第36話 大戦終結秘話・「金色の戦乙女」と「モクジュの邪龍」(その4)

アステラ軍とモクジュ軍、両陣営のちょうど中間で2人の騎士は騎乗したまま向かい合っていた。双方の間には距離があって、すぐさま攻撃に移るには遠すぎた。

「アステラ王国天馬騎士団団長セイジア・タリウスだ。突然の申し出を受けてくれたことに感謝する」

白馬にまたがった騎士は朗々たる声で告げた。身にまとった銀の鎧には余計な飾りがなく、戦うためだけに作られた全くの無駄のなさに、見る者はかえって美しさを感じずにはいられなかった。

「龍騎衆筆頭ドラクル・リュウケイビッチである」

黒馬にまたがる歴戦の騎士は重々しく名乗りをあげる。黒く光る鋼の鎧は何度となく補修されたおかげで異様な形へと変化を遂げ、当人の意思とは関係なしに「モクジュの邪龍」をより恐ろしく見せることに成功していた。

「貴殿にお目にかかるのは初めてだが、このようなかたちになったことを喜ぶべきかどうかは迷うところだな」

顔が兜で隠されているおかげでわからなかったが、向かい合った騎士の声は間違いなく少女のもので、今向かい合っているのはまぎれもなく「金色の戦乙女」だと信じるほかにない、と思ったドラクルは、

「おぬし、一体何を考えておる?」

と訊ねていた。娘の意図が読めない苛立ちを年長者らしくもなくストレートにぶつけてしまったのだが、少女騎士は、ふっ、と軽く爽やかに笑みを鎧から外へとこぼして、

「この戦いの後で、わたしの命があったら話せるかもしれない」

と言ってから、ははははは、とのんきに笑ってみせた。これから生死のかかった戦いに臨む人間らしからぬ振舞いに、大将同士の決戦に緊張しきりだった両軍の騎士たちは唖然とさせられたが、

(よき武人だ)

老騎士は非常時においても平常心で動く少女の度胸を認めて感心していた。この娘とならばいい死合いができるかもしれない、と思ってから、相手が十代の若者である事実を忘れることにした。ここにいるのは騎士と騎士、ただ2人だけなのだ。

「では、行くぞ」

「参る」

アステラの騎士は突撃槍ランスを、モクジュの騎士は槍斧ハルバードをそれぞれ右手に掲げ、徐々に近づいていく。焦がれるような感覚に見守る兵士たちが叫びたくなるのをこらえていると、ついに互いの槍の先端と先端とが触れ合い、戦いが始まった。

それぞれの武器が衝突した瞬間、そこは戦場ではなく別の世界へと変貌した。閃光が炸裂し、爆音が轟く、生命が棲むのにはなはだ不適な環境へと変わり果てていた。一合,一合と槍がぶつかり合うたびに、灼熱とともに衝撃波が生まれ、四囲へと拡散された熱風が草木を焦がし、岩を砕いた。この戦域にやってきた騎士たちはいずれ劣らぬ強者ばかりであったが、そのような人間であっても、大将同士の激突を眺めているうちに恐怖心に捕らわれ、もうこれ以上見ていられない、と思わずにはいられなかった。しかし、それと同時に、どうしても見なければならない、と彼らは思ってもいた。人がここまでのことをなし得るのだと、騎士としてこれほどの高みに達し得るのだ、ということをこの目に焼き付けなければならない、と考えていた。戦いに生きる者としての誇りが闘争から目を逸らすことを許さなかったのだ。

敬愛する祖父と強く意識する敵の少女の戦いを金色の瞳で食い入るように見つめているナーガ・リュウケイビッチの胸中はいくつもの荒れ狂う感情が入り乱れて収拾がつかなくなっていた。

(おじいさまの強さはわたしが一番知っている)

ナーガは祖父によく稽古をつけてもらっていたが、彼の打ち込みを一発受け止めただけでも腕には骨まで響く激痛が走り、優秀な少女でも4、5発受けるのが限界だった。思い出しただけでも生きているのが嫌になるくらいの痛みなのだが、にもかかわらず、セイジア・タリウスがドラクルのハルバードを避けることなく真っ向から受け止め、それでもまるでダメージを受けた様子もなく、数十合も将軍と打撃戦を展開し続けているのにナーガは驚きを隠せなかった。そして、自分よりもアステラの少女騎士の方が技量において上回っていることを、その差が決してわずかなものではないことも認めるしかなかった。

(あの女!)

敗北感を憎悪へと変化させながらも、少女の中には別の思いも生じつつあった。リュウケイビッチ将軍が1対1の勝負を挑まれたのを目撃したことは何度もあったが、大抵の場合は一撃で片が付いていた。騎士同士の決闘はまだ5分が経過しただけではあったが、それでもナーガが見た老騎士の戦いでは最長のものとなっていた。もちろん、祖父の勝利を疑ってはいない。だが、これ以上長引けばどうなるのか。モクジュの少女騎士の心の奥で広がっていく不安は、彼女だけのものではなく、龍騎衆の戦士たちは自らの指揮官の勝利が絶対ではない、というこれまでにない状況に迷い込みつつあるのを感じていた。

(妙な娘だ)

