第39話 激戦! 予選会(その3)

突然舞台上に現れた銀髪の少女を見た審査員たちは呆然とする。これは予定にはなかったことだ。

「あの、アゲハさん、ですよね?」

審査委員長を務める、今でもそれなりにハンサムな老人がおずおずと訊ねる。彼女の正体はアステラ王国の芸能関係者で知らぬ者はなかったが、それでも一応確認しようとする。

「はい。アゲハです」

北の帝国からやってきた歌姫はミステリアスな微笑みをたたえる。

「どうして今ここにいらっしゃるのですか?」

「えーと、本当だったらちゃんと申し込まなきゃいけなかった、っていうのはわかってるんですけど、今日朝起きたら急に歌いたくなっちゃったので」

ごめんなさい、と謝りながらも少女に全く悪びれたところは見えない。

「でも、あなたは予選に参加する必要なんてないのよ?」

かつてオペラ歌手だった太った女性がたしなめた。今回の「ブランルージュ」には、マズカ帝国からのゲストとしてアゲハと「グウィドラ」の参加は既に決まっていたのは事実だった。

「それが嫌なんです!」

アゲハは叫ぶ。

「特別扱いされるのは嫌です。わたしもみなさんと同じように実力で出場を勝ち取りたいんです」

いかにも殊勝な態度なので、審査員たちも反論できないうえに、赤い瞳が潤んでいるのを見ると抵抗する気が失せてしまう。だが、

(何を考えている?)

ジャンニ・ケッダーだけは平静を装いながらも内心では憤っていた。アゲハは彼のプロダクションの一番人気なので、多少(とはとても言えないのだが)のわがままは大目に見てきたが、異国まで来て好き勝手をされるのはさすがに目に余った。しかも、この少女(ではないのは当然知っていたが)がこうやって派手に動いた、ということは何か魂胆があるに違いなかった。

「ねえ、社長、いいでしょ? お願い」

とはいえ、面と向かって懇願されると反発する感情が薄れていくのも事実で、それ以上に今ここで揉めることは避けたかった。

「やむを得ん」

不承不承頷いてみせると、

「わーい、ありがとう、社長。じゃあ、早速準備するね」

と言いながら、歌姫はバックバンドに何やら話しかけだした。曲目の打ち合わせでもするのだろう。横に誰かが近づいてくるのに芸能界の大立者は気づいた。

「悪い。止められなかった」

息子のダキラだ。最近はアゲハのマネージャーらしきことをしていて、いつも一緒に行動しているようだった。

「仕方あるまい。あいつを止めるのは誰にも無理だ」

父はただ単に事実を述べたにすぎなかったが、息子はそれを叱責だと受け止めて、ひそかに唇を噛み締めた。ダキラがこの世に生を受けてから、偉大な父親へのコンプレックスから解放された時間は一秒としてなかった。話が終わったようで、アゲハが舞台の中央へと戻ってくる。歌姫は客席を微笑みと共に見渡してから、すーっ、と息を吸い込み、そして最初の歌声を発する。その瞬間、劇場の雰囲気は一変した。


衣装に着替え、リアスたちと合流しようと舞台袖に向かおうとして、セイはただならぬ気配を感じた。

(なんだ?)

そこで、客席から劇場の様子をうかがうことにした。中を覗き込もうと、扉をそっと開けるなり、冷気が押し寄せてきた。といっても、実際の温度ではなく、人の心が作り出す寒々しさだ。そして、それを作り出しているのが舞台に上がっている少女だというのもすぐにわかった。彼女が歌っているのは、この上なく美しく、それでいてこの上なく冷たい歌だ。

(こういう歌もあるのか)

セイジア・タリウスは芸術には疎い人間だが、それでも5人の少女やキャプテン・ハロルドと関わることで、芸術には人の心を動かす力がある、と学んでいた。それを言うなら、あの少女の歌はまぎれもない芸術だろう。ただし、心をプラスではなくマイナスの方向へと動かす歌だ。

(あの娘、いったい何者だ?)

そして、この歌はセイの心も確かに動かしていたのであった。


(怖い。やっぱり、この人怖い)

ユリ・エドガーは震えを止めることができない。インタビューのときの経験からアゲハの怖さは知っているつもりだったが、今日の彼女の歌はそれよりも遥かに上だった。暖房はしっかり効いているはずなのに寒くてたまらない。冬の野外で足を氷水で浸したかのようで、このまま魂を冥界に持ち去られてしまいそうだ。

(これがこの娘の本領なのかしらね)

少女記者の隣のチェ・リベラは比較的冷静だった。これまで聴いたアゲハの歌はどれも傑作と呼べるものだったが、今聴いているものはそれよりもレベルが違っている、と感じていた。かつて美貌を誇っていた女が老醜をさらし、若い恋人に裏切られ、孤独の中で怨念と呪詛を撒き散らしながら死んでいく、という歌を10代の娘が歌いこなす、というのは奇跡と言っていいのではないか。

(才能だけでここまで歌えはしない。この娘は地獄を見てきたのかも)

そして今、全ての観客は彼女の地獄の道連れとなっているのだ、とリベラは思い、オレンジのマニキュアが塗られた爪を掌に突き立てた。彼もやはり恐怖していたのだ。


2人の新聞記者から少し離れた座席に座っているカリー・コンプは深く考え込んでいた。

(すさまじいものだ)

天才は天才を知る、というが、初めて歌を聴いただけで、演奏の天才である彼は歌唱の天才であるアゲハを長年の友人であるかのようによく知った気になっていた。しかし、その才能を手放しで褒め称える気にはならなかった。すぐれた才能を「ギフト」と呼ぶことがある。それは、その才能が神からの「贈り物ギフト」である、という意味を指しているが、舞台の上の歌姫に才能を贈り届けたのは神ではなく悪魔だ、と吟遊詩人は感じていた。

(人を不幸にする才能だ。歌っている本人も、聴いている人間も幸せにはできない)

だが、たとえそうであっても、彼女を否定することができない、無視することができないのが、実に厄介であった。

(こうして巡り合ってしまった以上、わたしも関わりを持たないわけにはいかないのかもしれない)

天才と天才は惹かれ合うさだめにある。カリーはアゲハとの対決がいずれやってくるのを予感し、そしてそれはやがて的中することとなる。


歌姫がこぼした吐息で、観客は歌がようやく終わったのを知った。5分にも満たない時間であったが、永劫とも思える旅をしてきたかのような疲れを誰もが感じていた。アゲハの歌は傑作であった。いや、傑作と呼んでもまだ十分とは言えないほどの、神の領域に近い出来栄えと言うべきであった。それほどの歌声をどのように評価すればいいのかわからないのか、舞台から立ち去るディーヴァには拍手も口笛も贈られず、沈黙だけが花束のように彼女へと贈られた。だが、そんな観客の無反応をアゲハは不満に感じる様子もなく、優雅に一礼をしてからやはり優雅に立ち去って行った。濃い赤で彩られた14歳の歌姫の愛らしい唇がかすかに笑んだ形になっていたところを見ると、彼女は最初からこうなるのを予期し、そして期待していたかのようにも思えた。


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