第36話 女騎士さん、ダンスを習う(後編)

黒い肌の男を一目見て、背はそれほど高くない、とセイジア・タリウスは思った(シーザー・レオンハルトの体躯を思い浮かべながら)。しかし、全身の筋肉はよく引き締まっていて、鍛錬を積んでいるのもよくわかった。リアス・アークエットが雌豹ならば、さしずめこの男は黒豹だ。ということは、彼もまた踊り子なのだろう、と女騎士は推測する。

「よう、リトル・ガールたち、元気だったか?」

スキンヘッドの男が無愛想なまま呼びかけると、少女たちは「ハーイ!」と元気に返事をして、リアスが男の隣に並んだ。

「紹介するわ。キャプテン・ハロルド。前に『テイク・ファイブ』のステージに立ったときに知り合ったの。この人にあなたのコーチをしてもらおうと思ってるんだけど」

男は大きな丸い目でセイをじろじろ見渡すと、

「驚いたぜ。マジにセイジア・タリウスじゃねえか」

とつぶやいた。

「ええ、マジよ」

とリアスがにやりと笑う。

「ハロルド殿、と言ったか? 貴殿も軍人なのか?」

セイが問いかけると、黒い肌の男は「は?」といかにも心外そうな顔をした。

「いや、大尉キャプテンと名乗っているから、てっきりそうなのだと思ったのだが」

「そうじゃねえ。故郷くにでサッカーのチームの主将キャプテンだったから、そう呼ばれてるんだ」

とセイの勘違いを正してから、

「おれは軍人が大嫌いだ。一緒にしないでくれ」

と女騎士を睨みつけた。

(ははあ、それでか)

セイは納得していた。この男が最初から自分に対して敵意を漂わせていたのを不思議に思っていたのだ。

「軍が好き勝手やったおかげで、おれの国はめちゃくちゃになって、おれたちは家族で逃げ出さなきゃならなくなったんだ。あんただって同じだ。騎士なんてろくなもんじゃねえ。偉そうにしないでくれ」

あまりの剣幕にリアスと少女は息を飲むが、

「耳の痛い話だ」

と当のセイは苦笑いをして、

「わたしは騎士という職業だったことに今でも誇りを持っているが、一般的に見れば、ない方がいい仕事だと思っている。人を傷つけ、物を壊し、何も生み出すことはないのだからな。だから、その点は貴殿の言う通りかもしれない、キャプテン・ハロルド」

地面に足をつけ、天上をつかみしめるかのような、力強い言葉だった。おのれを深く見つめ続けた者のみが持つことを許される確固たる考えに、ハロルドは気圧されたが、

「本当ならあんたに踊りを教えたくなんかねえが、リアスに頼まれたから仕方なく来てやったんだ。人殺しのお遊びになんぞ付き合ってる暇なんかねえんだ。どうしても教えてほしければ頭を下げて頼むんだな」

と言い終わる前に女騎士が膝をついて礼を取ったので、男は驚く。

「この通りだ。どうかわたしに踊りを教えてくれないか。ハロルド殿」

と言ってから、

「これでも不足なら土下座でもしようか?」

青い瞳に見つめられてハロルドは混乱する。

「あんた何考えてるんだ? おれみたいなダンサー風情にお偉い騎士様が膝をついて頼むなんて、おかしいだろ」

「おかしいのは貴殿だ。教えてほしければ頼め、と言うからわたしはそうしたまでだ」

全くもってその通りなので反論できなかったうえに、

「ちょっと、ハリー。いい加減にしろよ。セイをいじめるんじゃねえよ」

セラが怒ると、他の4人も「そうだそうだ」と応援に回ったので、ダンサーはすっかり弱り切る。

「もうやめておきなさい。この人には、いくら嫌味や意地悪を言っても無駄よ」

リアスが笑いながらそう言ったのは、男の行動に以前の自分を見たように思ったからだろうか。

「ねえ、ハリー。あなたが軍人にひどい目に遭わされたのは同情するけど、その仕返しをセイにしたら、完全にやつあたりになってしまうんじゃないの? そんなことをしたら、あなたまで軍人と同類になってしまうわ」

