第5話 女騎士さんの読み通りに全ては進む
昼過ぎの「くまさん亭」はそこそこにぎわっていた。全盛期とまではいかないが、「フーミン」が「シュバリエシチュー」を大々的に売り出して閑古鳥が鳴いていたころと比べると格段の違いがあり、オーマとコムはいくらか心安らぐ思いで厨房からカウンター越しに店内を眺めていた。
「なんとかなるかもしれないな」
「ですね」
そこから2人はしばらく黙る。女主人のノーザ・ベアラーはどこかに出かけていて、チコは出前の配達に行っていた。そしてセシル・ジンバはひとり鍋の前でシチューの煮こみ加減を確かめている。最近になって「シェフのきまぐれシチュー騎士団風」の売れ行きが改善されてきていて、「くまさん亭」の面々はそれを嬉しく思いながらも不思議に思ってもいた。「フーミン」にパクられて圧倒されたはずなのに、どうして立ち直ることができたのだろうか、と。もっとも、作り手の少女にはそれも織り込み済みだったようで、それもまた食堂で働く料理人たちにとっては謎になっていた。
「兄貴、おれ、最近心配になってきちまったんですよ」
「なんだよ、コム。店ならなんとかなりそうだ、って、おまえもさっき言ってただろ?」
「そうじゃないんです。セシルちゃんのことなんです」
「あの子がどうかしたのか?」
後輩の娘に聞かれないように、男たちは声を落とす。
「セシルちゃん、めちゃくちゃいい子じゃないですか。あの子がいつか嫁に行く、と考えるとたまらなくなって」
「なんだよ。おまえ、やっぱりセシルに惚れてるんじゃないか。だったら、さっさと告白でも何でもしちまえばいい」
「違うんですよ。あの子はおれなんかにはもったいない、というのはわかってますから、惚れてるとかそういうのはないんです」
「じゃあ、なんなんだよ?」
大柄な後輩が何を悩んでいるのかわからずに小柄な料理人は眉をひそめる。
「セシルちゃん、どんな奴のところに嫁に行くんだろうか、とか、結婚式にはどんな料理を作ってあげようか、とか、子供もやっぱりかわいいんだろうな、とか、そういうことばかり考えちまうんです。おれ、頭おかしいんですかね」
「ああ、それは間違いなくおかしい」
どうしておまえが父親の目線で考えているんだよ、とオーマは後輩のたわけた悩み事に困ってしまう。ただ、少女が素晴らしい才能の持ち主であることは彼にもわかっていた。
(おかみさんですら慌てていた状況でもセシルは落ち着いていて、しかも、あの子の予想通り、店の売り上げは回復してきている。本当に何者なんだろうか? コムが気にするのもわからんでもない)
そこへ一人の客がやってきた。シックなグレイのスーツに身を包んだキャリアウーマンが、こつこつ、とハイヒールの音を高く鳴らしながら店内に入り、カウンター席に腰かけた。メイクもばっちりしたロングヘアの女性にオーマとコムは見とれてしまう。
「あんな美人、うちの店に来たことあります?」
「いや、おれも初めて見る」
2人の男はひそひそ語り合ったが、ずっとそうしているわけにもいかないので、オーマが注文を取りに行く。お冷やを女性の前に置くと、彼女はコップに目をやってから、料理人の顔を見てにっこり笑った。ぞくぞくした震えが背骨を駆け巡るのを感じながら小柄な男が、
「ご注文は?」
と、やっとのことで口にすると、女性は「ぷっ」と噴き出してから激しく笑い出した。意味も分からずに立ち尽くすオーマと思わず厨房から出てきたコム、2人の耳に、
「あっ、おかみさん、今日はとても素敵ですね」
と、やはり厨房から出てきた少女の声が聞こえた。
「えっ?」
「おかみさん?」
驚く2人の男に向かって、ひいひい、と笑い声を上げながらノーザ・ベアラーは指で涙をぬぐった。
「いや、悪い悪い。オーマがわたしだってちっとも気づかないのがおかしくって、おかしくって」
そう言って、「あー、おかしい」とつぶやいてから、女主人は3人の方に向き直った。
「えっ? でも、おかみさん、どうして髪が長いんですか?」
「コム、おまえがもてないのがよくわかるよ。エクステも知らないなんてねえ」
「いや、エクレアなら知ってますが」
と料理人らしい(?)答えを返した大男に思わず失笑するノーザ。
「というか、おかみさん、どうしてそんなおしゃれなんかしてるんですか? それが一番気になりますよ」
