第41話 「影」、それでも女騎士さんに挑戦しようとする

作中では、セイジア・タリウスとリブ・テンヴィーが家に帰ろうとしているところだが、実は彼女たちが帰る少し前にある出来事が起こっていた、というのが今回のお話である。とりあえず、時間を少しだけさかのぼってみよう。


「おのれ、セイジア・タリウスめ」

憎しみをこめてそうつぶやいたのは「影」だ。昨夜、女騎士に手痛い敗北を喫した彼はそれでも諦めることなく、今夜も彼女に戦いを挑もうとしていた。

「影」は今、占い師リブ・テンヴィーの家へと向かっているところだ。そこにセイが同居していることは既に把握していて、彼女が「くまさん亭」を辞めたことも知っていた。だから、今夜は家にいるはずなのだ。そして、たどり着き次第、襲撃をかけるつもりだった。勝てる算段があるはずもなかったが、戦わなければとても収まりがつかなない。関節を入れ直した右足首の状態は思わしくなく、前蹴りが直撃した顔面が痛々しく変色しているが、肉体の苦痛などは些細な問題だ。完膚なきまでに敗れ去ったことでズタズタにされた精神を立て直すために、男は何よりも戦いを欲していた。

「む?」

目標の家の手前まで来たが、「影」の足は止まった。灯りが消えていて、人気が無いのがわかる。どうしたことか。もう仕事には行っていないはずなのに留守にしているとは。戸惑う黒い男に背後から声が掛かる。

「お出かけしているみたいですよ」

驚いて振り返ると、茶色い髪の少年が、ふわー、と欠伸をしている。

(アリエル・フィッツシモンズ!)

アステラ王国王立騎士団の副長が何故ここに、と思うとともに、話しかけられるまでまるで気配を感じなかったことにショックを受ける。それほどまでに、自分はダメージを受けているのか、それともこの少年の技量が卓越しているのか、あるいはその両方か。

「ようやくおでましか」

待ちくたびれたぜ、と言いながら、少年のそばで大きな影が立ち上がった。

(シーザー・レオンハルト!)

副長だけでなく、団長まで来ているとは。そして、こっちの気配も感じなかった。「影」は再度愕然とする。目標としている少女がいなかったばかりか、少女ほどではないがかなりの強さを誇る2人の騎士が待ち受けているとはどういうことなのか。あっという間に冷たい汗が背中を濡らしていた。

「ひとつアドヴァイスしておきますが、あなたはもうちょっと慎重に動くべきだと思いますよ。ターゲットを襲おうとしたら留守でした、なんて笑い話にもなりませんから」

「まあ、いいじゃねえか、アル先生。せっかく足を運んでくれたんだ。有難い話じゃねえか」

自分は最大級に警戒しているのに、相対する2人の騎士は余裕にあふれていて、苛立ちは募るばかりだ。

「奴の差し金か?」

「やつ?」

黒い男の黒い声に、少年騎士が首をひねる。

「セイジア・タリウスがおまえらに警護を頼んだのだろう。おれを警戒してのことだな。そうに違いない」

シーザーとアルは顔を見合わせてから、笑いを爆発させた。

「何がおかしい!」

「影」は怒鳴り声を上げたが、青年騎士は一向に取り合わず「にゃにがおかしーっ」と変顔をしながら小馬鹿にした態度をとった。こいつ、絶対いじめっ子だったに違いない、と裏の仕事人は確信する。

