第9話 女占い師、発破をかける(前編)

「そんな」

アリエル・フィッツシモンズががっくり肩を落とす一方で、シーザー・レオンハルトは机に向かいながら口をへの字に曲げていた。

「じゃあ、やっぱりセイは何も言ってなかったのね」

予想通りではあったが、リブ・テンヴィーは溜息をつく。セイジア・タリウスが都を去り東の国境近くの村へ旅立ったのをシーザーとアルに告げるために、彼女は王立騎士団本部の団長室まで来ていた。

「ゆうべ、『くまさん亭』に行ったときにノーザさんに話したら、あの人も何も知らなかったから、『まさか』と思ったんだけど」

深い青のロングドレスを着た占い師が腕を組むと胸が押し上げられてそのボリュームがより強調されたが、混乱しきった2人の騎士はそれを気にするどころではないようだった。

「明日にはみんなが知ることになるから、その前に2人には知らせておこうと思ってね」

「なんでみんなが知るんだ?」

シーザーがむっつりした顔のままで訊ねる。

「ここに来る途中でユリさんに会ってセイの話をしたら、あの子も何も知らなかったみたいで『ひええええええ!』って叫んで、そのまま新聞社に走って行っちゃったから、間違いなく明日の朝刊には載ると思うわ」

なるほど、とシーザーとアルは納得する。ユリ・エドガーが「デイリーアステラ」の記者だというのは2人も知っていた。憧れの女騎士の突然の行動にパニックになりながらも事情をしっかり聞き出していたのは若くても記者として基本ができている、とリブは感心していたが、そこまで説明する必要もないので黙っていた。

「ちなみに、『くまさん亭』のおかみさんは、セイさんがいなくなったのを知って、なんて言ってたんですか?」

少年副長が訊ねると、

「『ああ、そうかい』ってそれしか言わなかったわ」

そのときのノーザ・ベアラーの浮かべた表情に込められたいくつもの感情を占い師は思い出す。失望と驚きと落胆が入り混じった複雑な顔をしていた。

「そんな」

恋する女性が遠くに行ってしまったのに耐えきれず、アルがもう一度そう言った直後に、どかっ、と大きな音がした。シーザーがデスクにブーツを履いたまま両足を乗せてふんぞりかえっていた。騎士団長にあるまじき行儀の悪さだが、何人の注意をも跳ね返すほどの怒気が彼の全身から溢れ出ていた。

「気に入らねえな」

呟きよりは唸り声に近かった。

「あいつとは長い付き合いだっていうのに、どうして何も言わずに行っちまうんだ? 水臭いにも程がある」

「アステラの若獅子」として他国から恐れられる若者から発散される怒りが部屋中に充満していくが、

「2人ともあのときのわたしの気持ちをわかってくれたみたいね」

そんな憤りをあっさり受け流しながらリブは微笑んだ。

「なんだよ、姐御。『あのとき』っていうのは?」

「セイが騎士団を辞めて家に帰っちゃったときのことよ。シーザーくんとアルくんはあの子が帰る前に会えたみたいだけど、わたしには何の知らせもなかったのよ」

「そうだったんですか?」

初めて当時の事情を知ったアル、そしてシーザーも驚く。

「だから、今度のこともあまり驚きはないわ。セイはたぶんお別れをするのが苦手なのよ」

あるいは、心ならずも都を離れなければならなかった無念さが女騎士の行動に現れていたのかもしれない、とリブは考える。表面上は平静を装っていても、胸の奥では葛藤を抱えていたのかもしれない、と思うとやりきれなくなってしまう。

「そうは言ってもな。何か一言二言、挨拶してくれてもいいじゃねえか」

「ええ。それはぼくもとても寂しいです」

愚痴をこぼす男たちを美しい占い師は冷たく一瞥すると、

「情けないわね」

と一刀両断する。

「は? 情けない、だと?」

不満をあらわに睨みつけてきたシーザーの視線をリブは真っ向から受けて、

「ええ。情けない、としか言えないわね。わが国が誇る騎士団長さんと副長さんが揃いも揃って、好きな女の子に逃げられて泣き言を言っているのを、情けない、以外にどう表現したらいいのか、わたしの頭では思いつかないわ」