そう言いながらもオーマは大いに困惑していた。彼女とは長い付き合いになるが、ここまできっちりした格好をしているのを見た覚えがない。そういえば、ホーク・ベアラーと結婚した時も、仲間内でささやかなパーティをしただけで、ウェディングドレスも着ていなかった。
「わたしだって、したくてしたわけじゃないんだけどね。必要に迫られて、どうしても、ってわけでさ」
はあ、と溜息をついた女主人を店員は黙って眺めた。数瞬ののち、
「向こうのシチューを食べてきた」
と、ノーザはつぶやいた。
「えっ? まさか『フーミン』の、ですか?」
「ああ、うちの、というか、セシルのパクリをな」
コムの問いかけに女主人は頷き、そして、
「セシルの言っていることを確かめたかったんだ」
「どういうことです?」
そう聞いてきたオーマをノーザは微笑みとともに見つめ、小柄な料理人はどぎまぎしてしまう。毎日同じように見られているはずなのに、どうしようもなく落ち着かない気分になるのだ。
「確かによくできた料理だった。もしかすると、わたしのよりもクオリティは高いかもしれない。でも、セシルのとは違う。どう考えたって違う」
そう言ってから、彼女は娘を見た。
「セシル。確かめに行ってみたけど、あんたの言いたいことが分かった気がする。おかげでわたしも安心できたよ。まあ、最初からあんたを信じていれば、わざわざ店まで行かなくて済んだんだけど」
「いえ、そんな。わたしが確かめに行ったらどうか、って言ったんですから」
それもそうか、と三つ編みの少女に微笑んだ女料理人に、
「それはわかりましたけど、そんなにおめかししている理由がまだわからないんですけど」
まだ困っているコムにノーザは呆れる。
「あんたは本当にダメだねえ。そんなの変装に決まってるじゃないか。向こうにはわたしの顔が割れてるだろうから、いつもの格好でのこのこ行くわけにはいかないだろ? しかもわざわざここから一番遠い店に行ったんだから、手間がかかるったら無いよ」
はあ、と大きく溜息をつく女主人。
「ああ、そういうことなんですか。でも、それなら、初めて連中に感謝したくなりますよ。だって、こんなきれいなおかみさんが見られてうれしいですもん、おれ」
「見え透いたお世辞を言われても嬉しかないね」
にやにや笑うコムが熟女好きだったのを思い出してノーザがひきつった笑いを浮かべる。
「まあ、わたしも正直不安だったから多少気が楽にはなったんだけどね。これならやりようがある、勝ち目がある、ってやっと思えてきた」
「確かに最近はお客も戻って、セシルのシチューもよく売れるようになってます」
ああ、と女主人はこの店のナンバーツーである小柄な男に向かって頷く。
「悩みがひとつ消えたのはよかったさね」
そう言いながらも、彼女の表情がやや曇ったのをセイジア・タリウスは見逃さなかった。悩みが消えた代わりに、また新たな悩みが生じたかのような憂い顔だが、しかし、それは一瞬のことだった。
「とにかくそういうことだから、あんたたちも安心して頑張ることだ。わたしは一度家に戻って着替えてくるから、また留守を頼むよ」
そう言って、お冷やを飲み干すと、ノーザ・ベアラーは立ち上がって店を出ようとする。
「あの、おかみさん」
セイに声をかけられた女主人が振り返る。
「せっかくだから、ゆっくり戻ってきてください。ポーラに晩ごはんを作ってからでもいいですから」
「ああ、それはいい。ぜひそうしてください」
コムも賛同するのにノーザは戸惑いながら、
「いや、それはありがたいけど、あんたたちだけで大丈夫かい?」
「はい」
「もちろんです」
セイとコムの答えを聞くと、ふーん、と微笑み、
「じゃあ、たまにはお言葉に甘えさせてもらうか」
と今度こそ店を出ようとした女料理人へ、
「おかみさん!」
顔を真っ赤にしたオーマが大きな声を出してきた。驚くノーザに、
「あの、その、セシルもコムも、みんな言ってますけど、今日のおかみさん、おれもきれいだと思います。というか、いつもきれいだとは思うんですけど、いや、その、なんというか、今日は特にきれいだと思います」
顔からだらだら汗を流す小柄なベテラン料理人を優しい目で見つめてから、
「そうか。ありがとな、オーマ」
とルージュで赤く染められた唇に笑みを描いて、女主人は店を出ていった。
「おかみさん、なんか、おれと兄貴で態度違いません?」
コムがそうぼやいたのに、
(本気度が違うせいなんじゃないか?)
