第48話 大戦終結秘話・アステラ王宮深夜の対決(その6)

(話が違うではないか)

セイジア・タリウスから渡された文書を読む国王スコットの手はかすかに震えていた。そこには戦場で兵士たちが置かれた状況が事細かに書かれていたのだが、それは彼がこれまで官僚たちから受け取っていた報告書に書かれていたものとはまるで違っていて、愕然とするしかなかった。青年が思っていたよりも戦場ははるかに苛酷な環境にあるようであった。

「タリウスよ、この、『靴の不備』というのはどういうことだ?」

官僚たちと話し込んでいたセイは主君の方に向き直り、

「ああ、それは以前、黒獅子騎士団がひどい目に遭った事件ですね。戦場においては靴というのは消耗品なのです。長距離を行軍しているうちに履き潰してしまうので、すぐに駄目になってしまうものですから。そんなわけで、靴が足りなくなって、本国に請求したところ、いつまで経っても届かなくて待ちくたびれたところにやっと来たと思ったら、それがどれもサイズが小さかったようなんです。婦人用か子供用だったのかもしれません。無理して履こうとすれば、肉刺マメが出来たりして足を痛めるかもしれず、そうなると行軍はおろか戦闘もできるはずがない。というわけで、シーザー、レオンハルトのやつは『いっそのこと裸足で戦うか』とまで思い詰めていたのですが、そうなると釘を踏み抜いたりして破傷風になるおそれもあるので、それも無茶な話なんです。そんな風に困っていたのを聞きつけたわたしの部下のアル、じゃなくて、フィッツシモンズが天馬騎士団の予備を送り届けて事なきを得た、という話です。まあ、今となっては笑い話ですが、当時は結構な騒ぎになったものです」

ははははは、とセイは人々の笑いを誘うかのように朗らかに笑って見せたが、謁見の間に居合わせた人間はとても笑顔になるどころではなかった。

(すまぬことをした。悪いことをした)

若き王の顔が後悔に染まっているのを見れば誰も笑えるはずなどなかった。少女がユーモアにくるんで話をしたおかげで、かえって戦士たちの苦しみが痛いほどに伝わってしまったのだ。

「宰相、おまえも読んでみるといい」

青年君主は顔を背けながら文書を侍者に手渡し、

「畏れながら」

その侍者からジムニー・ファンタンゴは文書を受け取る。一読して、王国のまつりごとを預かる男の冷たい容貌にさざなみのように動揺が走る。

(これは)

そこには彼にとって都合の悪いことが書かれていた。といっても、女騎士が誇張して喧伝しているわけではない。戦場における事実を詳細かつ正確に書き留めた結果、不都合になった、というだけの話だ。文章に間違いがあればそこを衝くこともできたのだが、これでは反撃の糸口すら見当たらない。

(わが幕僚にもこれほど的確にデータをまとめられる人間はいない)

まさか騎士団にそれほどの逸材がいたとは、と宰相は心の中だけで舌を巻いたが、それもそのはずで、文書を作成したのはアリエル・フィッツシモンズなのだ。セイの命を受けた少年騎士は短時間のうちに手際よく戦場の現実を数枚の便箋に書き留めてみせたのだ。可愛らしい顔をしてはいるが、アルは学者にもなれる優秀な頭脳と広告屋顔負けのプレゼンの技術を持ち合わせていた。それゆえ、遠く離れた荒野での惨禍が平和な都に暮らす国王にもリアルに伝わったのだ。

(やむを得ん)

奥歯を噛み締めながら、ファンタンゴは策が破れたのを認めざるを得なかった。少女騎士を侮ったがための過ちだ。彼が思っていたよりも彼女は賢い。それを踏まえた上でただちに次善の策に移行しなくてはならなかった。現状の計画にこだわり続ければ、モクジュ侵攻そのものが撤回されるのは、玉座にある若者の沈み込んだ表情を見れば明らかだ。それだけはどうにかして避けなければならない。身一つでのしあがってきた政治家は機を見るにも敏だったのだが、

「タリウス殿はそうおっしゃられますが、われわれも軍のOBの方の意見を取り入れた上で作戦を考えたのです。実際の軍事を軽視したわけではございません」

彼の部下はそうではないようで、尚も自分たちの考えた作戦にこだわり続けていた。

(馬鹿者めが。それ以上粘って陛下のご不興を買ったらどうする)

