第42話 支社長、本国に召還される

「朝早くに悪いが」

支社長室に入ってきたソジ・トゥーインをトビアス・フーパスは腰掛けたまま迎えた。この座り心地のいい椅子とも別れなければならず、「フーミン」アステラ支社長の座ともお別れのはずだった。

「なに、構いませんよ。早ければ早いほどいい、というのが本社の考えなのでしょう」

そう言ってから、支社長は立ち上がった。先を行くトゥーインの後を追って部屋を出る。

「それにしても、誰かがわたしを迎えに来るとは聞いてましたが、まさか黒鷲殿がわざわざいらっしゃるとは、思いも寄りませんでした」

「陛下もフーパス殿の働きをお認めになられてのことであろう」

マズカ帝国大鷲騎士団を率いる男はむっつりした顔で答える。確かに皇帝は「フーミン」のアステラ王国での活動を大いに認めていた。ただし、失敗したと認めていたのだが。少なからぬ国費を投じ、時には強引ともいえる活動によって、帝国の大手レストランチェーンは王国に大量出店を果たし、当初は成功を収めているかに見えた。しかし、14号支店が火災を出して以降、数々の不備が発覚し、マスコミからも批判が相次ぎ、ついにはそれまで好意的だった王国政府からも「これ以上支援は出来ない」と言い渡される結果となってしまった。

「どういうことなのか説明せよ」

皇帝に宮殿まで呼び出された「フーミン」社長は震え上がった。マズカ皇帝は峻厳な合理主義者であり、利用価値のなくなった者は容赦なく処分する。帝国の大企業とはいえ安泰とは言えなかった。目端の利く社長は、アステラへの進出が失敗に終わったことを素直に認めた上で、あまりに性急に進出しようとしたのが失敗の原因であり、今後は徐々に王国へと浸透を図る方式に切り替える旨を告げた。「フーミン」のアステラ進出は皇帝肝煎りのプランであり、簡単に放棄するわけにはいかないだろう、と社長は考え、それは独裁者の考えにもかなったようだった。

「では、そのようにいたせ」

腹の底まで響く迫力たっぷりの声で言い渡されて、社長が安心した次の瞬間、

「ただし、こうなった責任を誰かにとってもらわねばならぬ」

と断固たる口調で告げられ、「フーミン」のトップは謁見の間の冷え切った床に平伏し、帝王の命令に従うことを自分から誓っていた。

「フーミン」のアステラ進出が失敗した責任が誰にあるかといえば、支社長のトビアス・フーパスが負うべきなのは明白であった。現地で陣頭指揮に当たった人間が最も責任が重い、という見方が当然あるのに加えて、凋落の原因となった14号支店の火災が彼の弟であり部下でもあるカルペッタ・フーパスが引き起こしたとなれば、責任はより重いものとみなされるのもやはり当然かと思われた。

(この男の先行きも暗いと言わざるを得ないのだろう)

「マズカの黒鷲」と呼ばれる騎士は後ろをついてくる男に、ほんのわずかに同情する。フーパスには告げていないが、これに先立って彼はマズカ帝国のアステラ駐在大使であるダニエル・オバンドーを本国へと送り届けていた。オバンドーにも「フーミン」の進出が失敗した責任はある、と皇帝は考えたのだ。実際のところ、この外交官は大手チェーンの活動に深く関与していたわけではないのだが、それ以外でもいくつかの不手際があったのが不幸にして主君の目に止まってしまったのであった。オバンドーは本国に戻るなり、皇帝に呼び出されてきつく叱責を受け、一族共々、帝都を追放されたと騎士は聞いていた。それに匹敵するか、あるいは上回る処分を支社長も課されるはずだ、と考えたところで、だからといって自分に関係のあることでもない、と思い直して、目の前の職務に集中することにする。

「表に馬車を待たせてある」

「おお、それはご丁寧に」

1階に降り、使用人もメイドもいない冷たい客間を通り抜けてから、玄関から外へと出る。だが、これからフーパスを乗せて本国へと帰る馬車を見た瞬間にで彼の足は止まり、笑みは凍ってしまった。庭にたちこめる朝の霧を背景として浮かび上がる黒塗りの車体は、決して安物ではなく、頑丈そうに見えた。だが、窓には板が打ち付けられ、一度乗れば外を見渡すことはできないとわかる。

