第20話 ろくでなしが来た

「またセイジア・タリウスですか」

大地主の老婆と「マグラ通運」への「交渉」が失敗に終わった翌朝、自身のオフィスで報告を受けたトビアス・フーパスは顔を曇らせた。

「あの女はあちこちに網を張り巡らせているようだ」

「影」の声はいつも通り陰気だが、覇気までないように聞こえるのは度重なる失敗がこたえているせいかもしれない。

(さて、どうしたものか)

「フーミン」アステラ支社長は今後の方針を考える。ここで「IF」の話をしてしまうが、もしもフーパスが昨日の2つの交渉のいずれかひとつにでも自ら赴いていれば彼の運命は変わっていたかもしれない。その場でセイジア・タリウスの手紙に直接目を通していれば、その筆跡が以前「くまさん亭」の店内を密偵のように伺っていた「フーミン」の社員のポケットに忍び込んでいたメモのそれと同じである、と気づいていたはずだった。そして、実際の文面を見れば、かの女騎士が「くまさん亭」を守ろうとする断固たる意志を持っているのも感じ取ったはずなのだ。大企業で出世街道を歩む人間ならそれくらいの能力は持ち合わせている。しかし、彼が実際に手紙を目にすることはなく、「影」の報告に頼らざるを得なかったのだが、判断を左右する重要なディティールが使者の言葉には欠けていた。戦いに特化された男は細かなニュアンスを受け取り、それを他者に伝える能力を削ぎ落としていたのだ。その結果、

(まさか、アステラの英雄たる女騎士があのような小さな店にこだわるはずがない)

と多分に願望が含まれた判断を下してしまった。セイジア・タリウスが「くまさん亭」のバックにいるとすれば、あの食堂を閉店に追い込むのは不可能と判断せざるを得なくなり、それは彼にとって大きな失敗を意味していた。それだけは避けたい、という思いが誤った判断へとつながっていたのだ。これでフーパスの運命は破滅へと一歩進み、そして今、さらに二歩も三歩も進む出来事が起ころうとしていた。

「騒がしいな」

「影」が扉の向こうに目をやった。支社長には何も聞こえなかったが、すぐに、どたどた、と廊下が騒がしくなった。裏社会で暴力に手を染めている男は、人一倍鋭い感覚を持っているようだった。そして、ばん、と大きな音を立ててドアが開いた。

「よう、兄ちゃん。久しぶりだな」

どやどや、と音を立てて何人もの男が入ってきた。フーパスになれなれしく挨拶したのは、先頭に立っている金髪の男だ。と言っても、セイジア・タリウスとは違って生まれつきのものでなく、染料で黒髪をきんきらに色づけたものだ。身にまとった服は全て高級店で仕立てられていて、顔もよく手入れされているように見えた。

(こいつはクズだ)

しかし、「影」は一発で男の本性を見抜いていた。見た目は良かろうと、内面から発している腐臭は止めようがないのだ。

「すみません、支社長。予約がないとお通しできないとお伝えしたのですが」

男たちの背後で黒縁眼鏡の受付嬢が申し訳なさそうにしている。

「いいんだよ。おれは兄ちゃんの弟なんだから、別に構わねえだろ」

金髪の男にすごまれたメガネ女子が怯えて涙目になり、それを見た他の男たちが、ひひひ、と笑う。クズがクズを引き連れてやってきた、と「影」の胸中がますます暗くなる。

「いや、気にしなくていいから、仕事に戻りなさい」

ひきつった笑いを浮かべながら受付嬢を下がらせると、フーパスは大きく息をついてから見た目だけはいい男に話しかける。

「カップ、ここには一昨日来る約束だったが?」

カルペッタ・フーパス、通称カップはトビアス支社長の年の離れた弟だった。末っ子だったこともあって両親から溺愛され、ほとんど叱られることもないまま育てられた結果、まるで内面が成長していないまま成人を迎えていた。中味が子供の大人は本当の子供よりもずっと性質タチが悪いものらしく、カップは絶えず問題を起こし続けた。暴力、金銭、女性。考え得る限りのトラブルを起こし続け、いつまでも定職に就かずふらふらしている彼を両親も持て余していた。

「あなたはお兄さんなんだからカップをなんとかしてあげて」

裕福なフーパス家でもついにドラ息子の面倒を見切れなくなり、母親から頼み込まれたトビアスはやむを得ず自分のコネを使って「フーミン」に弟を入社させることにした。才覚のみで大企業内部でのし上がってきた男としては忸怩たるものがあったが、それでもいくらろくでなしとはいえ弟への愛情はゼロではなく、見放すこともできずにいた。

