第29話 2人の騎士、対決する(その7)

「おれの負けだ」

自ら敗北を認めたにしては、シーザー・レオンハルトの表情は明るく、身体からは生気がみなぎっているのが感じられ、まるで敗者には見えなかった。それだけに、あまりに唐突な宣言に訓練場にいた誰もが彼の意図を図りかね、言葉を失っていた。当然のことながら、一番驚いていたのは対戦していたアリエル・フィッツシモンズだった。

「なんで?」

上官に対する口の利き方を忘れてしまうほどに少年は驚愕したのか、あるいは疲労していたかもしれない。細かいことにこだわらない性格のシーザーは部下の言葉遣いを咎めることもなく、「いや、なに」と鼻の頭をぽりぽり掻きながら若干気まずそうにして、

「おれの考えでは、もうちょっと楽に勝てるはずだったんだ。こんなに長いことかからずに終われるはずだった」

そこで顔を上げて表情を引き締めてから、

「だが、思ってたよりずっと、おまえは強くなっちまってた。だから、こうするしかない」

「だから、どうしてなんですか? どうして自分から負けを認めるんですか?」

思わず詰め寄ったアルの顔をシーザーはしっかりと見つめる。

「これ以上やり合えば、どちらかが洒落にならない怪我をすることになる。もうこれ以上はやらない方がいい」

なんだそれ。アルの中に煮えたぎるような怒りが生じる。自分がどれほどの覚悟でこの戦いに臨んできたのか。その思いを踏みにじられた気がした。怪我をしたって、命を落としたってかまわない。ここまで戦っておいて、今更そんなことを言うなんて、卑怯じゃないか。臆病じゃないか。そんな少年の思いを知らずに、シーザーは話を続ける。

「おれたちは陛下に仕える騎士だ。全身全霊を陛下に捧げている以上、私闘でその身体を損うわけにはいかない。それに、あいつだっておれたちが怪我をするのを喜ぶわけがない。いや、それどころか怒られて殴られるかもな。まあ、その方がひどい怪我をしそうだが」

脳味噌が筋肉で出来上がっているとばかり思っていた騎士団長が意外にも筋の通った説明をしてきたので副長は驚く。

(確かにセイさんには怒られそうだ)

と一定の説得力を認めざるを得なかったが、うーん、と唸った後で、「いや、そうじゃねえな」とシーザーは逆立った髪の毛をぐしゃぐしゃとかき乱して、

「はっきり言っちまうが、おれはおまえを傷つけたくねえんだ。大事な部下を再起不能にしちまったら一生後悔するに決まってる。それくらいなら」

「負けを認めた方がいい、と?」

ああ、とシーザーは部下の問いかけに重々しく頷いた。

「そうなると、ぼくがセイさんに告白することになりますよ?」

「まあ、確かにそれは嫌だが、後からでもどうにでもなる、と思うことにするさ」

先攻されてから逆転したことは戦場でも何度となくあった。恋も同じようにやってやるさ、と思った青年は傷ついた唇に笑みを浮かべると、

「だから、今回はおまえの」

勝ちだ、と言おうとして、

「ふざけないでください!」

少年の絶叫が夕刻のフィールドに響きわたる。細く引き締まった身体が震えているおかげで、鎧が音を立てているのが聞こえてくる。

「おい、アル、おまえ」

「そんな勝ち方をして、ぼくが喜ぶとでも思ってるんですか! ぼくを見損なうんじゃない! シーザー・レオンハルト!」

熱い涙を噴きこぼしているアルを見て、シーザーは過ちに気づいていた。おのれの矜持に従ったがゆえの行動が少年のプライドを傷つけたのだ。青年の思いはどうあれ、少年は勝ちを譲られたのだ。それを良しとする人間が、一流の騎士になれるはずもない。

「悪い」

謝りはしたが、シーザーは自らの決断を変えるつもりはなかった。戦いをやめると決めたのが過ちだったとしても、続けるのはそれ以上の過ちに違いなかった。ならば、どちらを選ぶのかは、あまりに明白すぎる。

(負けだ。ぼくの負けだ)

少年の涙には誇りを傷つけられた痛みだけでなく、敗北を認めた苦みも含まれていた。これ以上戦った場合、シーザーは「どちらかが怪我をする」と言っていたが、それは違うと、怪我をするのは自分だけだ、とアルにはわかっていた。「アステラの若獅子」はまだ余力を残していて、まだ心からの本気を出してはいない。それを出されたら、今の自分はひとたまりもないだろう。騎士として負けたことを認めざるを得なかったが、それ以上に人間としても負けた、とアルは思っていた。

(ぼくはレオンハルトさんを殺すつもりだった)

一瞬ではあっても殺意を抱いたのは間違いなかった。だが、シーザーはそんな少年を思いやっていたのだ。心身共に苛酷極まりない状況でも、決して負けられない戦いの場でも、温かい心を忘れることなく、優しさを捨ててしまうことはなかったのだ。勝利のために人間らしさを失くしてしまったなら、そんな勝利に何程の意味があるのだろうか。その勝利を彼女が喜んでくれるのだろうか。危うく道を踏み外すところだったのに、それを青年が止めてくれたのにアルは気づいていた。