黒ずくめの美少女に諭されて、ハロルドは自らを省みる。確かに目の前の騎士は彼に対して何か無礼を働いたわけではなかったし、それに少女たちが揃ってかばったところを見ると、それほど悪い人間でもないかもしれない、とも感じていた。まだ信用するには早かったが、否定するのも早すぎる、と思い直す。

「すまねえ。取り乱しちまって」

剃り上げた頭を自分で撫でてから、

「しかしなあ、リアス。あんたの頼みではあるが、正直おれはどうかと思ってるんだ」

「あら? まだ騎士に教えるのが嫌なの?」

「勘弁しろよ。それはもう忘れてくれって。おれが気にしてるのは、おれの踊りが女子向けじゃないってことだ。男だってきつくてやれないやつが多いのに、できるのか? って思うんだが」

「わたしは気にしてないから大丈夫よ」

とあっさり言い返されてハロルドは黙り込む。大陸南方のウラテン民族共栄国から命からがら逃げだして以来、いくつもの生死の境を乗り越えてきたバッドボーイでも、目の前のクールビューティーには太刀打ちできなかった。今回の頼みを引き受けたのも、彼女とどうにか距離を縮めてねんごろになりたい、という邪な考えもあったためでもあったのだが。

「とりあえず、セイに一度ダンスを見せてあげて。そうしたら『あんなことできない』って諦めちゃうかもしれないしね」

リアスの提案はまさに渡りに舟と呼べるもので、ハロルドはそれに乗ることにした。

「OK。そういうことなら一発かましてやろうか」

「お願い。真剣にやってね」

(言われなくてもやってやるさ)

キャプテンと呼ばれる若者は本気モードになっていた。真剣にパフォーマンスをやりとげて、セイジア・タリウスの心を折ってやろうと思っていた。確かに彼女にはそれなりの覚悟があるのだろう。だが、心が強くてもどうしてもかなわないものもある、ということを見せつけてやるつもりだった。工場跡の中央付近まで歩いていくと、軽く準備運動をして、心と体を整える。そして、セイを強い視線で射た。

「よく見てなよ、軍人のおねえちゃん」

「ああ、よく見させてもらおう」

相手が宣戦布告を受けて立ったのと同時に、キャプテン・ハロルドは踊り出していた。はっ! と裂帛の気合と共に高々とジャンプする。そして、回り出す。縦回転。横回転。斜めの回転。廃墟に突如として出現した小型の竜巻が周囲を巻き込んでいく。腕を高く掲げ、脚を鋭く旋回させる音が、距離のあるセイとリアスと少女たちの耳にも届いていた。

(すごいな)

南から来た男の生命の躍動が伝わってきて、女騎士の鼓動が高鳴る。そして、もう一度、はっ! という気合を上げて踊りは終わった。5分も経ってはいないがハロルドの黒い肌は汗に濡れて輝いていた。

「わーっ!」

すごいすごい、とセイと5人の少女は拍手する。戻ってきた男にリアスはタオルを手渡して、

「とてもよかったわ。お店で見たときよりもずっといいじゃない」

「あそこの舞台は狭くて十分に動けないんだ。『もっと広くしてくれ』ってマスターに言っておいてくれ」

「そうするには、店ごと大改修しないとダメなんじゃないかしら」

そう言うと、リアスは振り向いて、

「じゃあ、セイ。今のハロルドのダンスをやってみて」

と言ったので、「はあ?」と男は驚いてしまう。

「なあに? あなたの踊りをされたら困るの?」

「いや、そうじゃねえよ。さっきも言ったが、おれの踊りは女には」

ハロルドの文句を最後まで聞くことなく、

「できそう?」

と女騎士に訊くリアス。すると、

「やってみる」

きっ、と決然としたまなざしでセイは答え、さっきまで男がいた場所へと歩いていく。

(おいおい)