「いやー、悪い悪い。途中でダチと一緒にあちこち見物してたらつい遅くなっちゃって」

いつまでも学生のつもりか、と頭が痛くなる兄に、

「あ、でも、仕事はちゃんとやるからさ、安心してくれよ。その、アヒルさんだか、カモさんだかいう店なんか、すぐにぶっ潰してやるからよ」

と弟はへらへら笑う。支社長がマズカからこの下品な金髪の男を呼び寄せたのは、「くまさん亭」を閉店に追い込むためだった。カップは現在「フーミン」の販売促進部門に所属していた。名前はもっともらしいが、やっていることは他店に嫌がらせをして営業を妨害するだけである。よその営業妨害が自らの販売促進になっている、というわけだが、彼はこの仕事に向いているようで、これまでに何軒もの商売敵を閉店に追い込んでいた。ろくでなしにしてみると、他人を痛い目に遭わせてそれで給料も貰えるのだから、まさにいいことずくめで「フーミン」に入社して以来楽しい毎日を送っていた。

「そうしてくれると助かる。上司としても兄としてもな」

対照的に弟が入社してからというもの気の休まらない毎日を送っているトビアスは一応笑ってそう言いはしたが、

(できることならこいつの力は借りたくなかった)

と心は重かった。彼のモラルから見ても弟のやり方は常軌を逸していて、避けたい手段ではあったのだが、それ以上に「くまさん亭」の存在を許すわけにはいかなかった。だから、やむを得ず劇薬に手を出すことにしたのだ。

「あれ? あんた、『影』とかいう人?」

カップが支社長室の隅にいた「影」の存在に気づいた。

「ったくよー、あんたがだらしないから、おれが出張ってこなきゃいけなくなったんだぜ? あんたみたいな陰キャ、お呼びじゃないからさっさと消えな。おれらが後はしっかりやってやるからよ」

他の男たちがカップの言葉に、ぎゃはは、と笑う。

「では、そうさせてもらう」

音もなく息をついてから、「影」が姿を消そうとしたところ、

「待ってください!」

とトビアス・フーパスがバネが跳ねたように立ち上がって、デスクから部屋の隅まで走ってきたので、さすがの「影」も驚く。この支社長がここまで動揺したのを見たことがない。

「お願いです。弟と一緒に仕事をしてくれませんか? その分報酬は弾みますから」

声をひそめて頼んできたトビアスだったが、「影」はつれなかった。

「お断りだ。おまえの弟はクズだ。クズは一緒にいる人間まで腐らせる。組んで仕事などまっぴらごめんだ」

「あれを野放しにしておくと何をするかわかりません。わたしの責任問題になるのは願い下げです。だからお願いします。この通りです」

(クズだというのは否定しないのだな)

「影」もやはり人間で、必死に頼まれると同情の念らしきものがかすかに湧いてくる。それだけでなく、ある打算も芽生えてきたことで、考えを変えることにした。

「わかった。ならば面倒を見よう。その代わり、この借りはいずれ返してもらうからな」

「それはもちろんです」

「ねえ? 何を話してんの?」

兄の思いも知らない弟に向かって支社長は振り返ってなんとか笑みを浮かべた。

「カップ、やっぱりこの人と仕事をした方がいいと思うんだが」

「えー、なんで? 兄ちゃん、おれのこと疑ってんの?」

「そうじゃない。おまえがやればできる子だというのはわかってる。ただ、カップ、おまえはこの国は初めてで事情がわからないこともあるだろうから、ガイド役は必要だと思うんだが、どうかな?」

あー、たしかにー、と偏差値の低そうな声でつぶやくと、

「わかったー。じゃあ、そいつにガイドを頼むことにするわ。よろしくー、『影』ちん」

「おれはあんたの邪魔はしないから、好きにやるといい」

「おー、話せるじゃん。思ってたよりいい人だわ」

へらへら笑っている蕩児の顔をこれ以上見たくないので、「影」は支社長室から姿を消した。

(クズはクズなりに役に立ってもらう)

「影」がカップに協力することにしたのは、「くまさん亭」にいるはずの「手練れ」をいぶり出すことを狙ったからだ。支社長の弟とその連れにできるのは程度の低い嫌がらせだけだろうが、それに「手練れ」がどのように反応するのか興味があった。

(もしかすると、「手練れ」はセイジア・タリウスと関係がある人間かも知れん。手紙が1枚なら偶然かもしれんが、2枚となればそうではない)

「影」は知能ではなく直感で真相に近づいていたが、その事実には思いもよらないまま、思考を自らの中の暗闇へとゆっくりと落としていき、ろくでなしのことはしばらく忘れることにした。

「うわ。すごいな、『影』ちん。いきなり、ふっ、と消えやがった」

『影』の消えた支社長室でカルペッタ・フーパスは相変わらずへらへら笑っていた。

「まあ、あんまり無茶はしないようにな、カップ」

今後の先行きに大いに不安を感じながらそう言った兄に、

「大丈夫だって、兄ちゃん。おれが来たからにはもう安心してくれよ」

弟は能天気に笑い続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る