怒鳴りつけたいところだったが、そのような行為もまた国王スコットがよく思うはずもなく、頭は良いかもしれないが勘の鈍い集団を宰相は黙って睨みつけることできずにいた。

「まあ、それは当然やってくれないとな。現場の意見も取り入れてくれないと困る」

セイはいきり立った官僚たちの言葉を受け流してから、

「それで誰の意見を訊いたんだ?」

と訊ねると、「よくぞ聞いてくれた」とばかりに顔を明るくした男たちは次々と何人もの錚々たるメンバーの名前を列挙したのだが、

「ちょっと待ってくれ」

一通り聞き終えてから、少女騎士は華やかな顔立ちを曇らせてから訊ねる。

「一番肝心な名前がないぞ」

「と言いますと?」

豆鉄砲を食った顔になった官僚たちに向かって、

「レオンハルト将軍の名前がない。あのお方に相談しなくては話にならないではないか」

ぐっ、と禍々しいものを咽喉に詰め込まれたかのように、アステラの中枢にある俊英たちの顔が一瞬で暗紫色に染まる。

「なんだと? まさか、レオンハルトに話をしておらんのか?」

この一連の流れを見ていた国王は思わず声を大きくしてしまう。ティグレ・レオンハルト将軍こそ、高貴な青年が最も深く信頼を寄せる軍人だった。その思いの深さはセイジア・タリウスもかなうものではなかった。

「いずれあなたが王になるからといって、このレオンハルト、一切手心は加えませぬ。いえ、王になるからこそ手心を加えるべきでない、と言うべきでしょうかな」

少年の頃、アステラの王嗣となったスコットの警備を任じられた老騎士は最初の面会で怖い顔のままそのように言い放ち、側近たちの顔を青ざめさせた。だが、当の少年は、

(なんとも頼りがいのある男だ)

一目で「アステラの猛虎」を気に入っていた。言葉の通り、将軍は王国の跡取りに対して常に厳しく接していたのだが、その裏側には確固たる忠誠心があるのが少年にはしっかりと伝わり、日々信頼を厚いものにしていた。彼にとって忘れられない出来事がひとつあった。ある夏の日に野狩りに出向いた際に、突然の通り雨に見舞われて、王嗣の身体を濡らしてはいけない、と急ごしらえのテントに少年は入れられたのだが、老騎士は外に立ったまま黙然と激しい雨にその巨躯をさらしていた。

「そなたも入るがよい。風邪をひいてしまうぞ」

レオンハルトを心配した少年は声をかけたのだが、

「殿下の警備を怠るわけにはまいりません」

ただひとつ残った左眼に光をたたえて、かすかに微笑んだ老騎士は雨中に立ち続けた。その瞬間の感動は、今でも青年の中に残っていて、思い返すたびに身が引き締まるのを感じていた。臣下としての忠義に心を動かされた、ということもあったが、それよりも身分を超えた人と人との結びつきが、青年を正しい方向へと向かわせた、と言った方がいいのかもしれなかった。

「一線を退いたとはいえ、レオンハルトは一流の騎士だ。軍の重要事を相談していないなど有り得ないではないか」

いつも穏やかな主君が興奮しているのに、「いえ、それは、あの」と官僚たちはしどろもどろになる。宰相ファンタンゴの顔色がますます悪くなっているのは、実情を知っていたからだ。実はレオンハルト将軍には既に話をしていたのだ。「アステラの猛虎」の許可を得られれば、もはやGOサインが出たのも同じだ、と考えた秀才たちが勢い込んで王国の田園地帯に隠棲している将軍の元に出向いたのだが、モクジュ侵攻の件を聞かされるなり、

「軽薄才子め。国を傾ける気か」

老人の住まう一軒家が屋根から崩れ落ちんばかりの怒鳴り声で叱り飛ばされた男たちは這う這うの体で逃げ去るしかなかった、という報告を受けた宰相は「勝手な真似を」と苦り切ったものだった。それを王に報告すれば、

「レオンハルトが認めないものを認めるわけにはいかん」

と計画を即座に否定していたに決まっていたから、何も言わないでおいたのだ。宰相は王に虚偽を言ったことはなかった。ただし、あえて告げなかったことや隠しておいたことはあり、「話が違うではないか」と抗議されたときに逃れられる余地は常に用意していた。出世街道を歩んできた者としての当然の心得であり、今まではそれで事は上手く運んでいた。だが、

(わが策は破れた)

ジムニー・ファンタンゴはセイジア・タリウスに視線を移した。彼が心身を擦り減らして実行しようとしていた計画を、この少女が台無しにしたのだ。常に冷静であろうとする男もさすがに感情を抑えかねたのか、細い目が赤く染まっている。しかし、それでも、

(まだ終わってはいない)

老練な政治家は蛇のように執念深く反撃に移ろうとしていた。


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