第42話 大戦終結秘話・「金色の戦乙女」と「モクジュの邪龍」(その10)

「『邪龍』殿がおまえに何か言っていたが、あれは一体何だったんだ?」

モクジュ陣営からの帰り道、連れ立って騎乗していたセイジア・タリウスにいきなり訊ねられたアリエル・フィッツシモンズはむっとした顔になり、

「別に何でもありませんよ。リュウケイビッチ将軍は何か勘違いをされていたようです」

不貞腐れた態度でそのように言うと、女騎士は「ふうん」とだけ言って、それ以上は訊ねなかった。初対面の老騎士に自らの秘めた想いを見抜かれたのは不覚であったが、相手は少年騎士の生まれるはるか前から戦場で生きてきた猛者である。そんな相手を前にして何かを隠そうとするのが無理、と考えた方がいいのかもしれなかった。

(一番気づいてほしい人が気づいてくれない)

不満の対象が老人から思いを寄せる少女へといつの間にか移っていたが、そうやってあれこれ理由をつけて告白を引き延ばしているうちに、やがて事態が混迷していき、思いを告げるのがますます難しくなっていく、ということに、この時点の少年騎士はまだ気づいていなかった。

「団長の提案には驚きましたが、上手く行ってよかったですね」

事前に話を聞かされていなかったのがショックでない、と言えば嘘になるが、それだけ重大な事柄だったのだからやむを得ない、とアルは自分の中で折り合いをつけようとしていた。だが、

「まあな」

部下の言葉にセイはそっけない返事をしてから、

「成功すると信じていたから、わたしとしては特に驚きはない。もうちょっと粘られるかと思っていたが、特に条件を付けられることもなかったあたり、さすがは『邪龍』殿だ。今は何より時間が大切だとわかっている」

やはりそっけなく言葉を付け足した。つまり、少女騎士の予想通りに事は進んだ、ということを知ってアルは目を見開く。勇気や武力を称賛されることが多いが、彼女は知謀においても大いに優れている、というのを副官としてよく知っているつもりではあったが、それでもまだ十分ではなかったらしい。「モクジュの邪龍」を手玉に取るとまでは思っていなかった。

「でも、もしも交渉が失敗していたらどうなさるおつもりだったんですか?」

副長に訊ねられた少女は、斜め右上を見た。濃い灰色の空を背負って鳥が一羽だけ飛んでいた。この戦場には羽を休められる場所など有りはしないというのに、と思ってから、

「言いたくない」

「え?」

「いくらおまえでも言いたくないことはある。だから、聞くな」

顔をこちらに向けてくれないのではっきりとは見えなかったが、それでもセイの微笑みに空虚なものがまとわりついているのを感じて、アルは押し黙った。

(団長は本気だったんだ)

思わず唾を飲み込んでいた。推測になってしまうが、和睦の提案が拒否されていれば、少女騎士は本国からの指令通りにモクジュへの侵攻を実施していたはずだ。そして、長期戦になり被害が甚大なものになるのを嫌って、敵の戦意を挫くためにそれ相応の手段を取ることも辞さなかったのではないか。凄惨で陰湿なやりくちもとっていたはずだった。アルの知る少女は他人への思いやりを忘れない優しい心の持ち主だったが、それでも一流の騎士なのだ。勝利のためには非情に徹することも当然できなくてはおかしい、というものだった。

(そうならなくて本当によかった)

モクジュに侵攻することになっていれば、セイがどれほど傷つくことになっていたか、想像するだけで胸が痛んだ。彼女ならばきっと輝かしい勝利を収めたことだろう。だが、その栄光の裏で「金色の戦乙女」は人知れず涙と血を流し、癒えることのない傷を抱えて生きていかざるを得なくなっていたはずだった。そうならなかったのは、ドラクル・リュウケイビッチの度量によるところも大きかった。彼にとっても厳しく不名誉になりかねない決断だっただろうに、そんな苦悩を見せなかった敵将に、人間としての大きさを見た気がして、少年は素直に感謝したい気持ちになっていた。長きにわたる、あまりにも長い戦乱の世であったが、敵味方を超えて人として通じ合えるものは確かにあるのかもしれなかった。

