第3話 女騎士さん、料理を盗まれる

「こんなものが配られてたよ」

お昼前に用事を済ませて「くまさん亭」に戻ってくるなり、セイは先輩のチコに薄い紙を渡された。見ると、毒々しいまでにカラフルな色合いの中でシチューが大きく描かれていて、「新発売! 本家アステラ騎士の味! シュバリエシチュー」とでかでかと書かれている。「フーミン」が新メニューを大々的に宣伝しているのだ。

「やられたな」

とオーマも同じチラシを手にして溜息をついていた。その「シュバリエシチュー」なるものが「くまさん亭」の「シェフのきまぐれシチュー騎士団風」にそっくりだったからだ。つまり、言葉は悪いが、パクられたのだ。

がん、と店の前から大きな音がしたので、3人が驚いて見てみると、ノーザ・ベアラーが倒れたごみ箱の前で立ち尽くしていた。足蹴にしたのだろう。

「そんな胸糞悪いもの、さっさと捨てちまいな」

女主人は腹立ちをあらわにして店内に入ってきた。

(ったく、嫌なことを思い出させやがって)

彼女の夫、ホーク・ベアラーも腕のある料理人だったが、その性格の良さが災いして、自分で開発したメニューをしばしば横取りされていた記憶が甦ってしまったのだ。大きな音を立てて女主人はテーブル席に座る。もうすぐ昼食時だが、店内に客の姿はない。斜め向かいの「フーミン」に行列ができているのとは対照的で、現時点での勝敗は明らかだった。

「さあ、いらっしゃい! よそとは違う本物の味ですよ!」

店頭で「フーミン」の店員がこちらにあてつけるかのように大声を張り上げ、何枚かのチラシが風に舞っているのが薄暗い店内からでもよく見えた。

「なんなんだよ、あったまくるぜ!」

ぷりぷり怒りながらコムが入り口から店に入ってきた。いつもはひょうきんな大男が珍しく怒っているので、小柄な先輩料理人が訊ねる。

「おう、どうしたんだ、コム。頭から湯気が出てるぞ」

「そりゃ出ますよ。さっき、知り合いと話をしてたら、『おたくのシチュー、フーミンの真似だったんだな』って言われてさあ。ちげえよ! 向こうがパクったんだ! って、いくら言っても信じてくれなくて」

(やっぱりそうなるか)

女主人はテーブルに頬杖をついて眉をひそめる。それはかつて彼女も通ってきた道だった。この世の中では強い方の、声の大きい方の意見が罷り通るのだ。正しい方が勝つ、などというのは幻想にすぎない、というのをノーザは何度となく思い知らされていた。「フーミン」という大手企業と「くまさん亭」という小さな食堂、どちらの話が受け入れられるか、というのは火を見るより明らかだった。そのうちに、真実とは関係なしに、向こうが本物でこちらが偽物、という評判が定着していってしまうのだろう。

「まあ、こちらには分が悪すぎる勝負だな」

オーマが苦々しくつぶやく。チラシには「最高級食材をふんだんに使用」「マズカ帝国宮廷料理人監修」などとぬかりなくアピールされている。

(味でこちらが負けているとは思わん。だが、このように具体的な情報を出されるとどうしてもごまかされてしまう)

「そんな。それじゃあこっちの負けになっちまうじゃないですか。なんとかならないんですか?」

コムが嘆くが、女主人にも先輩料理人にも対抗策はないので黙ってしまう。「シェフのきまぐれシチュー騎士団風」はいまや「くまさん亭」の主力商品になっていて、店へのダメージも甚大なものになるはずだった。深い霧が店の中に立ち込めていくのを3人は感じていた。

「なあ、セシル。残念だったな」

チコが後輩のバイト女子を慰めているのが聞こえた。

「こんなことでお前の頑張りが全部無駄になっちまうなんてな。本当に気の毒だよ」

そうだった、とノーザ・ベアラーはセシル・ジンバの方を見た。今一番に気にかけてやらないといけないのはあの少女のことだったのに、自分の店のことしか考えてなかった、と舌打ちしたい気持ちになる。初めて採用されたメニューがこんな形で横取りされてどれほど傷ついているかと思うと、女主人はやり切れない思いになった。三つ編みの少女はチラシに目を落としたままずっと何も言わなかった。しかし、手が震えていて、ショックの大きさがうかがえた。

「セシル、あんた、大丈夫かい?」

女店長は椅子から立ち上がると、少女に近づいて慰めようとした、その時、「ぷっ」と娘が噴き出したと思うと、

「あははははははははははははははは!」

と大きな声で笑い出したので、少女以外の4人は呆気にとられる。あまりにも声が大きいので衝撃波が生じて、風が店の中から外へと抜けていく。

(なんだ? ショックでおかしくなったのか?)

