰めていけばいい、という認識が出席者には共通してあった。その意味では成果は十分にあった、と考えるべきなのかもしれなかった。

「本当ならもっと早く親父に言わなきゃいけなかったんだけどな」

セイとは対照的にシーザーの方はあまり緊張した様子もなく、頭を掻きながら言い訳をした。黒獅子騎士団の先代の団長と現団長、というよりは父と子としての気安さがあったが、老将軍はそれを不快に思うでもなく、

「構わん。おまえらが忙しかったのはわしの耳にも届いておる」

茶碗に満たされた酒を飲み干した。彼の言う通り、2人の若い騎士はこの1か月、多忙な日々を過ごしていた。戦争の後始末に追われ、戦時中よりも慌ただしいくらいだった。騎士団の再編成をしたり、傷病者と戦死者の遺族にも必要な手当てをしなくてはならず、都から離れた田園地帯で隠居している将軍の所まで来られなくても無理はなかった。しかし、一番大変だったのは、世論の反発だった。長期間続いたにもかかわらず、何も得ることなく戦争が終わったことに貴族も庶民も一斉に非難を加えたのだ。とりわけ、アステラの主たるメディアである、「アステラ時報」と「王国ニュース」は主戦論を煽っていたこともあって、独断で戦争終結に動いたセイに連日批判を加えた。ちなみに、アステラの三大紙の残る一つ、「デイリーアステラ」は社主の、

「人殺しで大騒ぎしてまでお金を稼ぐのは感心しません」

との方針で、戦争反対の立場を取り続けていた。その結果、戦争報道によって売り上げを伸ばすことはできなかったのだが、報道機関として筋の通った姿勢に感銘を受けた者も少なくなく、新聞記者にあこがれていたユリ・エドガーも「デイリー」を第一志望に決めたという話もあるのだが、それはあくまで余談である。

「おれはそうでもなかったんだが、セイはきつかったみたいでな。街で悪口を言われたこともあったみたいだしな」

その場にいたらそんな野郎はただじゃおかなかった、とばかりに牙を剥き出すシーザーに、「ああ、いや」とセイは苦笑いして、

「しかたないさ。みんながそう思うのも無理はない。よく思われなくても、やるべきことをやったまでだ」

潔い態度を取ったのに将軍も感心する。騎士団に入った時はやせっぽちだった少女が、わずか5年で戦士としての心構えをすっかり身に着けているのに、歳月の早さを思わざるを得ない。

「それに最近ではすっかり落ち着いてきている。陛下のお言葉が効いたのだろう」

セイが言っているのは、つい先日開かれたばかりの戦没者追悼式典での出来事だ。国を挙げて行われたセレモニーの場で、国王スコットは死者を心から悼み、国民の苦しみを愛情をこめてねぎらったのだ。

「長きにわたって皆に苦痛を強いたのはひとえに余の不徳の致すところであり、責めは全て余が負う。これ以上の争いは無用である」

責任を自ら引き受ける覚悟を見せた王に、誰もが心打たれ、素直に頭を下げていた。口さのない人々も、さすがにそれ以上悪し様に罵ることは憚られ、その日から世間の風向きは一変していた。

「陛下のご威光でみなもやっと安心したのだろう」

と微笑んだセイを見て、「それだけでもないと思うがな」とシーザーはひそかに思う。式典では王だけでなく、少女騎士も人々の注目を集めていたのだ。鎧に身を固めた金髪の娘が祭壇に花を手向け、涙をこぼしながら祈りを捧げた姿は、参列者の同情を誘っていた。そもそも、「金色の戦乙女」はアステラ国民の圧倒的な人気を得ていて、彼女へのネガティブ・キャンペーンをしていた新聞社には「セイジア様をいじめるな」と抗議が殺到し、ある飲み屋で彼女の悪口を言っていた連中が店の主人や他の客から袋叩きに遭って追い出された、という話もあるほどだった。戦争の終結に不満を抱いていた多くの人々も、式典でのセイの涙に心を打たれ、考えを改めていた。思えば、誰だって戦争は嫌なのだ。終わったことを素直に喜ぶべきではないのか。

「ともあれ、2人ともご苦労だった。わしの代わりに動いてくれたことに礼を言う」

レオンハルト将軍がつぶやくと、セイもシーザーも「気を付け」の姿勢になる。それを見て老人はわずかに唇をゆがめてから、また一杯酒を飲み、ぷはーっ、と息を吐く。そして、

「ときにセイジアよ」

「なんでございましょう?」

突然声をかけられた少女が目を丸くしているのを、将軍は唯一残った左眼だけでじっと見つめてから、

「おまえ、いつから考えておったのだ?」

と重々しく言葉を投げかけた。



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