第28話 少女が拳銃使いになるまで(その10)

「何度言ったらわかるんだ」

男の怒鳴り声に薄い金色の髪の少女は身をすくませた。一緒に踊っていた女は手鏡でただでさえ厚い化粧をさらに分厚く塗り直し、バンドメンバーは「またか」という顔をしながらも何もしようとはしていない。この狭い部屋に少女を助けようとする者はいなかった。

「お前のせいで全部ぶちこわしだ」

男が右手を振り上げ、また殴られる、と娘が目を閉じた瞬間、

「その手をどうするつもり?」

突然背後から声をかけられて、男の動きが止まり、部屋にいた全員の目が入口へと向かう。全身黒い服に身を包んだ少女がそこに立っていた。その美貌に男は気をとられたが、

「関係のない人間は引っ込んでくれ」

「あら、あんなまずい歌を無理矢理聴かせておいて、その言い草はないんじゃない?」

余裕たっぷりに反論されて、ただでさえ気短な歌手の頭に血が上る。

「なんだと」

「あなた、仕事を間違えてるわ。家庭菜園でキュウリを育てて、毎日歌を歌ってあげなさい。わざわざ漬けなくてもピクルスができると思うわよ。まあ、味の方は保証しかねるけど」

辛辣なユーモアに仲間が噴き出すのを耳にした男は完全に逆上して黒ずくめの少女に詰め寄る。

「てめえ」

「そう。それでいいの」

自分よりずっと背の高い男が近づいてきても、リアスの余裕は消えない。

「あんな小さな女の子をぶつより、わたしをぶちなさい」

お望み通り、と言わんばかりに歌手の右手が少女の左頰に向かって飛んでいくが、あっさり避けられる。信じられない、という顔をした男にリアスは呆れる。

「あたりまえでしょ? そのまま叩かれるわけがないじゃない。ほら、もっとよく狙いなさい」

うおおお、と叫んで男は少女の顔を殴りつけようとするが、全然当たりはしない。常人離れした身体能力と動体視力のなせるわざだが、部屋にいる全員は信じがたい光景を呆然と見守るしかなかった。全く娘に触れられないまま、とうとう男は床に倒れ込んだ。顔から脂汗を流し、呼吸もままならないその姿を、「だっさ」と少女は切り捨てて、

「それくらいでダウンするなんて、なっちゃいないわね。声量が足りないのも当然ね」

一からやり直しなさい、と告げてから他のメンバーを見ると、「ひい」と大人たちは悲鳴を上げて壁際へと後退りした。プラチナブロンドの少女だけは、自分を救ってくれた人をよく光る瞳で見つめている。

「この子は、あなたたちの家族?」

リアスが危機を逃れた少女を指さして訊ねると、

「いや、違う。この子の母親と昔一緒に仕事をしていたんだが、そいつが死んだから、面倒を見てやろうとしてるんだ」

ドラマーの答えを聞いた拳銃使いの少女は、

「ひっぱたくのは面倒を見るとは言えないわね」

と切り捨てて、

「いいこと? この子にまたひどいことをしようものなら、あんたたち全員連帯責任で地獄に送ってやるから覚悟なさい。子供を傷つけて平気でいるやつに生きている資格なんてない」

リアスがにらみつけると、バンドマンと女は泣きわめきながら部屋を飛び出していき、その後を歌手がぜえぜえとあえぎながら這うようにして追いかけていった。たまたま居合わせただけなのに余計なことをしてしまった、と思わないでもなかったが、それでも長い黒髪の少女に後悔はなかった。

(これでいいのよね、ロザリー)

自分に歌と踊りを教えてくれた女性はとても優しかったが、子供が傷つけられているのを見かけると、いつも必死になって救い出そうとしていた。相手が何人いようと、男だろうと立ち向かったあの人こそ、本当の勇気の持ち主だ、と今でも思っている。そういう人だから、自分を助けてくれたのだろう。だから、その優しさに少しでも報いたかったのだ。