数々の死闘を生き延びてきたシーザーとアルも目の前の女性の堂々たる貫禄には何も言い返すことができない。

「せっかくだから、坊やたちにひとつ教えてあげることにしましょうか。あのね、どんな時代だろうとどんな世界だろうと、女の子に自分からアタックできない男って駄目に決まってるのよ。『向こうから好きって言ってくれないかなあ』ってドキドキして待ってるだけの男なんて、フラれるのが怖くて何もしない男なんて、こっちから願い下げだわ」

「うっ」と2人の騎士が思わず呻いたのは占い師の言葉が的確に急所を抉ってきたからだ。思い当たることが多すぎた。

「いや、でも、こんないきなり、あんな遠くまで行かれたら、こっちとしてもどうしようもないんじゃ」

慌てて反論するアルに向かってリブは溜息をつくが、少年にはそれが竜の息吹に感じられてしまう。相対した人間を容赦なく焼き焦がす必殺の呼吸だ。

「見損なったわ。アルくんともあろうものが、そんな泣き言をいうなんて。あなたのセイへの思いはその程度のものだったの? いい? 本当に好きなら、どんなに離れていても、どんなに時間がかかっても関係ないはずよ」

じろり、と占い師の紫の瞳に射すくめられてシーザーとアルの身体が硬直する。

「まあ、それで諦めるなら、あなたたちの恋心なんてその程度のものだった、っていうことになるんでしょうけどね。そんな程度の低い男につきまとわれても、セイも迷惑でしょうから、早目に諦めてくれた方がいいのかもね」

リブがそう言い切る前に、

「そんなわけあるか! おれは真剣にあいつを」

「舐めないでください! ぼくだってセイさんを心から」

騎士団長と副長が憤然と言い返していた。2つの身体から発する炎で室内の温度が急上昇していくように思われた。

(2人ともかわいいわね。見え見えの挑発に乗ってくれちゃって)

女占い師は美しい顔を綻ばせて、

「はいはい。わかったから、落ち着いてちょうだい。2人がセイを大好きなのはわたしもよくわかってるから、怒らないで」

いじめてごめんね、とリブに嫣然と微笑まれて、それ以上反抗できる人間はこの大陸には存在しないはずだった。

「でも、考えようによっては、2人にとってこれはチャンスかもしれないわね」

「チャンスだと?」

そう唸るシーザーの方を女占い師は見て、

「ええ、そうよ。見知らぬ土地で一人きりで心細い思いをしているセイのところにあなたたちが来たら、あの子もとても喜ぶんじゃないかしら? もしかしたら、今まで以上の関係になれちゃうかもしれないわね」

おお、と騎士たちは身を乗り出して顔を輝かせる。きつい鞭の後に甘い飴玉をしっかり与える、アステラ王国ナンバーワンの占い師一流のやりくちにまんまと乗せられているのに2人ともまるで気づかない。

「あ、そうか。セイが何も言わずに行っちゃったのも、あなたたちに追いかけてきてほしかったからかもしれないわね。そうね、あの子はきっとあなたたちのことを待っているに違いないわ」

「そうか、そうだったのか!」

シーザーが立ち上がって叫ぶ。

「セイさん、寂しい思いをさせてすみません。今すぐに行きますから」

アルが瞳を輝かせてつぶやく。2人ともすっかりやる気になっているのは明らかだった。

(いい加減進展してくれないと、こっちも張り合いがないのよ。男の子たちには頑張ってもらわないと)

2人の有能な戦士を思いのままに操るリブ・テンヴィーの手練手管はまことに恐るべきもので、そんな超絶的なテクニックをセイジア・タリウスをめぐる三角関係を楽しみたい、というだけの理由で駆使するのもある意味恐ろしくはあった。

(でも、セイもちょっと変わりつつあるのよね)

占い師は友人の変化にも気づいていた。近頃のセイはシーザーとアルの話題を持ち出されると、妙に口ごもることが多くなっていたのだ。

(いずれにしても、今後の展開が楽しみだわ)

恋心を燃え上がらせるシーザーとアルを見ながら、リブは早くもお酒が飲みたくて仕方なくなっていた。彼女にとって、他人の恋愛模様は最高の酒の肴でもあったのだ。

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