第97話 決意のステージ(前編)
「ガールズ! とてもよかったぞ!」
キャプテン・ハロルドが拍手を贈る。今まさに「セインツ」が演技を終えたところだった。今夜の「テイク・ファイブ」にも彼女たちを一目見ようと大勢の客が押しかけ、狭い店内は人いきれがして、真冬とは思えないほど暑くなっていた。
「きみとも契約したかったのだがな、キャプテン」
黒い肌のダンサーの隣に立っていたジャンニ・ケッダーが残念そうにつぶやくが、
「悪いな、ミスター・ケッダー。あんたの話はなかなか魅力的だったが、どうもおれには会社やら何やら、組織というのは向いていないらしい」
昂然と顔を上げたハロルドを見て、
(奴隷の幸福は選ばない、というわけか)
やはり隣にいたセイジア・タリウスは微笑んだ。財産と名誉を追い求めることを否定はしないが、それが全てではない、と彼女はいつも考えていた。だから、飢えと危険に瀕しようとも自由であろうとする男に女騎士はすがすがしさを覚えるとともに共感もしていたのだ。
「まあ、別にあんたが嫌いなわけではないから、いずれ一緒に仕事をする機会もあるだろう。そのときはよろしく頼むぜ」
「こちらこそ頼む、キャプテン」
年齢も人種も違っても、共に芸を愛する男たちは心が通い合うのを感じていた。そのとき、店内がざわついたのは、いつもは演技を終えると別室に引き上げていく「セインツ」の少女たちが、今日は何故か客席へと降りてきたからだ。握手を求めたり声をかけてくる客に丁寧に対応しながら(「ファンを大事にするように」とリアス・アークエットは教え子たちにしつこく注意していた)、5人はセイたちのいる店の中央付近へとやってきた。
「ハリー、来てくれたんだ」
にっこり笑うイクに、
「あたぼうよ。ガールズのためなら何処へだって駆けつけるぜ」
と、ハロルドは調子に乗ってから、子供たちの様子がおかしいのに気づく。5人ともさっきまで自分たちが踊っていた狭い舞台の上を見つめているのだが、その目には期待だけでなく緊張も含まれているように感じられた。
「ヘイ、今から何が始まろうってんだ?」
ただならぬ空気を察知した南方生まれのダンサーの顔が厳しくなったのはわずかな時間のことで、あるものを目にしたハロルドは、あんぐり、と口を大きく開けてしまう。人気者の「セインツ」の出番が終わったので帰ろう、と出口に向かっていた客もハロルドと同じものを目にして動きを止め、バーの中は完全に静止した状態になる。
店の隅にあるステージの上に、一人の少女が立っていた。燃えるように赤いロングドレスに身を包んだその姿は、決して消えることのない炎に棲む不滅の女神のように、店内にいた人間の目には見えた。
「なんと美しい」
ジャンニが声を漏らせば、
「ビューティフォー」
キャプテンもかすれた声でつぶやく。
「素敵」
胸がときめくあまり、ヒルダは指を組み合わせて祈るがごとく舞台上の女性をうっとりと眺める。その人のことをよく知っているはずなのに、まるで見知らぬ人のように見えてしまうのが不思議だった。彼女に踊りを教えてくれた、リアス・アークエットが真っ赤なドレスを着て、これから踊ろうとしているのだ。
「リアスって、こんなにきれいだったんだ」
シュナが思わずつぶやくと、
「うん、そうだね」
シーリンも同意する。もちろん、リアスが美しいのは知っているつもりだった。だが、それでも普段の彼女はまるで本気を出していなかったのだ、と思わざるを得ない。メイクをばっちりと決め、長い黒髪をアップにまとめ、白く秀でた額を出している今夜のリアスを見ていると、呼吸するのを忘れてしまいそうになる。
「きれいなおでこだなあ」
セイはのんきにつぶやいてしまう。いつもは前髪を下ろしているので女友達の額を見たことがなかったのだ。
(あのおでこにキスしてみたいものだ)
ダメもとで後で頼んでみようか、と思ってから、
(さあ、リアス。きみの答えを見せてもらおう)
セイジア・タリウスは真剣モードになる。ここから先は冗談半分ではいられない、と彼女の本能が知らせていた。
(正念場ね)