「あの、ありがとうございます」

事情がわからないまま頭を下げた娘にリアスは笑いかける。

「わたしはリアス、あなたは?」

「あ、ヒルダ、っていいます」

そう、と頷くと、ヒルダの青い瞳をしっかりと見つめて、

「あなた、踊りは好き?」

「あ、はい。お母さんと一緒によく踊ってました」

彼女の母親が死んだ、というのは、さっき聞いていた。

「それなら、踊り続けた方がいいわ。そうしたら、お母さんのことを忘れずにいられるはずよ」

自分はもう踊れないが、ロザリーに教わった思い出が生きる支えになっているのは確かなのだ。

「でもね、踊るんだったら、もっと楽しくやった方がいいわ。さっきのあなた、全然楽しそうじゃなかったから」

ああ、その、と申し訳なさそうにするヒルダに、

「まあ、あんな下手糞な歌を聴きながら楽しく踊るのは無理かも知れないけど」

そう言って笑うと、金髪の娘も噴き出した。ようやく笑ってくれた、と安心する。それからリアスはヒルダに歌と踊りを教えた。基本的なものを短時間教えただけだったが、それでも見違えるように上手くなったので、プラチナブロンドの少女には才能があると思えたし、リアスは人にものを教える喜びを感じていた。

「ありがとうございました!」

弾けるような笑顔でバーを出て行くヒルダにリアスは手を振った。

「なあ、リアスさん」

その背中にベックが声をかける。

「なあに、マスター」

「あんた、この先何処かへ向かう予定はあるのか?」

若い拳銃使いは少し考えてから、

「特にないわ。生まれつきの根無し草だもの。風の吹くまま、気の向くまま、というやつね」

「それだったら、しばらくうちで働かないか?」

「え?」

予想外の申し出に少女は目を丸くする。

「このあたりは何かと物騒なんでな。腕に自信のある人間がちょうど欲しかったところなんだ」

「用心棒として雇いたい、ってこと?」

「ご不満なら看板娘でもいいが」

ふふっ、と噴き出してから、

「いいわ。わたしもちょっと疲れちゃってたから、しばらくここで厄介になることにする。それに、この店もあなたのことも気に入ったことだし」

リアスの微笑みにはとうの昔に青春を終えた老人の心をもときめかせる魅力があった。

「そりゃ結構なことだ」

ベックはグラスを拭きながら下を向いた。

(わしもあんたを気に入ったから、お互い様だ)

危害を加えられそうになった子供を止めに行った娘なら悪いことにはならないだろう、という気がしていたのだ。こうして、リアス・アークエットは「テイク・ファイブ」の安全を毎晩見守ることとなった。


(いい感じ)

新しい服を身にまとったリアスは満足げに自分の身体を見渡した。黒いワンピースを白いフリルが飾り付けている。本当は女の子らしい服が大好きなのだが、拳銃使いをしている間や長旅の途中に着るわけにはいかずに我慢していたのだ。

(ノジオに馬鹿にされるのも嫌だったもんね)

少女の思いを知ったら、「どうしておれの前で着てくれなかった?」と彼女の師匠が天国あるいは地獄で大いに嘆くはずだったが、それはともかく、この服はリアスが自分で作ったものだ。ベックの紹介で昼間はお針子として働けることになったので、腕慣らしとしてチャレンジしたのだが、悪くない出来だと自分でも思っていた。

やはりベックに紹介してもらった狭い長屋を出ると、

「あっ」

幼い声が耳を打ったので振り返ると、この前バーで助けた少女、ヒルダが立っていた。

「あら、こんにちは」

「こんにちは」

ヒルダは頭を下げてから、向かい合ったおねえさんを見て、

「今日はとてもきれいですね」

と素直に褒め称えた。

「ありがとう。あなたもとてもかわいいけど、あれから大丈夫?」

また暴力をふるわれてないか、という意味だったのだが、薄い金髪の娘は、「あ、えーと」とためらってから、

「みんないなくなっちゃいました」

とリアスに告げた。

「いなくなった、ってどういうこと?」

「わたしを置いて、別の街に行っちゃったみたいです」

黒いワンピースの少女は呆れる。暴力を振るうのはもちろん虐待だが、世話をせずに放置をするのも虐待だ。結局、あの連中には子供の面倒を見る資格などなかったのだ。

(もしも次に会ったらきっちり仕留めておこうかしら)