「いえいえ、それは誤解です」

貴族出身のアルは上官のように無礼な振る舞いはしなかった。

「これはあくまでぼくとレオンハルトさんが勝手にやっていることです。もしも、団長が今ぼくらがやろうとしていることを知ったら不機嫌になると思いますよ」

「あいつは戦いを他人任せにするような人間じゃないんだよ。おまえ、あいつを倒そうとしている割りには、あいつを知らないな」

リサーチ不足ですね、と隣の少年もシーザーの言葉に同意している。

「では、おれに何の用だというのだ?」

「いえ、もともとはあなたが言い出したことではないですか」

「おれが?」

少年の言葉に思い当たるふしもなく、「影」が戸惑っていると、

「忘れてもらっちゃ困るな。ゆうべ、あんたが言ったんじゃねえか。おれら2人に向かって『いずれ相手になってやる』ってな」

シーザー・レオンハルトに言われて思い出す。確かにそう言った。だが、その「いずれ」がまさかそのすぐ次の日だとは、さすがの「影」にも思いも寄らないことであった。そして、もう一つ気づいたことがあった。それは、目の前の2人が本気で自分を倒そうとしている、ということだ。2人とも鎧を身にまとい、騎士団長は右手に長い槍を持ち、副長の左腰には鞘に収まった細剣レイピアがぶらさがっている。どちらも臨戦態勢にあるのは明らかで、暗闇に生きてきた男も緊張感ではらわたがねじくれるかのような感覚を味わっていた。

「あれ? もしかしてなんですけど」

アリエル・フィッツシモンズは少し口ごもってから、

「あなた、まさか『2対1とは卑怯だ』とか思ってません?」

「おいおい、アル先生。まさか、そんなわけねえだろ。このお方はわが王国のみならず、マズカやマキスィでもいろんな仕事をしてきた強者だぞ。そんなことを考えるわけねえじゃねえか。あと、『昨日戦ったダメージがあるのにもう戦うなんて』とか思うわけねえじゃねえか」

「ですよねー。うちの新入りだってそんなことは考えませんよ。戦場では汚い真似も反則も当たり前ですからね。それに、いつもベストコンディションで戦えると思ってる甘ちゃんだって、わが騎士団にはいませんから」

ははははは、と笑い合う2人の騎士。

(おのれ、こけにしやがって)

「影」は猫になぶられる鼠のような気分になっていた。しかも、軽口を叩き合っていても、目の前の騎士たちにはまるで油断がなく、逃げることもできない。噛みつくことすらできない、本当の窮地に仕事人は追い込まれつつあった。

「おまえらがそのつもりならやってやるぞ」

黒い男の身体から黒い殺気が湧き上がっていく。勝ち目はないにしても、2人に決して消えない傷を刻んでから負けてやる、という決意を固めたのだ。「影」もやはり戦いに生きてきた男であった。舐められたままで終われない、という本能が彼を突き動かしていた。

「まあ、待てって。大将」

シーザー・レオンハルトが切れるような笑みを浮かべて「影」をなだめようとする。

「おれらはあんたに聞きたいことがあってここに来たんだ。やりあうことなく終わるのがお互いにとって一番いい」

「聞きたいこと、だと?」

「ああ、そうだ。昨日、あんたもおれらもいた、あの食堂で気になることを聞いたんでな」

そう言われても、「影」には何も思い当たらない。こほん、と咳払いをしてから、アルが口を開く。

「ぼくらが気にしているのは、『くまさん亭』のおかみさん、ノーザ・ベアラ-さんがあなたに向かって言ったことです」

一拍おいてから、少年騎士は言った。

「ノーザさんはこう言いました。『あんたがセシルのおっぱいを触ったのは間違いないじゃないか』と」

「ごほごほ、ごほごほごほ!」

思わず「影」はむせてしまう。こんな緊迫した状況でなんというワードが飛び出すのか。しかも、それは彼にとって最も恥ずかしい記憶と関係していた。もう二度とは思い出したくない出来事だったのだが、

「で、どうなんだ、大将? 事と次第によっては容赦できねえぞ?」

「是非お聞かせ願いたいですね。返答如何によってはぼくにも考えがあります」

2人の騎士から立ちのぼるのは闘気ではなく殺気だ。生きながらにして煉獄に落ちたかのような絶望感が「影」を包み込む。

「ちょっと待て。どうしておまえらがそんなことを気にげふっ!」

「アステラの若獅子」の槍の石突きが黒い刺客の土手っ腹に突き刺さっていた。あまりの衝撃に呼吸ができなくなる。

「質問しているのはこっちの方だ。おまえに質問する権利はねえ」

「まあまあ、待って下さいよ、レオンハルトさん。いくらなんでも感情的になりすぎです」

副長が団長をなだめようとして前に出てきて、苦痛にうめく「影」が安堵したのも束の間、ざく、と額に冷たい何かがめり込む感触があり、すぐにそれは激痛へと変わった。

「こうすれば話してくれますって。もっと冷静になりましょうよ」

レイピアの切っ先を「影」の額から引き抜きながら、アルが微笑む。男の黒い血が放物線を描いて地面を濡らしていく。おまえだって感情的になってるじゃないか、と突っ込むことはできなかった。この少年は笑いながら人を傷つけられるのだ。何をされるかわかったものではない。話すよりほかに、このピンチを抜け出す方法はない、と男は悟った。