(これは罪人を護送するためのものではないか)

ここに至って、トビアス・フーパスは帝国と「フーミン」が自分をどのように評価しているのかがはっきりとわかった。そして、本国で自分を何が待ち受けているのかも、うすうす見えてきていた。

「警備上の都合でこれしか用意できなかったのだ。フーパス殿のような地位のある方には満足頂けないかも知れないが」

支社長の顔色が変わったと見たソジ・トゥーインが釈明するが、それでフーパスの気が楽になるわけではない。今は地位があるかも知れないが、それもいつまで保つのかわかりはしなかった。

(これが長年会社に尽くしてきた人間への仕打ちなのか)

男の頭が憤怒に染まり、銀縁眼鏡の奥の目が血走っていく。押さえ込もうとしていたどろどろとした怨念が胸の中から溢れ出て止まらなくなる。弟の不祥事で自分をあっさりと切り捨てたアステラの上流社会も、「食堂一軒も満足に処理できないのか」と報告書で嘲ってきた会社の上層部も、全て憎かった。おまえらになにがわかる。ろくでもない奴だが、カップはおれの家族なんだ。そして、あの「くまさん亭」という食堂がどれほど手強かったか。おまえらになにがわかる。そう叫びたかった。

(あげくのはてに、「影」までわたしに逆らってきた)

「くまさん亭」の女主人の一人娘をさらってくるように命じたのが、あの黒い男と会った最後だった。誘拐してくるように言ったものの、フーパスに娘をどうしようと確たる考えがあったわけではない。どうにかしてあの食堂を傷つけたい、という思いが先走った結果、「影」にあのような命令を出したのだ。もっとも、闇の仕事師を完全に信用していたわけでもなかったので、彼の下で汚い仕事を担当している何人かの男にも手伝わせることにしたのだが、あれ以来、「影」が依頼人の前に現れることはなく、手伝いに行ったはずの男たちも姿を消し、幼児がいなくなったという話も聞かないので、彼の命令は無視された、と考えるしかなかった。

(どいつもこいつも。わたしを舐めやがって)

トビアス・フーパスの苛立ちは極限にまで達していたが、さて、ここまでこの話を読まれてきたみなさんは、「影」がポーラ・ベアラーを拉致したのは当然ご存じだと思うので、ここで経緯を簡単に説明しておくことにする。

フーパスの命令を受けた「影」は当初断ろうとしていた。落ち目の依頼人の言うことを聞く必要も無いと思っていたのに加えて、強者に立ち向かうことを喜びとしている彼には子供をかどわかすことなど気乗りがしない仕事にも程があったのだ。しかし、そこで黒い男の黒い頭脳にアイディアが思い浮かぶ。

(食堂の女主人の子供をさらえば、セシル・ジンバは言うことを聞くのではないか)

という考えだ。あの少女は明らかなお人好しで(「影」を「いいやつ」だと考えるくらいだ)、幼児を見捨てると思えず、考えれば考えるほどいい案だと思えた。そして、「影」は依頼人の言うことを聞くふりをして、堂々と裏切ることにしたのである。フーパスが手伝いに差し向けた男たちは、邪魔になるだけなのでてっとりばやく始末してしまった。そして、預け先から幼女を誘拐し人質としたうえで、セイジア・タリウスに勝負を挑んだ、という次第なのであった。ちなみに、「影」がポーラ・ベアラーを一切傷つけず、痛い思いを全くさせなかったのは、「標的の少女を勝負に引きずり出せれば、子供をわざわざ傷つける必要はない」という彼なりの計算に基づく行為だったが、それを知った女騎士は「おまえはやっぱりいいやつだ」と笑顔になりそうなので、黒い刺客としては永久に説明せずに済ませたい話だと思われた。

話を戻す。手先として操っていた「影」にアイディアを横取りされたとは知らないトビアス・フーパスの日焼けした顔が怒りでどす黒く変わっていくのを見たソジ・トゥーインは、さっさと馬車に乗せてしまった方がいいと考えた。

「フーパス殿。時間の都合もあるので急いでくれないか」

漆黒の鎧を着込んだ騎士の言葉に、支社長は我に返る。もうすぐこれまでの地位も名誉も失ってしまうだろうが、それでも最低限の体面は保ちたかった。みっともなく取り乱すのはごめんだ、と虚栄心が男を立ち直らせようとしていた。