「ぼくの負けです」

だから、そう口にしていた。それ以外にできることはなかった。これからも騎士の道を歩もうとするならば、そうすべきだった。

「いや、おれの方が先に『負けた』って言っただろ」

シーザーが文句を言うが、

「レオンハルトさんがどう考えてるかは関係ありません。客観的に見て勝敗は明らかなんです」

「あん?」

相手の言っていることが理解できずに野性的な青年は首を捻るが、次の瞬間、聡明な少年が膝から崩れ落ちたのを見て驚愕する。

「おい、アル」

ははは、とアルは力なく笑って、

「見ての通りです。残念ですが、ぼくにはもう力が残っていないんです。戦うどころか、立っていることもできないんです」

それが秘策の代償だ、というのを見守る騎士たちも理解していた。戦闘中の相手の槍に飛び乗るという絶技に体力と集中力を使い果たしたのだろう。

「ぼくもまだ戦いたいんですが、こうなってしまってはさすがに負けを認めるしかないんです」

肩で荒く息をしながら少年は茶色い瞳を上官へと向けて、

「ねえ、レオンハルトさん。ぼくを卑怯者にしないでくださいよ」

部下の懇願をシーザーは真っ向から受け止める。自分と同じく、アルにも勝敗よりも大事な物があるはずで、それは丁重に扱われるべきものだ、と同じ騎士として理解していた。

「ああ、わかった」

しばらく黙ってから、

「今日のところは、おれの勝ちだ」

「参りました」

凄絶な戦いの果てに、勝者と敗者はそれぞれの健闘を称え合い、互いに頭を下げた。

「え、ちょっと」

アルが驚いたのは、シーザーが肩を貸してきて立たせてくれたからだ。この人、こんなに部下思いだったっけ? と戸惑ったが、

「負けたんだから、おとなしく言うことを聞いておけ」

ぶっきらぼうに言われて、「確かに部下思いだった」と思い直してまた涙が止まらなくなる。傷ついた心には優しさがひときわ沁みてしまう。

「なあ、おれがどうしておまえに勝ったのか、わかるか?」

「ぼくの方が弱かったのは重々承知してますから、自慢しないでくださいよ」

「そうじゃねえよ。いいから黙って聞いてろ」

シーザーは夕焼け空を見ながら目を細めて、

「おれの方がおまえより2歳上だからな。もし、逆だったら、今頃おれの首がそこら辺に転がっていたはずだ」

年齢は個人にどうにもできるものではない。つまり、才能や努力で劣っていたから負けたわけではない、と部下を励ましているつもりなのかもしれなかった。

(かなわないな)

アルは改めて上官の度量に感服し、そして「この人のために働こう」と改めて心に誓う。普段は口答えばかりしているが、それでも副長として団長に深い敬意を抱いていた。ははは、とシーザーがいきなり笑って、

「あいつら、何泣いてるんだ」

そう言われて見てみると、自分たちの戦いを見守っていた騎士たちが揃いも揃って全員号泣しているではないか。ううううう、と嗚咽を漏らしながら、溢れ出る涙を拳で拭っている。男と男の魂のぶつかり合いに、同じ男として感極まったのだ。そして、王立騎士団の一員であることを誇りに思っていた。シーザーもアルも意図しないことではあったが、騎士団の結束がより一層強まる結果となったのだから、2人の戦いは決して無駄ではなかったのだろう。

(大きな男になったな、シーザー)

父であるレオンハルト将軍も心を動かされていた。裏通りで拾い上げた悪童が、一人前の、いやそれ以上の人間として堂々と成長したことをひそかに喜んだつもりだったが、隻眼がかすかに潤んでいて、息子への思いを隠しきれてはいなかった。

「お2人がいらっしゃれば、騎士団は安泰でしょうな」

戦いに敬意を払ったのか、帽子を脱いだカデナ老人に話しかけられて、「うむ」と老騎士は頷いてから、

「では、帰ることにしよう」

と歩き出す。

「シーザー様に会っていかれないのですか?」

慌てて話しかけた庭師に、

「無用だ」

無愛想に言い切ってから、

「カデナよ、達者で暮らすのだぞ」

とだけ言って、木立の奥へと姿を消した。

「将軍閣下もどうかお元気で」

小柄な老人が深く頭を下げたまま、しばらく上げなかったのは、「アステラの猛虎」への敬愛の念がそれだけ深いせいなのかもしれなかった。

「でも、本当によかったのか?」

シーザーに話しかけられて、

「何がです?」

アルがきょとんとした表情になる。

「いや、おれが勝ったわけだから、先にセイに告白できることになったんだが、おまえはそれでよかったのか、と思ってな」

「別にいいんじゃないですか。逆にそっちの方がいい気もしてきましたから」

肩を貸されながらも少年は事も無げに呟く。

「どうしてそう思うんだよ?」

「物は考えようですよ。団長が先に告白したら、セイさんは『うわ、キモッ!』って断るに決まってるじゃないですか。ブサメンにコクられてブルーになっているところへぼくが登場したら、『アル、大好き!』って抱きついてくれるんじゃないかと思いまして」

「決まってねえよ! 誰がキモいんだよ! 誰がブサメンだよ! てめえ、よくもまあ、そこまで都合のいい考え方ができるもんだな」

「ぼくから見れば、あなたの方がずっと都合のいい考え方をしてますよ。あなたみたいな野蛮人がセイさんと釣り合うわけないじゃないですか。なのに、告白しようだなんて、どれだけおめでたい脳味噌をしてるんですか」

「て・め・え。なんだったら今からもう一度やり直してもいいんだぜ?」

「望むところです。おかげさまでだいぶ体力も回復しましたから、決着をつけましょうか?」

肩を貸した方と貸された方が真剣に睨み合うのも奇妙な図であったが、そのとき駆け出してきた団員たちに2人はたちまちもみくちゃにされて、決闘の再開はうやむやになってしまった。

「セイがおれの恋人になって、おまえが泣きわめくのが今から楽しみだぜ」

「そんなこと、天地がひっくり返っても有り得ませんから」

2人の舌戦はなおも続いたが、ともあれ、壮絶な死闘の末に、シーザー・レオンハルトがセイジア・タリウスに先に告白する権利を得たのであった。


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