第100話 計画は進む(後編)

夜のアステラ王宮の廊下を歩く宰相ジムニー・ファンタンゴの足取りは重かった。一国の政治を預かる者として日々激務に臨んでいたのだが、最近はとりわけ多忙を極めていた。そのきっかけとなったのは新年早々に首都チキの貧民街を国王スコットが直々に視察に訪れたことだった。壁や屋根に穴の開いたあばら家で申し訳程度の粗末な服を着て暮らしている人々を目の当たりにした王は衝撃を受け、

「このままにしてはおけない」

と救済策を取ることを決意したのだ。弱者に対する社会保障を充実させるようファンタンゴをはじめとした部下に命じるとともに、首都郊外の開けた土地に住宅街を建設するなど、インフラの整備を急がせ、それらの工事にスラムの住民を優先的に従事させることも命じていた。手に職を与えることで自立を促す狙いがあるものと見て取れた。

(なかなか現実的な案だ)

宰相は主君に対する評価を改める必要を感じていた。若き王はただ優しいだけでなく、優しさを現実のものとするしたたかさも併せ持っているようだ。戦争が終わって、王国も体制の改変を迫られているところだったので、労働者の需要はいくらでもあったのだ。しかしながら、

「費用が足りませぬ」

臣下としてそう諫言しなくてはならなかった。アステラはマズカやモクジュのような大国ではなく、支出できる金には限りがあった。だが、王は顔色を変えることなく、

「貴族に出させれば良い。弱者に手を差し伸べるのは高貴なる者の責務である」

倫理としては正しいのかもしれなかったが、政治としては正しいとは言いかねる案だった。「その通りだ」と応える貴族など皆無に等しい、と想像はつく。無能な癖にプライドだけは高い連中に宰相も日々悩まされていたのだ。激しい抵抗をされるだろう、と考えたファンタンゴの表情を読んだのか、国王スコットは微笑んで、

「余が手本を示すことにしよう。出来る限り出費を切り詰めるのだ」

倹約を決めた王に側近たちは「なりませぬ」と反対の意思を示した。国の頂点に立つ者として威厳を損なう恐れがある、と考えたのだろう。だが、

「民を踏みつけにしてまで偉ぶろうとは思わぬ」

そう言い切った王の顔には崇高さすら感じられ、逆らったところで無駄だと誰もが理解する。国王スコットはその後の治世においても、社会的弱者を積極的に救済していったことで、大陸の歴史にも名君として名を残すこととなるのだが、その第一歩がこの計画であった。「セインツ」の少女たちを取り上げた新聞記事を読んだことがきっかけで、彼は貧民に関心を寄せるようになったわけで、考えようによっては小さな踊り子たちが世界を大きく動かした、と言ってもいいのかもしれなかった。

(大変なことになったものだ)

しかしながら、どんなに立派な理念に基づいていようとも、改革を実施する人間にはすさまじい負担が課せられるものであった。陣頭に立つファンタンゴは肉体的にも精神的にも疲労を感じていた。彼の予想通り、国王の新たな政策に貴族たちは反発を示した。

「陛下自ら身を削っているのだぞ」

そう言われると、さすがの貴族も渋々従わざるを得ないのだが、内心に不満を抱えているのは手に取るように感じられて、それがいつどのような形で爆発するのか、考えただけでも嫌になってしまう。そして、今日も朝から仕事から離れられず、夜になって王のもとに向かっているわけであった。

「必要があれば、いつでも訪ねてくるといい」

王は宰相にそう告げていた。若い主君の熱意と真心は疑いようがないだけに、かえってやりきれないものがあったのだが、

「ん?」

書斎の前まで来たファンタンゴは足を止める。中から言い争いの声が聞こえたからだ。耳を澄ませてみると、王と侍従長が互いに声を大きくして口論をしているようだと知れた。

(珍しいこともあるものだ)

陛下は家来にいつも寛大な態度を見せ、わがままなど言わないというのに、と思いながらも、「失礼します」とノックしてから書斎に入る。書斎、といっても王宮にあるだけのことはあって、ちょっとした図書館程度の広さはあった。四方の壁は書棚で囲まれていて、本がびっしりと詰め込まれている。仕事熱心なメイドのおかげで、掃除と換気が行き届いていて埃っぽさはまるでない。

「おう。宰相殿」

侍従長は援軍がやってきたのを見つけたかのような安堵の表情を浮かべた。老人が幼い頃から面倒を見続けてきた若者を説得できずに困っているのは明らかだった。

「いかがなされましたか?」

宰相の穏やかな問いかけに、黒光りする大きな机の前に座った若き王はむっつりした表情で、

「特に何もない」

とぶっきらぼうに答えた。主君が不機嫌をあらわにするのは滅多にないので、ファンタンゴが戸惑っていると、

「陛下、そう聞き分けのないことでは困ります」

侍従長がやんわりとたしなめた。

「余は別に無理を申しておるつもりはない」

国王スコットはやはり不機嫌そうにつぶやいた。

「何があったのです?」

宰相に訊ねられた侍従長は「それが」と言いにくそうにしてから、

「陛下が突然人を呼ぶように仰られまして」

これも珍しいことだ。王は臣下だろうと庶民だろうと人をやたらに呼びつけるような性格ではない。

「誰を呼べと仰られてるので?」

「タリウス殿です」

侍従長の答えに宰相は首を捻って、

「どちらのタリウスですか?」

と問い返した。そう言われた老爺はしばし呆然としてから、白いひげを震わせて、

「ああ、これは申し訳ない。元騎士団長のセイジアの方です」

慌てて付け加えた。

(まあ、そうだろうな)