「ああ、わかりました」

冷静なふりをしてみせると、本当に冷静になれた気がした。大きく呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。そうだ。自分は一流の経済人なのだ。いかなる状況にあってもパニックになど陥ることはない。本国に戻っても堂々と振る舞って、周囲を驚かせてやろうではないか。そう思ったフーパスが馬車に向かって力強く大股で歩き出した、その3歩目で何かにつまずいた。

「え?」

足下を見ると、矢が地面に深々と突き刺さっているのが見えた。いつの間にこんなものが、と思う間もなく、後退ったつまさきをかすめるようにまた矢が刺さった。誰かが今、矢を射ているのだ。しかも、自分を狙って。

「ひっ」

怯えた男に向かって次々に矢が飛んでくる。どん、と屋敷の白亜の壁に背中がぶつかった。もはや下がることもできなくなったトビアス・フーパスめがけて、驟雨のように空から矢が降り注ぐ。ひゅんひゅん、と風を切る音が支社長のプライドをも切り裂き、男は恥も外聞もなく叫び声をあげていた。

「敵襲だ!」

ソジ・トゥーインの言葉に馬車を囲んでいた警備の兵士は姿勢を低くして周囲を見渡す。

(どこだ。どこから撃っている?)

「マズカの黒鷲」は困惑していた。この屋敷は森に囲まれているから、狙撃しようと思えばできないこともないだろうが、大陸一の弓の名手とされている男ならばすぐに場所を特定できるはずだった。だが、それがわからない。それに、フーパスめがけて飛んでくる矢の角度から考えると遠くから射られていると考えるのが妥当だった。それもかなりの長距離射撃だ。

(まさか!)

トゥーインは信じられない思いで視線を上に向けた。その目に映っているのは、教会の鐘楼だった。アステラ王国の首都チキで一番高い建物だ。狙撃者はそこから矢を射ているのだ、と思った後で騎士は呆然とする。理屈の上ではそうとしか考えられないが、だがそれを実行できるとは思えなかったのだ。教会から町はずれにあるこの屋敷まではかなり離れていて、矢を届かせること自体がかなり難しい。「マズカの黒鷲」であっても可能かどうかわからない。

(しかも、それだけではない)

ソジ・トゥーインは苦々しい思いでトビアス・フーパスを見た。「フーミン」アステラ支社長を囲むように何十本もの矢が白い壁に突き刺さっている。「ひいい」と泣き叫んでいる哀れな標的を抜き出せば、おそらくきれいな人型のシルエットができあがっているものと想像できた。どういうわけか、犯人はフーパスを狙っておきながら、殺すつもりはないようだった。殺さずにその一歩手前で苦しめ続けているのだから、優しさや善意で命を奪わずにいるわけでもないのだろうが、トゥーインはそれ以上に標的を殺すことなくギリギリに矢を当て続けた技量に舌を巻いていた。こんなことが可能な人間は一人しか思い当たらない。

(「魔弾の射手」!)

アステラ王国をたびたび救ってきたという謎の弓の名人だ。シーザー・レオンハルトはその実在を否定していたが、やはり存在していたのだ。いけしゃあしゃあと嘘をついていた若僧への怒りと、自分に匹敵する名手への嫉妬で、騎士は美しく整えられた髭を振るわせつつ、身が焦がれるような思いを味わっていた。

(だが、ものは考えようだ)

歴戦の勇士はこの非常事態を前向きにとらえようとする。「魔弾の射手」と雌雄を決するのはかねてから望んできたことなのだ。その実在が確信できたのはむしろ喜ばしいことではないか。つまらない任務だと思っていたが、わざわざ異国まで来た甲斐があるというものだ。恐るべき能力の持ち主だが、自分も負けるつもりは毛頭ない。いつか相対する時が来る、という予感がソジ・トゥーインにはあった。

(その時を待とう。わたしもより高みへと達するのだ)

決意を新たにする騎士だったが、とりあえず今はトビアス・フーパスを助けなければいけなかった。雨か霰のごとく降り注いでいた矢はようやく飛んでこなくなったが、恐怖のあまり白目を剥いて気絶している男を本国に護送して尋問したところで、有益な情報が訊き出せるか怪しいものだった。それでも、どんな使命であっても果たすのが自分の役割だ、とマズカ帝国大鷲騎士団団長はしっかり心得ていた。

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