ハロルドは呆れていた。尻込みしない度胸は認めないでもないが、それにしたところで無謀だ。素人にいきなりできることではない。

「なあ、リアス。いくらなんでも無茶だぜ」

さらに言葉を続けようとして、よく光る黒い瞳で見つめられて若者は口をつぐんでしまう。

「まあまあ。とにかく一度やらせてみましょうよ」

美少女の余裕たっぷりの微笑みに、

(このガールはおれの手には負えないかもな)

と思っているところへ、

「はっ!」

とセイが気合を発した。さっきのハロルドと同じ掛け声だったが、音量が段違いだった。建物全体がビリビリ震え、全員の耳が痛くなる。

(なんて声だ)

ハロルドは驚いたが、本当に驚いたのは金髪の騎士が動き出したときだった。

(おれの動きじゃないか)

さっきやってみせたダンスをセイジア・タリウスが踊っていた。細部は異なっていたが、大筋では合っていて、それだけでも大したものだと言うべきだった。それにパワーもスピードも申し分なく、ジャンプは自分よりも高いかもしれない、と思うほどだった。金色のポニーテールがすさまじい速さで跳ねまわり、彼女が動くたびに風圧が男まで届く。子供の頃に何度も経験したタイフーンみたいだ、と南方出身の青年は記憶を呼び覚まされる。

「はっ!」

気合と共に着地してダンスは終わった。一瞬の静寂の後、

「すげー!」

少女たちがセイに走り寄っていた。

「すげー。すげえじゃん、セイ!」

「どうして踊れるの? さっきまでダメダメだったのに」

「もしかして、踊れないふりをしていたとか?」

あまり褒めているように聞こえない称賛を受けながら、

(どうして踊れたんだろう?)

とセイ自身も不思議に思っていた。少女たちと同じダンスはまるでダメだったというのに。

「ねえ、ハリー?」

リアスに声をかけられて、キャプテン・ハロルドは我を取り戻す。それだけ今の光景は彼にとって驚くべきものだったのだ。

「ああ、悪い。ぼんやりしちまってた」

「あなたに今のセイのダンスの評価を聞きたいんだけど」

「それはわたしも聞きたい。なあ、どうだった?」

と女騎士が駆け寄ってきた。運動を終えたばかりで息を弾ませている。

「そうだな。今のダンスを100点満点で言うと」

うんうん、と期待に胸を膨らませているセイに向かって、

「0点だ」

男は腕を組んで言い放った。

「そんな。わりとできたと思ったのだが」

金髪の騎士がわかりやすくがっかりした顔をしていたのでハロルドも笑ってしまう。

「確かに動きは凄かった。だが、ダンスとは言えない」

「そうね。その通りね」

リアスが頷いているところを見ると、意地悪を言っているわけではないようだ。

「ただ動くのとダンスは違うというのか、ハロルド殿?」

「『殿』はやめてくれ」

と言ってから、ハロルドは5歩ばかり前に進むと、いきなり手足をばたばたと激しく動かした。

「これが今さっきあんたのやったことだ。そして」

続けて動いてみせると、

(あっ)

セイはあることに気が付いた。

「そうか。『動く』だけでなく『止まる』ことも大事なのだな」

青年が目を丸くしたのは、彼女が教える前に自分から理解していたからだ。

「そういうこと。動作の終わりにきちんと止まらないと、メリハリがつかないのよ。ずっと動き回ってるだけじゃ、見ている方も飽きてしまうの。みんなもよく覚えておきなさい」

横から口を挟んだリアスが少女たちに教える。ハロルドのダンスはセイだけでなく5人にとっても勉強になるはずだと思っていた。

「リアスに先に言われちまったが、つまり、アクションごとに、ぴたっ! と止まる必要がある、ってことだ。まあ、これを覚えるのは結構時間が」

と若いダンサーが言いかけたところで、

「こうか?」

とセイが踊り出した。さっきのハロルドの真似をしてみせたのだが、驚くべきはしっかりと動作を静止できていることだった。言いかけていたように一朝一夕でできないことを、素人がやってのけているのに、

(マジかよ)