部下たちの不安をよそに、「金色の戦乙女」と熾烈な闘争を繰り広げている最中の「モクジュの邪龍」は奇妙な感慨を抱きながら武器をふるい続けていた。50年近く戦いの日々を生きてきたが、このような相手とやり合ったことはなかった。セイジア・タリウスが「最強の女騎士」と呼ばれているのは彼も知っていて、今実際に力を競い合ってその看板に偽りがなかった、と実感してはいたが、「最強の女騎士」は「最強の騎士」ではない、ということもまた感じていた。彼女より強い相手とやり合ったことは何度となくあった。例えば、少女の一撃の威力はティグレ・レオンハルトには及ばないし、疾さと鋭さはオージン・スバルの方が勝っていると思われた。優れた力の持ち主、技に長けた者は老人が見てきた限りでも敵にも味方にもいくらでもいて、その点で比較すれば、セイジア・タリウスは歴代のトップクラスには入れたとしても、ナンバーワンではない、というのがドラクル・リュウケイビッチの評価だった。しかし、もし仮にトップクラスの騎士たちが争ったとしても、この少女は勝利を収め、生き延びるに違いない、という思いも経験豊かな英雄の中にあった。

(この娘には陰がない)

そう思われてならなかった。老人の知る限り、騎士には陰がつきものだった。それもそのはずで、騎士の仕事は人を傷つけ命を奪うことにあるのだ。王のため国のため人のため愛のため、などという偉大な理念のもとに戦ったとしても、所詮人殺しには違いなく、破壊の結果としてつきまとう暗い影を追い払えるものではなかった。「アステラの猛虎」だろうと「蒼天の鷹」だろうと汚点を拭い去ることはできず、そして他ならぬ彼自身が過去の罪業の重みをひしひしと感じながら日々を生きてきたのだ。だが、目の前の娘は違う。その動きに、その思いに全く暗いものがなかった。若すぎて自覚もないまま戦っているのか、と思ったが、未熟者がドラクルの攻撃を受け続けられるはずもなく、自らの罪深さから目を逸らすような卑怯な態度をとる者が、これほどすさまじい槍を振るえるはずがない、と龍騎衆を統率する白髪の騎士は考える。では、何が彼女を動かしているのか、そう思った刹那、重く垂れこめた雲の隙間から一筋の朝の光が差し込み、少女騎士のまとった銀の鎧を眩いばかりに照らし出し、ドラクルの使い古した網膜を灼いた。

(貴様は日輪と共にあるのか)

「モクジュの邪龍」の内部に強い確信が生じる。太陽が無限に燃焼を続けるがごとく、少女の生命力は負の想念を焼き尽くし、ひたすらに前を向いて善いものだけを追い求めているのだ。だからこそ、セイジア・タリウスの一撃は老人の心に響くのだ。

(なんとも面白い)

いつしか英雄は戦いを楽しんでいた。宿敵レオンハルトが戦場を去って以来久しく忘れていた熱情の甦りを感じながら、相手を打倒すべくひたすらに槍斧を振り下ろし続ける。少女の槍を受け止めるごとに、彼の中に溜まっていた黒い澱が消えていき、清冽な空気が老いた肋の間に満ちるのを感じる。今の自分が人生で一番若い。そう思えたドラクル・リュウケイビッチは横薙ぎに大きく槍を振るう。それと同時にセイジア・タリウスも渾身の攻撃を繰り出し、槍と槍とが交錯し、双方の頭部めがけて弧を描いていく。期せずして、両者はその日最高の一撃を放っていた。

(おじいさま!)

緊張感に耐えられなくなり、声にならない叫びと共にナーガは顔を背け目を閉じてしまう。刃と鎧が噛み合う鈍い金属音が荒野に響き渡り、戦況を見守っていた男たちのどよめきとともに「蛇姫バジリスク」の耳を打った。少女が恐る恐る目を開けると、一対の騎士がそれぞれの喉元に槍を突きつけ合っているのが遠くの方に見えた。

(相討ち?)

ナーガと同じことを、果し合いを見つめていた全ての騎士たちが考えていたが、そうではない、と知っていたのは現に戦っている2人の騎士だけだった。

(やられた)

ドラクル・リュウケイビッチの微笑みが必要以上に猛々しかったのは、敗北を認めるしかなかったからだろう。セイの突撃槍ランスの先端が彼の左の首筋に潜り込み、頸動脈が切り裂かれる寸前になっているのに対して、老騎士のハルバードの切先は少女の首のほんの僅か手前でぴたりと静止していた。遠目ではわからないが、両者の距離には歴然たる違いがあり、勝敗は明らかだった。

(悔いはない)

最後の最後でいい勝負ができたのに満ち足りた気分になった老騎士はすっかり人生の終焉を迎える心構えになっていたのだが、いつまで経っても槍が動かないのを訝しく思っていると、はあはあ、と激戦で乱れた息が整わないままに、敵の少女が話しかけてきた。

「明日、貴殿と会談を持ちたいのだが、よろしいか?」

なに? と叫びそうになったが、大声を出したはずみで傷が深くなると即死してしまいかねないので、どうにか声を飲み込んだ。

「よろしいか、と訊いているのだ」

今更何を話し合うことがある、とか、おまえの槍が邪魔で答えられんのだ、とか、言いたいことは色々あったが、とりあえず、

「心得た」

と小さく呟くしかなかった。すると、

「いい返事だ」

と満足げな声と共に槍が引かれ、老人の皺の寄った首はようやく自由となる。

「じゃあ、わたしがそちらの陣まで伺うから、明日はよろしく頼む」

背中を向けてさっさと帰っていく少女の背中に、「どういうつもりだ」と呼び掛けて説明を求めようとしたが、

「さすがは『邪龍』殿だな。聞きしに勝る強さだ。いやはや、全く恐れ入った」

凜とした声に誘われて、白銀に輝く鎧の周りに花びらが舞い散るのが見えるかのようだ。兜で覆われていても娘が満面の笑顔になっているのがよくわかって、老人は何も言えない。

(そんなわしに勝ったおぬしはどれほど強いというのかよ)

すっかり毒気を抜かれた老騎士はそんな愚痴を胸の裡でこぼすことしかできず、去り行く少女を止めることもできなかった。





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