「おれは嵌められたんだ」

「影」の言葉に2人の騎士は目を丸くする。口を開いたのは少年の方だった。

「嵌められた、というのは?」

「おれはあの女と勝負したかっただけなんだ。でも、あいつは逃げ回るばかりで相手になってくれない。だから、店に行って攻撃を仕掛けたのだ。そうすれば、あいつも何か反応して勝負に持ち込める、と思ってたんだが」

「それで、触った、ってことか?」

シーザーの声が一層重々しくなる。

「違う。急所を狙って攻撃したのだ。だが、それが、その」

どん、と音がして、「影」は飛び上がってしまう。青年騎士が石突きで地面を叩いたのだ。闇のプロフェッショナルとして勇名を馳せた男が、今は小動物のようにおびえきっている。

「おれは悪くない。セイジア・タリウスが悪いのだ。勝負をしようとしたおれを痴漢に仕立て上げた、卑劣な女だ。あれはわざとではない。罠だ。不可抗力だ」

「まあ、言い訳も結構なんですが」

アルがまた欠伸をしてから「影」に問いかける。目から殺気が消えていないのが向かい合った男にはよくわかった。もはやはぐらかすのが不可能なのもよくわかった。

「結局のところ、触ったんですか、触ってないんですか?」

「さわっ」

そこで「影」は黙りこむ。すすり泣くような夜風が吹いた後で、ようやく、

「た」

と口にした瞬間、氷のごとき刃が顔面を切り裂き、うなりを立ててやってきた槍の柄が胴体を薙ぎ払うのを感じ、そこで男の意識は断ち切られた。それから後のことは何も覚えてはいない。

「てめえ、よくもやってくれたな。おれだって長い付き合いなのに一度たりとも触ったことはねえんだぞ」

「そんなうらやま、いや、けしからぬことをした輩を成敗するのは騎士としてのつとめです。断じて個人的感情で動いているわけではありません」

実際のところ、この2人の騎士と「影」の実力はそれほど開いているわけではない。むろん、数的優位やコンディションの違いはあるにせよ、ここまで一方的な展開に、勝負ではなく制裁と呼ぶのがふさわしい流れになってしまったのは、シーザーとアルが嫉妬によって突き動かされ、通常以上の力を発揮していたのが最大の理由だったといえよう。ジェラシーこそが人間を、そして世界を動かす大いなるファクターであることを、この夜の出来事は証明しているかのようであった。

「おりゃっ」

2人でさんざんボコボコにしてから、シーザー・レオンハルトが長大な鋼の槍を軽々と振るうと、ごいん、と大きな音を立てて、「影」が吹き飛んだ。黒い身体が夜空に高々と舞い、林の中へと消えていく。この騎士団長は、世界が違えばスラッガーとして歴史に名を残したに違いない、と思わせる打棒であった。

「あーあ、あんなに遠くまで飛ばすことはないじゃないですか。それに、きっちりとどめを刺した方がよかったんじゃないですか?」

やや呆れ顔でつぶやいたアルに、

「まあな。あいつがこれくらいで諦めるとも思えないが、とはいえ、おれたちがあいつを始末した、と聞いて、セイがどんな顔をするのかを想像したら、迂闊なことはできないだろ?」