と若者は驚愕する。

「どういうこと? セイ、あなた、ちゃんとできてるじゃない」

これはリアスの予想を超えることでもあった。「止める」ところからハロルドに教えてもらおうと思っていたのだ。

「いや、話を聞いていて、武術に似ていると思ったから、その要領でやってみたまでのことだ。それならわたしも多少は心得があったからな」

セイが言ったのはいわゆる「残心」なのだろうが、驚くべきは違う分野の技術を即座にあてはめてみせた高い応用力だ、とリアスもハロルドも感じていた。

(なるほど。こいつは大したタマだ)

若者はさっきまでの偏見を捨て去ろうと思っていた。この女騎士はダンサーとしての素質があったし、それ以上に学ぼうとする熱意もある。ならば教えるべきなのだ。芸は恩讐を超えた場所にある、と信じたい気持ちもあった。

「オーライ。そういうことなら、セイジア、あんたにダンスを教えることにしよう」

「本当か? ありがとう、ハロルド」

「ああ。今のダンスは50点だった。まだまだ合格とは言えないが、おれがしっかりコーチしてやるよ」

「ええっ? 結構頑張ったのだが、あれで50点とは手厳しいな」

「これでも甘く見たつもりだが」

笑い合うセイとハロルドを見て、

(よかった)

とリアスは自分の目論見が当たったことに安心していた。

(セイには、あの子たちと同じものよりハリーの方が合っていると思ってたんだ)

それでハロルドに前もって声をかけていたのだ。男顔負けの身体能力を持つ彼女なら、南方の激しい舞踊もこなしてみせるだろうと思っていて、それが見事に的中した格好になっていた。

(まあ、あの子たちのダンスが踊れない理由もわかっちゃったけどね)

リアスの考えでは、セイが少女たちのダンスを踊れないのは、苦手意識によるところが大きい、と見ていた。5人のダンスはかわいらしく、女の子らしいものなのだが、セイはそういった「かわいい」ものに対して抵抗があって、そのせいで踊れずにいる、という気がしていた。といっても、かわいいものが嫌いなわけではなく、「自分はかわいくない」「女の子らしくない」という強い思い込みがあるのだ、と雌豹に似た少女の慧眼は見て取っていた。今日の練習だけでなく、騎士団の本部の医務室で2人の騎士に迫られてもなびかなかったのを見て、その後でリブ・テンヴィーから愚痴を聞かされて、そういう結論に至っていた。

(セイ、あなたって本当に馬鹿ね。あなたはかわいいのよ。素敵な女の子よ)

そう言ってあげたかったが、言葉をかけたところであの女騎士は認めないだろう、という気もしていた。とりあえず、今のところは手の施しようがない、と言うしかなく、そうこうしている間にもキャプテン・ハロルドによるセイの指導は進んでいた。

「ワオ! セイジア、あんた飲み込みが早いな。教えがいがあるぜ」

「いや、あなたの教え方が上手いからさ」

いやいや、とハロルドは首を振って、

「この上達ぶりならすぐに客前に出せそうだ。そうだ、もうすぐ『ブランルージュ』の予選会がある。出てみたらどうだ? 受かりはしなくてもいい経験になるはずだ」

「えっ?」

リアスは驚いてしまう。それもそのはずだ。「ブランルージュ」の予選会は誰にでも出られるわけでもない狭き門で、それを潜り抜けるために彼女は自分から危険に飛び込み、その結果自分もセイもピンチに見舞われたのだ。そこからはなんとか脱出できたものの、結局予選会に出る方法を見つけられないまま、期日はもうすぐそこまで迫っていて、焦りを募らせているところだった。

「ハリー、何を言ってるのよ? あの予選会はそんなに簡単に出られるものじゃないでしょ?」

「リアスこそ何を言ってるんだ?」

好意を持つ少女に怒られてキャプテン・ハロルドは肩をすくめる。

「聞いてないのか? 今度の『ブランルージュ』の予選会はオープン参加だ。つまり、誰だって出られるんだぜ?」

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