第20話 女騎士さん、村に戻る(後編)

「だいかん、ですか?」

アンナに問いかけられたセイは、

「ああ、そうだ。離れた土地を治めるために中央から派遣される人間を『代官』というんだ。およそ200年前にわたしのご先祖様が手柄を立ててジンバ村を領地として頂いたのだが、なにぶん遠く離れすぎている、ということで代わりの者を行かせることにしたんだ。それがレセップス、あの侯爵の先祖、というわけだ」

よっ、と軽快に手綱をさばきながら女騎士は話を続ける。

「だから、レセップス家というのは、もともとは役人だったんだよ。そういうことは向こうの屋敷にあった資料を読んでわたしも初めて知ったことなのだが」

侯爵の館に残されていた書類は膨大なもので、一通りチェックするのにかなりの時間を要したが、苦労の甲斐あって、セイはジンバ村をめぐる事情をほぼ把握していた。

「旦那様の家はもとから貴族ではなかったんですか?」

驚く田舎育ちの娘に「違うんだな」と金色のポニーテールを揺らしながら騎士は得意げに笑いかける。

「代官になるのはさほど位の高くない役人なんだ。最初にこの地方に来たレセップス氏は真面目に仕事をしようとしたらしいのだが、山奥ゆえにさほど収入が上がらないこともあって、努力しても無駄だと早い段階で諦めてしまったらしい。それに加えてわがタリウス家の方でも熱心に管理をしなかったようで、報告がなくても督促をしなかったどころか、村から徴収した金を要求することもなかったらしい。よく言えば鷹揚だが、悪く言えば大雑把だ」

自分もその家の血を引いている、と思うとセイは皮肉な笑みを浮かべずにはいられなかった。

「そんなわけで、ご先祖様の監督不行届もあって、レセップス氏は次第に好き放題をやり始めた。ジンバ村のみならず、他の村からも集めた金を我が物として私腹を肥やし出したのだ。そして、貯め込んだ財産を投じて爵位を手に入れ、めでたく、と言っていいのかわからないが、貴族の仲間入りをしたわけだ」

「爵位って買えるものなんですね」

素直に驚くアンナに、

「世の中に金で買えないものはないらしいからな」

わたしはあまり好きな考え方ではないが、と付け加えた女騎士は、

「だからまあ、なんというか、あの侯爵にも同情の余地はあるのさ。きみのような娘を無理矢理連れてきて、召使にしたばかりかひどい扱いをしていたのも、税金をえげつなく取り立てていたのも、あの男が始めたわけではなく、レセップス家が代々そのようなやり方をしていたわけでね。ある意味、伝統を忠実に守る律儀なやつ、と言えなくもない」

へえ、と一応感心してみせたが、アンナはセイの話にあまり興味が持てないでいた。もともと、家事や身の回りのことにしか関心がなく、政治とか戦争とか神様とか、難しいことは他の人が考えてくれたらいい、と思う娘なのだ。だから、自分を救ってくれた美しい騎士が調査の結果を詳しく説明してくれているのを申し訳なく思っていたのだが、

「でも、大丈夫なんですか? わたしにはよくわかりませんが、旦那様が言っていたみたいに、裁判になったら大変なんじゃないですか?」

そう言ったアンナは「裁判」がどういうものなのかわかってはいなかった。言葉の響きからして、とても恐ろしいものだろう、となんとなく想像はしていたのだが。

「心配には及ばない」

娘の不安は杞憂にすぎない、と言わんばかりにセイは快活に笑ってみせた。

「こちらに有利な資料は山のようにあるんだ。そもそも、きみの村にある帳簿を見たときから、おかしい、とずっと思ってたんだ」

そういえば、とアンナは思い返す。用事があって村長の家まで出かけたら、去年亡くなった先代の村長が机に向かって熱心に何かを書いていたのを、何度となく見たものだった。後を継いだ息子は父親の真面目な性格も受け継いでいるから、同じように書類を作り続けていることだろう。

「どう見ても税金を取りすぎていた。ろくでもないやつが領主らしい、と思っていたところに、モニカが泣いているのを見かけて、話を聞いてみて『決まりだ』と確信したわけだ」

懐かしい名前を耳にしてジンバ村で生まれ育った少女は顔を上げた。モニカ。妹はどうしているのだろう。目の前を行きすぎていく木立ちに見覚えがある気がした。故郷に近づきつつある、と思ったアンナの胸が温かくなる。