いい運動をした、と言わんばかりにさわやかな顔で額の汗を拭っている上官にそう言われて、少年騎士も同意するしかなかった。セイジア・タリウスは無用な暴力も無益な殺生も好まないのだ。「団長のやりかたはぬるい」とアルは常々思っていて、しかも、自分を殺そうとしている人間にまで情けをかけるのは寛大にも程がある、と言いたかった。しかし、そういった少女の優しさが思いがけないところで生きた、というのも過去に何度か経験しているので、今回もそうなればいい、と願っていたし、そして、そんなセイだから自分は好きなのだ、というのも認めざるを得なかった。

「それは了解しましたけど、ぼくとしてはレオンハルトさんに言いたいことがあるんです」

「ん? なんだ?」

語気を強めた少年の顔をシーザーは見た。

「ぼくはここに昼間に来たかったんですよ。やっと団長の居場所がわかって、会いに行きたかったのに、レオンハルトさんが次々に用事を言いつけるから、外出できなかったんです」

そう言ってから、

「ぼくが団長のところに行くのを妨害しましたよね? 部下の恋路を邪魔するなんて、恥ずかしくないんですか?」

「あのなあ」

青年騎士は槍を右肩に担いでから反論する。

「それを言うなら、おまえだっておれがセイに会いに行こうとするのを邪魔したじゃねえか。『溜まっている仕事を片付けてください』って、書類をどさどさ持ってきやがって。おかげで一日中机にかじりつかなきゃならなかったんだぞ」

「自業自得ですよ。毎日ちゃんと仕事をしてないから、そういうことになるんです」

生意気な部下が一向に堪えないので、シーザーもカチンとくる。

「うるせえ。おれは別におまえが何処へ行こうと気にしないから、勝手にすればいいじゃねえか。だから、おまえもおれの邪魔をするな。お互い好きにしようぜ」

「団長に会いに行ってもいいんですか?」

「行けばいいだろ? おれも行くけどな」

そこで会話は途切れたが、2人はなおも腹を探り合っていた。

(小僧のことだから、どうせまた嫌がらせをしてくるはずだが、こっちから先にやってやる。先手必勝だ)

(レオンハルトさんより先に団長に会うんだ。そのためならどんな手でも使ってやる)

2人はその場を立ち去り、その後、食堂から家に帰ってきたセイとリブに出くわすこともなかった。美しい少女をめぐる恋の駆け引きであったが、男たちの争いはますます陰湿かつ悪質なものになっていきそうな雲行きであった。


「ちくしょう」

高い木の枝に足を引っかけて、逆様になりながら「影」は文句を吐いた。シーザー・レオンハルトに吹き飛ばされて、気が付くとこんな場所にいたのだ。体中を槍で殴られ、剣で切り刻まれ、ズタボロのぼろきれのように成り果てていた。だが、男の憎しみは自分を痛めつけた2人の騎士へは向かわなかった。

「おれがこのような目に遭ったのも、全てセイジア・タリウスのせいだ。あいつは厄病神だ」

頭の中は女騎士で占められていた。彼女と関わり合いになってから、何もかも上手く行かなくなってしまった。仕事は失敗し、戦いにも敗北した。全てあの少女が悪い、と「影」は決めつけていた。

「このままで済ませてなるものか。必ずあいつを打ち負かしてやる。そして、あいつをおれのものにするのだ」

勝負に負ければ嫁になってもいい、というセイの言葉を黒の仕事人は事あるごとに思い返していた。そのたびに、何故か力が湧いてくるのを感じるのだ。それは復讐心あるいは闘争心のはずで、今や「影」の生きるよすがにまでなっていた。

「だが、このままでは勝てん。時間をかける必要がある」

無策で闇雲に挑みかかろうとした結果、今このようなざまになっている。シーザー・レオンハルトとアリエル・フィッツシモンズがおれを負かしたのではない。おれはおれに負けたのだ、と「影」は考えていた。そして、女騎士に立ち向かうための新たな手立てを見出そうとしている。確実に勝てる、という目算がついてから、あの少女に挑むことにしよう。そう決めていた。

「待っていろ、セイジア・タリウス。次に会う時こそ、貴様を地獄に落としてやる」

逆さになったまま、おのれの血で黒く染まった顔で「影」は嗤う。かくして、セイジア・タリウスと「影」の因縁は今後も続いていくこととなったのである。



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