第55話 大戦終結秘話・邪龍の血(その3)

「そのような小娘が恐ろしいのか」

諸侯の一人から揶揄する声が飛んでくると、

「恐ろしゅうございますな」

ドラクル・リュウケイビッチは淡々と答えた。

「『蒼天の鷹』オージン・スバルの後を継ぎ、わずか16歳にして騎士団を率いて国境に迫り来るわがモクジュの軍勢を打ち破り、それから2年で『空白地帯』での優位を確立させたじゃじゃ馬娘が、今まさにわが国に押し入ろうとしているところなのです。それが恐ろしくない、という方がこのじじいには不思議ですな」

物分かりの悪い貴人たちにセイジア・タリウスの脅威について簡潔に説明してみせたが、それで理解してもらえた、と信じられるほど老騎士は楽観的な精神の持ち主ではなかった。

「それで、そちは敵と和睦したというわけか?」

深刻な表情になった大侯の問いに、

「左様にございます。勝利を求められていた身としては慚愧に堪えないところではありましたが、何より敗北を避けるべきと考えましたがゆえ」

うーん、と大侯は短い腕を腹の上で組み、しばらく考えた後に、

「ならば『邪龍』よ、この後はどうすればいいのだ?」

あらためて問いかけた。将軍は背筋を伸ばしてから主君をしっかりと見据え、

「畏れながら大侯殿下に申し上げます。わがモクジュはアステラと和を結ぶべきです」

円形の広間がざわついたが、それに気を留めることなく、ドラクルは意見を続ける。

「こたびの戦争はかれこれ50年近く続き、今なお終わりが見えておりません。何をどうすれば勝利につながるかも見えていない、目的のない、戦争のための戦争でしかなくなっています。そのような無意味な破壊行為を一刻も早く止めることが、今を生きるモクジュの民とこれからの未来を担う子供たちのためにもなるのです」

熱意のこもった語り口に誰も口を差し挟めない。そして、

「セイジア・タリウスがアステラの王を説得する、と約束してくれました。かの国の王は柔弱であり争いを好む性格ではない、と聞き及んでおります。加えて、アステラは『大崩壊カタストロフ』から未だに完全には立ち直っておらず、出来得ることなら戦争を辞めたい、という事情もあるのです。わが国以上に和平を望んでいるわけです」

一瞬の静寂の後で、

「しかし、アステラはそうだったとしても、マズカはどうなのだ。あの国こそ真に恐るべき敵ではないか。あそこの皇帝は暴虐で、和を尊ぶ男ではないのだぞ」

1人の言葉に「そうだそうだ」と数人が応じた。大侯と8人の諸侯たちが戦争の継続を望んでいるのか、というとそういうわけでもない、というのは老騎士にはわかっていた。彼らは何よりも責任を取るのを恐れているのだ。今、戦争を辞めれば、目に見える成果を出せぬまま多くの犠牲を積み重ねたことについて、国民の激しい怒りを買うのは目に見えている。一国の舵取りを任された者ならば、どのような反対があろうと国のためになる決断をすべきはずなのだが、諸侯たちの中にそのような覚悟を決めた人間が誰一人いない、というのがモクジュの不幸なのかもしれなかった。

「その心配は無用かと思われます」

「なんだと?」

懸念をあっさりと吹き飛ばした将軍に諸侯たちは目を見開く。

「確かに、マズカの皇帝は力による支配を目論み、他国との友好を望むような者ではありません。しかし、それ以上に皇帝は狡猾にして小心な男です。アステラが抜けてマズカとマキスィだけで戦争を続ける、という不確定要素の大きい賭けには出ない、というのがわしの見立てです。つまり、アステラと和睦すれば、他の2国も雪崩を打って賛同し、戦争そのものが終了する、というわけです」

後になってわかることだが、「モクジュの邪龍」のこの予測はその後の展開を完全に言い当てていた。だが、このとき宮廷にいた人間で彼の意見に耳を貸す者は誰もいなかった。根拠のないことを言うな。それはただの願望に過ぎない。やはり貴様はただの臆病者だ。諸侯たちは、そんな風にドラクル・リュウケイビッチをひたすらに責め立てた。

(まあ、そうなると思っておったが)

これも予想していたことだ、と白い総髪の騎士は目を閉じて罵倒の嵐をやりすごそうとする。自分の話を聞き入れてくれる上層部だったなら、このような苦境には追い込まれてはいない。

「『邪龍』よ、悪いがその話だけは聞けん」

老人の運命を真に決定づけたのは大侯のこの一言だった。彼が和睦に乗り出そうとしていれば、その後の流れも変わっていたかもしれない。だが、それは指導者の器ではない男には無理な決断であり、「モクジュの邪龍」もそのような希望はもとより抱いていないつもりであったが、それでも心の奥底に欠片ほどの望みがあったのかもしれない。

「殿下も左様に仰られますか」

老騎士の言葉に滲んだ諦念と絶望も大侯の鈍い琴線には響くことはない。

「ああ、そうだ。この戦争に終わりがあるとすれば、敵を打ち倒す勝利のみだ。和睦など有り得ん」

実質を何ら伴わない威勢だけの言葉を聞いて、「左様でございますか」と騎士は深くうなだれる。美しい金髪の女騎士と語り合った時点で既にこうなることはわかっていたが、結局、しかとることはできない、と心を今一度決めていた。

「『邪龍』よ、もう一度戦場に戻ってくれ。この国に赫奕たる勝利をもたらすのは、『モクジュの邪龍』と呼ばれる、そちしかおらぬのだ」

かっ、とドラクルは目を大きく見開いた。

「そのお言葉は、まことでございますか?」

「朕は嘘は申さぬ。ドラクル・リュウケイビッチなくして、わがモクジュは戦い続けることは出来ぬ」

大侯の言葉に、他の諸侯たちも賛同する。さすがに老騎士を攻撃しすぎた、という反省もあったのかもしれない。結局、好き勝手なことを言いながらも、彼らはドラクルを頼りにするしかなかったのだ。

「これはいいことを聞き申した」

将軍がかすかに微笑んだのを見て、大侯は忠実な家臣が翻意して、再び戦ってくれるもの、と信じていたが、それは違っていた。そこからが本当の始まりだった。

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