「戻ったらすぐに、わたしは本国へ急ぐから、後はまかせたぞ」

上官の言葉に我に返ったアルは「はい!」とやや慌てて返事をする。

「オートモさんがいてくれたらよかったんですけど」

一番隊の隊長だったヴァル・オートモは、今回の遠征を前にして国境警備隊に転出していた。少年よりだいぶ年長の実力者でありながら気さくに話しかけてくれる頼もしい存在だったので、

「あの人に何かあったんですか?」

と訊ねてみたが、

「あいつも納得してのことだ。別に喧嘩はしていない」

金髪の少女は言葉少なに笑っただけだったので、それ以上問いを重ねるのは躊躇われた。何か事情があるのだろうか。しばしの沈黙の後、「うん」とセイは一人頷いて、

「ここからが本当の勝負だ。負けていい戦いなどないが、今度ばかりは本当に負けられない」

そう言って前を見つめた。その横顔はいつも通り美しかったが、いつになく凄愴な気に満ちていて、アルは言葉を失ってしまう。そして、あることに気づかされていた。計画が失敗していれば彼女は深く傷ついていたはずだが、成功したとしてもやはり傷つくことは避けられないではないのか、と。だが、気づいたところで今の少年に何かできることはなく、かける言葉も見つからず、ただ黙って少女の横についていくことしかできずにいた。


ナーガは首都ボイジアへと戻る祖父についていこうとしたが、

「おまえは残って務めを果たすのだ」

と言われて引き下がるしかなかった。筆頭である老騎士の不在の間、誰かが「龍騎衆」をまとめなければならないのはわかっていた。敵との和睦を報告しにいく老人を待ち受けている事態を想像するだけで悲鳴を上げたくなるが、しかし、それでも彼女は騎士だった。いかなるときも義務を忠実に果たすべきであり、それが自分を騎士として鍛えてくれた人の思いにもかなうのだ、と思って、口の中が血であふれかえるほどに歯を食いしばり、命令を承った。

「ご武運を」

愛馬にまたがったドラクルのごつごつした掌にナーガはそっと頬を寄せた。いつも将軍の傍を離れることなく面倒を見続ける少女を、

「あれでは孫というより世話女房だ」

とからかい半分で見ていた隊長たちも、今日ばかりは冗談を飛ばすのを忘れて、悲痛な思いで2人の様子を見守っていた。「モクジュの邪龍」の前途に暗黒が待ち受けているのが、彼らの眼にもよく見えてしまっていたのだ。

「うむ」

美しい少女を見下ろしながら老雄は白い髭の間から息を漏らした。彼もまた後に残される孫娘を思って身を切られるかのような思いを味わっていたが、

「ナーガ、おまえはわしにはもったいない、本当にいい娘だ」

と言い残して、南へと向かって旅立った。祖父の後ろ姿をじっと見つめていた少女は、それが見えなくなるのと同時に、がっくりと倒れ伏して泣き崩れた。

(おじいさまにはもう会えない)

それだけはよくわかっていた。運命の逆転を信じられるほどナーガはもう子供ではなかった。

「最少の犠牲で平和がもたらされるならそれに越したことはない」

祖父の言葉を思い起して、ますます涙が止まらなくなる。確かにそれは素晴らしいことのはずだった。だが、その「最少の犠牲」によって何が失われるのか、聡明な娘にはわかってしまっていた。彼女にもこれからいくつもの苦難が待ち受けているはずだったが、そんなことはどうだってよかった。愛する人が無事でいてくれるなら、自分はどうなったっていい。そんな心からの願いが届くことのないまま、無情にも天の扉が閉ざされた音が、ナーガには聞こえた気がした。

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