ただひとり舞台に立つリアスは自分がひどく落ち着いているのに気がつく。今から彼女は踊るわけだが、「ブランルージュ」のときのように一緒に踊ってくれる仲間はいない。あのときのように転んでしまっても誰も助けてはくれない。だが、少女の胸に不安はまるでない。ゆうべ、バルバロ医師に左脚に支障はない、と告げられた帰り道で決めたからだ。もう迷うことはないし、転ぶこともない。だから、不安などはまるでなかった。
(ロザリー、あなたの力を借りるわ)
今来ている衣装は、昨夜から徹夜で仕上げたものだが、元になっているのはリアスの踊りの先生だったロザリーが持っていたドレスだ。彼女のとっておきの服で、「ここは失敗できない」という公演では必ずそれを着て踊り、そして必ず成功させていた。
「あなたがもっと大人になったらね」
お揃いの服が欲しい、と頼むたびに心優しい踊り子がなだめるように言っていたのを思い出す。確かにあの頃の自分はまだ子供すぎて似合わなかっただろう。だが、今ならどうだろう。16歳でも早すぎるかもしれない。それでも、自分が変わったことを、成長したことを示したかった。そのために今から踊ろうとしている。
リアス・アークエットのわずかな動きに店中の全ての視線が集まっていた。天に向かってまっすぐ伸びた赤い大輪の花が風にそよいだ、それくらいのかすかな動きでも目を離すことができない。カウンターの中にいたベックも仕事を続けるのを諦め、彼女の踊りを見守ることにする。何の合図もないのにバックバンドが引き込まれるかのように演奏を開始すると、踊り子は本格的に動き始めた。
その日のリアスの踊りを一言で言えば、ゆるやかで優雅なもの、ということになるだろうか。「ブランルージュ」のときのような速さや激しさはなく、振り付けも複雑ではなく、初心者でも踊れそうなシンプルなものだ、と表面上は見えた。だが、
(なんとすさまじい)
ジャンニ・ケッダーは肌が粟立つかのような思いを禁じえなかった。単純な振り付けほど難しく、ダンサーの技量が如実に表れる、ということをダンスにも詳しい彼はよく知っていたが、その点で言えば、今目の前で展開されているリアスの踊りのレベルの高さに舌を巻くしかなかった。動きに意外性はまるでなく、始まりから終わりまで読めてしまうにもかかわらず、ひとつひとつの動作が驚きと発見に満ち溢れていて退屈するどころではなかった。しかも信じがたいことに、
(彼女はブランクがあると聞いていたが)
腕の振りも足の運びも実にのびやかで空白期間などまるで感じさせない。いったいどうしてそんなことになるのか、芸能界の大物が理解に苦しんでいるその横で、
(自分を受け入れたんだな、リアス)
踊りの門外漢であるセイは答えにたどりついていた。脚を怪我してからというもの、リアスは踊りの練習をしてはいなかったし、できなかった。だが、拳銃使いとして戦いを潜り抜けることで、身体は鍛えられ感覚は研ぎすまされていたはずなのだ。それを生かさない手はない、と少女は決めたのだろう。そして、踊れなかったこと、別の道を進んだこと、悩んだこと迷ったこと悔やんだこと、そういった負の要素までも踊りに生かそうと、これまでの自分とこれからの自分の全てを踊りに奉仕する、とリアスは決めたのだ、とセイは理解する。
「わたしたち、知ってたんだよね」
女騎士のすぐ目の前にいたセラが小さな声でささやく。
「何を知ってたんだって?」
セイが訊ねると、
「『ブランルージュ』が終わってから、リアスが毎日こっそり練習してたのをみんな知ってたんだ。だから、いつかまた踊ってくれるんじゃないか、って待ってたけど」
そこでショートカットの少女は口ごもってから、
「今こうやって、リアスがたくさんの人の前で踊っているのが、すごくうれしい」
かすかに震える小さな肩に金髪の騎士は優しく手を置く。
「そうだな。わたしもうれしいよ」
友人と教え子たちに再出発を祝われる中、リアスの踊りは佳境へと差し掛かろうとしていた。
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