と真っ赤になったオーマの耳を後ろから見ながらセイは思ったが、何がどう本気なのかまでは、男女の心理にあまりに疎いこの女騎士にはわからなかった。
「宮中晩餐会?」
その日、家に戻るなり、セイはリブ・テンヴィーからそんな話を聞かされた。
「ええ。3日後に開かれるって話よ」
国中の情報に精通している女占い師は声をひそめて話した。晩餐会だけなら、それは王族や貴族には大事なイベントかもしれないが、セイやリブのように市井に暮らす人間には特に関わりのない出来事だったろう。だが、今回ばかりは違っていた。
「今度の晩餐会はアステラとマズカとの友好を目的にしていて、そこに例の『フーミン』のシチューも出されるというのよ」
「シュバババカレーが、か?」
「シュバリエシチュー、ね」
女騎士の雑な記憶をリブは丁寧に訂正しつつも、
(あまりにも見え透いた狙いね)
と、晩餐会について考えた。つまり、「シュバリエシチュー」を国王スコットをはじめとした王族や貴族たちに食べさせ、称賛されることでアステラ王国からのお墨付きを得ることを目論んでいるのだ。しかし、そうなると問題の根は深い、と豊かな知性を持つリブは危惧する。いくら「フーミン」が大企業とはいえ、王族が関係するパーティーにメニューをごり押しできるとは考えにくい。つまり、マズカ帝国からも後押しがあったと考えるのが自然だ。セイが働く食堂を圧迫しているレストランの背後に帝国の影がある、となると友人として心配せざるを得なかった。
「へえ。そうか」
しかし、リブの見立てを聞かされても、セイは特に表情を変えず、むしろ退屈そうな顔しかしなかった。
「『そうか』って、セイ、あなた、心配じゃないの?」
「というより、今のところ全部予想通りに動きすぎていてつまらない、と思ってるんだ。帝国が影で動いているというのも、その晩餐会でシチューを出してくるというのも、全てわたしの読み通りだ」
「まさか。セイ、嘘でしょ?」
さすがにリブも驚く。未来を予知するなんて騎士のやることではない。まるで自分のような占い師のようではないか。
「戦争に関してはわたしの方が専門家だからな。逆に言えば、それくらい読めないようではとても生き残れない」
女騎士は事も無げに言い放つ。いつもの大らかな様子が嘘のように、機械を思わせる冷徹な表情を浮かべた友人をリブは驚きとともに見つめた。
「じゃあ、あなたには、その先の展開もわかっているのね?」
「もちろん。わたしたちの勝ちだ」
セイの自信はまるで揺らがなかった。このような堂々たる姿を見れば、彼女に率いられた戦士たちは、普段の何百倍もの勇気を胸に戦いに臨めるだろう、というのは容易に想像がついた。
(頼もしい限りね)
すっかり感心した女占い師は琥珀色の酒が入った杯を手にとって、かつての騎士団長に眼鏡越しに微笑みかける。
「じゃあ、あなたが晩餐会で向こうにぎゃふん、と言わせるわけなのかしら?」
「いや、そうじゃない」
セイジア・タリウスはさわやかな笑みとともに断言した。
「それはわたしの役目じゃない。わたしではなく、わたしの仲間がやってくれるはずだ」
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