第98話 決意のステージ(後編)

今、「テイク・ファイブ」にいる客のほとんどは男性客だったが、彼らは皆、壇上の踊り子に心をしっかりとつかまれてしまっていた。セイジア・タリウスの健康美とも、リブ・テンヴィーの妖艶さとも違って、リアス・アークエットにはある種の蠱惑的な魅力があった。まだ青臭さも硬さも抜けきらない若い果実であったが、思わずかぶりつきたくなってしまう。開きかけた花びらから滴り落ちる蜜をすすりたくなってしまう。少女がちらちらと流し目を客席に送るたびに男たちの呼吸は不規則になる。拳銃を自由に操る娘だけあって、見えない弾丸でハートを射止めるのも得意なようだった。

(リアス、おれの心臓をあんたにくれてやってもいい)

キャプテン・ハロルドは明確に少女への恋心を自覚するしかなかった。どうしてもあの娘を自分のものにしたい、いや、自分をあの娘のものにしてほしい、と思わず願ってしまう。

「わたしの踊りをよく見てなさい」

ほんの1時間前にそう言われたので、「セインツ」の子供たちはコーチの演技をじっと見つめていたのだが、そう言われた意味が5人にはよくわかっていた。自分たちはまだまだ未熟だ、と思わざるを得なかったのだ。「ブランルージュ」で成功して、毎晩たくさんの客の前で踊るようになって、さらにはジャンニ・ケッダーから契約の申し出があったことで、どこか浮ついた気持ちになっていた。だが、それは間違っている、と少女たちの師匠は言葉ではなく踊りでそれを教えてくれている。

「わたしたち、まだまだじゃん」

イクの言葉に他の4人は無言で頷く。その「まだまだ」には技術が未熟だ、という意味だけではなく、まだ何も成し遂げてはいない、という意味も込められていた。自分たちはようやくプロとしてのスタートに立っただけだというのに、何を勘違いしていたのだろうか。しかし、彼女たちは下を向いてはいなかった。目指すべき目標をリアスが指し示してくれている。その先へ共に歩いていけばいい。そう信じて、尊敬する踊り子の演技にじっと見入っていた。

狭い舞台の上でリアスがくるくる回るたびに春風が薫った。暗い店内を花咲く深い森へと作り替えた踊り子は妖精の女王のようにしとやかな身のこなしを見せてから朗々と歌い出す。


情熱の果実みたいなこの街で

毎晩目くばせしあってる

今飲んでいるお酒より

あなたに酔ってしまいそう

ふたり愛をささやけば協奏曲コンチェルト

心のドアを開く鍵になる

魔法にかかった仔猫は踊る

今夜の星はエメラルド

魔法にかかった仔猫は踊る

三日月だけが見つめている

そうよ それが女の子なの


(圧倒的な火力だ)

セイはついそう感じてしまう。無数の砲門で絶え間なく撃ちまくられているような迫力がリアスの歌にはあった。それでも、マズカ帝国の歌姫アゲハにはわずかに及ばないかもしれない。アゲハ自身リアスについて「錆びついている」と評していた。だが、それならば、これから練習を積んで錆が落ちれば、あの天才歌手に肩を並べ、あるいは凌駕することもできるのではないか。そんな可能性を感じさせる熱唱だった。

見事にターンを決めるリアス。その左脚に不安を抱えることはもうない。世界の始まりから決められていた法則に従うかのように正しい動きをしてみせてから、赤いロングドレスの踊り子は、ぴたっ、とやはり正確にフィニッシュを決めてみせる。水晶のようにきらきら光る汗があたりに飛び散り、リアスは心から晴れやかな笑みを浮かべながら両手を大きく横に広げた。

あまりに美味しい食事をすると夢中になるあまり言葉を失ってしまうものだが、「テイク・ファイブ」の観客も同じ状態に陥ったのか、拍手をすることも歓声を上げることもできずに、ただ茫然としていた。それほどリアスの演技は素晴らしかったのだ。だが、少女は客の反応が無いのも気にすることなく、ステージを降りた。それほど会心の出来だったのかもしれないし、これからやろうとしていることに気を取られていたからかもしれなかった。