でも、あいつらに使う弾丸がもったいないか、と美しい拳銃使いが考えていると、

「おーい、ヒルダ」

女の子たちが4人、狭い路地をこちらへと駆けてくる。ショートカットの娘がヒルダに訊ねた。

「もしかしてこの人?」

「うん。そうだよ」

リアスを見た幼い娘たちは、「わー」「きれー」などとその美貌を口々に褒めちぎるので、拳銃使いは恥ずかしくなってしまう。

「みんな、ヒルダのお友達なの?」

「うん。この子たちのおうちに住まわせてもらってるの」

「みんな、親いねーからさ。一緒に助け合って暮らしてるんだ」

一番背の高い少女はどこか自慢気だ。そのシャツの裾を気弱そうな娘がつかんでいる。妹かも知れない、とリアスは思う。

「違うよ。うちはおじいちゃんがいるよ」

「ボケちゃってて、いてもいなくてもおんなじじゃん」

「そんなことないもん」

黒いロングヘアの娘がショートカットにからかわれて憤慨している。

「それで、みんな揃ってどうしたの?」

質問されると、それまでの元気は何処へやら、短髪の娘は急にもじもじしだして、

「おねーさん、ヒルダに踊りを教えたんだって?」

「ええ。この前、ちょっとだけね」

リアスの答えを聞いた娘はそれでもまだもじもじしていたが、

「言いたいことがあるならはっきり言いなさい」

黒服のおねえさんに叱られると、ショートカットの子は雷に打たれたように背筋を伸ばした。ついでに他の4人の背筋も伸びたので、やりすぎたかも、とリアスが反省していると、

「わたしたちにも踊りを教えて下さい!」

お願いします、と5人揃って頭を下げたので、さすがの少女ガンマンも驚いてしまう。

「どういうこと? みんなもバーで踊りたいの?」

「テイク・ファイブ」のステージに立っても出演料は出ないが、客からチップをもらえるので、貧しい少女たちはそれを目当てにしているのか、と考えたのだが、

「ちげーよ! わたしたち、出たい大会があるんだ」

ショートカットの娘が言うには、アステラ王国には「ブランルージュ」なるビッグイベントがあって、それに出ればアーティストとして名誉が得られるのだという。その大会に5人で出演しようと、少女たちは考えているのだ。

(大変なことじゃない)

リアスは気が遠くなるのを覚えた。自分が子供たちをそこまで鍛えられる自信などなかったし、ただ鍛えればいいものでもない、というのはまだ16歳の彼女にも理解できていた。大会に出るためには必要な手続きがいくつもあるはずで、それは子供だけでは到底クリアーできるものとも思えなかった。だが、しかし、

(この子たちを抛ってはおけない)

その思いがリアス・アークエットを突き動かしていた。5人の願いをどうにかしてかなえてあげたかった。そのためには何でもしてあげたかった。昔、ロザリーが自分にしてくれたことを、今度は子供たちにする番ではないのか。上手くいかないかも知れない。でも、できるだけのことはしたい。わずかな時間に、彼女の中を無数の思いが駆け巡った。そして、

「その大会に本気で出たいと思ってる?」

リアスの問いかけに、

「うん!」

「本気だよ!」

「マジだぜ!」

「出たい!」

「絶対出る!」

全員目を輝かせて答えた。その瞬間、リアス・アークエットは少女たちに全てを捧げようと決めていた。

「わかった。それなら教えるわ」

わー、やったー、と喜ぶ5人に微笑んで、

「その代わり、練習は厳しいから覚悟なさい。泣いても許さないから、そのつもりでね」

えーっ、と不満を漏らす娘らに、「えーっ、じゃないの」と厳しいおねえさんは微笑みかけた。この街に長くいるつもりはなかったが、もしかするとそうはならないかもしれない気がしていた。

このときの、リアス・アークエットと5人の少女の出会いは運命に導かれてのものだったのかもしれないが、その運命はやがて、リアスをセイジア・タリウスと結びつけることになるのであった。


そして、物語は過去から現在へと戻る。





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