ファンタンゴは無表情で考える。タリウス、と言えば「金色の戦乙女」と呼ばれる妹のセイジアがまず思い浮かぶが、伯爵家を継いだのは兄のセドリックだ。彼もまたなかなか有能で宰相はそれなりに評価をしていたのだが、国王が夜中にわざわざ呼ぶほどの人材とは思えなかった(侍従長も彼の存在を忘れていたくらいだ)。

「恐れながら陛下、どのような理由でセイジア・タリウスをお呼びになられるのですか?」

宰相に訊かれた王はむっつりした顔のまま、

「少し話をしたいだけだ」

と答える。

「どういったお話をされるおつもりですか?」

「大した話ではない」

不快をあらわにして大きく息をつく主君に、宰相と侍従長は顔を見合わせる。

「ずっとこの調子なのですよ」

すっかり困った様子の老人を見たファンタンゴは、

(至急解決する必要がある)

と感じていた。女騎士を急に呼びつける、というだけなら些細な問題にすぎないが、思った以上に根は深い、という気がしてならなかった。貧民の救済策にしても、王は自分の意思を持って動くことが多くなっている。ここで何らかの手を打っておく必要はあると宰相は考えた。

「侍従長殿、申し訳ないが席を外していただけないか?」

「いや、しかし」

「陛下と2人だけで話がしたいのです」

そう言われた侍従長は「むう」と唸ってから、

「では、頼みましたぞ」

と言って書斎から出ていった。それなりに信用してくれているようだ、と老人について考えてから、ファンタンゴは王の方を向き直った。

「なんだ、ファンタンゴ。おまえまで説教をするつもりか」

不貞腐れた態度の王に宰相は苦笑いを浮かべそうになる。この方にも若者らしいところはある、と思ってから、

「畏れながら陛下。今更申すまでもないことかと思われますが、わが国は現在危機的状況にあります」

「余に言わせれば、危機的状況でないときがあるのか、と思うが」

「まさしくその通りでございますが、特に現在は一段と気を引き締めるべき頃合いかと存じます」

宰相は整った容貌を一層冷徹なものに感じさせながら、

「そういうわけなので、陛下にもまず何よりも第一に国家のことを考えていただきたいのです。もちろん、陛下が勿体なくもアステラのために日夜尽くされていることはこの不肖ファンタンゴも大いに存じてはいますが、それでもなおお気を付けいただきたい、と申し上げたいのです」

宰相の言葉を聞いた王は何もない空間を見上げてから、「うむ」と重々しく頷いた。

(上手く行ったようだ)

自分の発言に効果があった、と見たファンタンゴはひそかに胸を撫で下ろす。常に国のことを民のことを考えている若い国王に一番効くはずのことを言ったのだ。

「ですから、くれぐれも行動にはお気をつけいただきたい、と畏れながら申し上げる次第でございます。これはあくまで陛下の御為であって」

「わかった、わかった」

国王スコットはいつもの温厚さを取り戻して、微笑みながら宰相の発言を途中で止めた。

「そういうことであれば、やめにいたそう。無理を言ってそなたやじいを困らせるのは余の望むところではない」

そう言いながらも若い主君の顔にわずかながら落胆が見えたのを宰相は見逃さなかった。公のために私を犠牲にした者の見せる表情だ。つまり、国王がセイジア・タリウスを呼ぼうとしたのは彼のによるものではないか、とファンタンゴは考える。「国家のために」と訴えた臣下の説得が功を奏したのだとしても、王が私情で動こうとしたのは見逃せない事態だった。だが、今のところはそれを問題にしない方がいい、とクールな政治家は考え、別の話題を持ち出すことにした。

「ところで、例の『計画』は順調に進んでいる、との連絡を先方から受けました」

「おお、そうか」

王は喜びのあまり、机の上に身を乗り出した。

「あれが上手く行けば、わが国の平和と安寧は一段と確実なものとなるのだな?」

「左様にございます」

宰相はうやうやしく頭を下げ、国王スコットは大きく頷いて、

「その件についてはファンタンゴ、そなたに任せることとする。正式に決定すれば、余が直々に皆に報告することにしよう」

「かしこまりました」

それから政策に関する話を一通りしてから、宰相は書斎を後にする。

(すぐに対応しなければならない)

ジムニー・ファンタンゴの脳細胞は活発に動いていた。緊急に解決すべき問題が目の前にあった。彼にとって政治とは美しく正確なものでなければならなかった。数式のように物理法則のように、全てが決まりきって間違いのない世界、それこそが彼の望むものだった。国王スコットに委任された「計画」が実現すれば、彼の望む理想郷の到来に一段と近づくはずなのだ。

(不確定要素は排除すべきだ)

理想を阻む可能性のあるものは一刻も早く取り除かなければならない、と決意したファンタンゴは、夜の王宮の廊下を音もなく歩き続けた。


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