「ごめんなさい。どいてちょうだい」

謝りながら客をかきわけて進んでいく。そして、椅子に腰掛けたジャンニ・ケッダーの目の前で足を止め、まだ荒いままの息を整えてから、

「これがわたしの答えよ」

とだけ言った。その意味するところを理解したのか、聞くまでもないことだったのか、男は大きく頷いて、

「わしのところに来てくれるんだな」

と感極まったかのような表情になる。

「ええ。子供たちともどもお世話になるわ」

黒い瞳を光らせてリアスが契約に同意したそのとき、踊り子の名演をようやく理解したのか、観客が叫び声と共に手を叩いていた。

(店が壊れちまうじゃないか)

あまりのどよめきにベックは思わず肩をすくめるが、「別にそれでもいいか」と思い直して笑ってしまう。あれだけの演技を見られたのなら、おんぼろの店がどうなっても構わない、という思いが年老いたバーテンダーの胸にはあった。そこへ、

「マスター、ありがとう」

リアスがカウンターまで来て礼を言ってきた。輝かんばかりの笑顔をまともに見るのがこたえたのか、ワイシャツの胸ポケットから取り出した白いハンカチに目を当てながら、

「別に感謝されるようなことをした覚えはないが」

「ううん。この店に置いてくれたおかげで、わたしは立ち直れたの。だから、お礼が言いたくて」

優しい娘だ、と改めて気づかされて老人の涙腺が緩みかける。

「もっと広い世界を見てくるといい。あんたはまだ若いんだ。たくさんの素敵なことに出会えるはずさ」

「ありがとう。でも、いつかまた必ず戻ってくるから」

そう言ったリアスに、

「すごいじゃん、リアス!」

「大好き!」

教え子たちが飛びついてきた。

「もう、危ないじゃない」

そう言いながらも笑っている赤いドレスの少女と子供たちを見るベックの心に一抹の寂しさがよぎる。

(この子たちともお別れだな)

無駄に年齢を重ねて「さよなら」には慣れたつもりでいたが、それでもどうしても我慢できない別離というものがあるのかもしれなかった。しかし、それに耐えるのも年長者の役目なのだろう、と心得たバーのマスターは軽く息をついてから、注文されたカクテルを作るべくシェイカーを手に取った。

(この国で、わしは歌姫を失った)

ジャンニ・ケッダーは物思いに耽る。アゲハの失踪は既にマズカ本国でも大きなニュースとなり、彼の会社にもかなりの損害を与えているはずだった。

(だが、その代わりに舞姫を手に入れたのだ)

リアス・アークエットが彼の人生を埋める最後の一片になる、と何故かそんな気がしていた。彼女をスターにすることができれば、この命は惜しくないし、逆に言えばそれまでは死んでも死にきれない、と思えた。これより数年後に開かれる「ジャンニ・ケッダー引退興行」で、「楽神」カリー・コンプ、「灰色の貴公子」グレイ、そして「舞姫」リアス・アークエット、という歴史に名を残す偉大なアーティスト3人のただ一度切りの揃い踏みが実現して、「奇跡の一夜」と後々まで語り継がれる世紀の名演が彼の目前で繰り広げられるのだが、もちろんこの時点でそれを知ることはできなかった。

(そのまま道をまっすぐ行くといい)

客に囲まれて握手とサインを求められるリアスと「セインツ」を見てセイは微笑み、何も言わずに店を後にすることにした。少女たちの幸せが金髪の騎士の幸せであり、大事な瞬間の邪魔になってはいけないと考えたからだった。もっとも、後で、

「どうして黙って帰っちゃったの?」

と美少女と子供たちから怒られる羽目になって、それはそれでやはり幸せではあったのだが。






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