「もし必要とあれば、他の村にも助けを求めてもいいし、侯爵に訴えられてもどうってことはないさ」

後ろの娘が感情を昂らせているのにも気づかず、セイはもう一度笑おうとして、

「ん?」

前方に異常を感じて荷馬車を止めていた。何かが道をやってくるのが見えた。最初は豆粒ほどのものだったのが、見る見るうちに大きくなってきたので、かなりの勢いで接近しているとわかる。女騎士はすぐにその正体に気づいて叫んだ。

「『ぶち』! 『ぶち』じゃないか!」

白い斑点のある茶色い身体は、間違いなく彼女の愛馬の「ぶち」だった。主人を見つけた「彼」は、ひーん! と嘶くと、足を止めることなくセイの元へと近づいていく。その勢いに恐れをなした荷馬車を引いていた青毛の馬が道の脇に逃げようとしたおかげで車体が大きく揺れて、「きゃっ」とアンナは小さく声を上げてしまう。

「なんだ、おまえ。わざわざ迎えに来てくれたのか。可愛いやつめ」

愛馬の首を抱きながら、ははははは、とセイは陽気に笑ったが、

(おれをほったらかしにしやがって。馬鹿野郎この野郎)

「ぶち」は目に涙を浮かべながら、主人の白い顔をべろべろと舐めまわす。女騎士の不在が余程に堪えたようだった。

「その子、セイジア様のお馬さんですか?」

見慣れない大きな馬が興奮しているのにびくびくしながらアンナが訊ねると、

「ああ、そうだ。『ぶち』と言って、見た目はおっかないが、実は優しくていいやつなんだ。わたしのいない間にモニカに世話を頼んでおいたのだが」

どうしてこんなところに、と女騎士が思っていると、

「もう、だめじゃないの。勝手に飛び出したりして」

そのモニカが、はあはあ、と息を切らしながら駆けてくるではないか。突然走り出した「ぶち」を追いかけようとしたのだが、少女の脚では追いつくのは難しく、かなりの距離を走らされる羽目になっていた。

「やっと追いついた、って、あれ、セイジア様?」

目当ての馬と一緒にいる女騎士を見つけて村娘の動きが止まる。自分を助けてくれた恩人だ。見忘れるはずもない。

「やあ、モニカ。長い間留守にして済まなかったな。こいつが迷惑をかけなかったか?」

いえ、と答えたモニカだったが、その視線はセイでも「ぶち」でもなく、荷馬車から降りた人物に釘付けになっていた。毛布にくるまっているその人もこちらを向いている。それが誰なのかに気づいた少女は全身を震わせる。

「おねえちゃん」

「モニカ」

2人の目から大粒の涙がこぼれ落ちていた。お互いを大事に思いながらも、別離を強いられていた姉妹が今やっと再会することができたのだ。どちらともなく駆け寄ると、2人は強く抱きしめ合う。

「ごめんね。ずっと帰れなくて。あなたひとりで家の仕事をするのは大変だったでしょう?」

謝る姉に、

「ううん。それは大丈夫。でも、おねえちゃんがいなくて、とてもさみしかった」

妹が答えると、後は何も言えないまま、アンナとモニカの2人は泣きじゃくった。

(姉妹というのは、いいものだな)

微笑みを浮かべながらも、セイの目には涙がにじんでいた。わたしも姉か妹がほしかった、と思ってから、姉のような人がいるじゃないか、と気づく。いつも優しく、時には厳しく見守ってくれた大事な人だ。

(リブに会いたい)

そう思うと余計に涙がこみあげてくる。出来ることなら会いに行きたいが、都に戻れる機会がいつ訪れるのかわからない以上、親友といつ会えるのかもわからない。思わず弱気になったセイだったが、

(なんだよ。しょぼくれるんじゃねえよ。おれがそばにいるじゃねえか)

その気持ちを知ってか知らずか、「ぶち」が鼻面を女騎士の身体にこすりつけてくる。

「ははは。なんだよ、『ぶち』。くすぐったいな。やめてくれったら」

愛馬の過剰ともいえるスキンシップのおかげで涙を忘れるのに成功したセイジア・タリウスの目に、村の方からまた誰かがやってくるのが見えた。こちらに近づこうとしていた初老の男が立ち止まったかと思うと、がくり、と膝をついて手で顔を覆って泣き崩れた。

「お父さん」

アンナとモニカの姉妹が揃って叫んで、男に駆け寄る。父親のベルトランが村から飛び出した末娘を心配して追いかけてきたところ、長女が戻ってきたのに気づいたのだろう。路上に蹲ったまま肩を寄せ合う親子3人を女騎士は優しく見守り続け、

(よくわからねえが、悪くねえ眺めだな)

「ぶち」もこの馬にしては珍しく、人間に対して好意的な感想を抱いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る