少女の真横にいたチコは驚いて尻もちをつき、他の3人も何も言えずに娘を見ることしかできない。さっき手が震えていたのも笑いを我慢していたためだったのか、と思うと驚きは余計に大きくなる。ひとしきり笑った後で、少女は「うん」と頷いてから、

「これは悪手です」

と、きっぱり言い切った。あくしゅ、と言われても他の面々がシェイクハンドしか思い浮かべていないのに気づいて、「悪い手、よくない作戦ということです」と言い直してから、説明を始めた。

「相手の得意とする戦法を真似する、というのは戦争ではよくあることなので、こちらの料理を真似してくるのは驚くにはあたりません。成功すれば相手に精神的ダメージも与えられる、と考えると、むしろ推奨されるべきことかもしれません。しかし、十分な理解を得ないまま真似をしたところで失敗をするだけです」

「えーと、それは、生兵法は怪我の元、ってやつかい?」

いつになく能弁になった少女に戸惑いながら大柄な料理人が訊ねてみると、

「まさしくその通りです、コムさん。以前からあなたには軍人としての才覚があると睨んでいましたが、わたしの目に狂いはなかったようですね」

いや、そんなものになんかなりたくないから、とコムが呆れているところへ、オーマが質問する。

「いや、しかし、そうは言ってもだな。現にこうして向こうに客を取られているじゃないか」

「今だけです。時間が経てばお客さんは戻ってきますから安心してください」

新米のバイト女子に断言されてベテラン料理人は絶句するが、彼女の言葉は確固たる信念に裏付けされた強さが感じられたので、何も言い返せなかった。

「セシル、じゃあ、わたしらはどうしたらいいんだい?」

店長がバイトに店の今後について質問するなんて、これじゃあべこべだ、と思いながらもノーザ・ベアラーは問いかける。それでも、少女の言葉にはこちらを安心させてくれるものが感じられて、今はそれにすがりたい気分だった。三つ編みの少女はにっこりと笑って答える。

「何もしなくていいんですよ、おかみさん。普通にしていれば、それだけでこちらの勝ちなんです。こんな楽な戦いはありません」

「はあ。そうなのかい?」

上気した顔でバイト女子は頷く。

「そうですよ。逆に慌てて何かをしようとしたら向こうの思うツボなんです。確かに今はちょっと困った状況かもしれませんが、そういう時こそ平常心でやっていくのが大切なんです」

(うちのだんなみたいなことを言う)

ノーザは苦笑いを浮かべていた。料理人として生活していく中でも、店の経営にあたっても、何度も苦しい場面があった。そのたびに、ホーク・ベアラーは思い悩む妻を「いつも通りに頑張ろうよ」と笑顔で励ましていたのだ。その思い出が今、女主人を立ち直らせてくれていた。

「ちっ。あんたらにださいところを見せちまったな」

「おかみさん?」

女料理人がすっきりした表情になっているのを見てコムが驚く。

「セシルの言う通りだ。今こそ普通にやっていかなきゃダメだ。オーマ、コム、チコ。セシルがそう言ってるんだ。この意味はわかるよな?」

つまり、一番の新米である少女が、そして自分の料理を横取りされて一番つらいはずの少女が気丈に振る舞ってるのに、大の男がなにをしょげてるんだ、とノーザは奮起を促したのだ。

「そうですね。結局おれらには料理を作ることしかできませんからね」

「うん。なんか燃えてきましたよ。やるぞ、って感じですね」

2人の料理人が目を輝かせて立ち上がる。

「ああ、そういうことだ。じゃあ、あんたたち、今日もしっかりやっておくれよ」

はい! と声を張り上げ返事をすると、オーマとコムは厨房へと入っていき、それを見たチコもあわててその後を追う。

「セシル、ありがとう」

ノーザはすぐ横にいる少女に心から感謝の気持ちを伝えた。

「いえ、そんな、わたしは別にそんな」

「あんたがああ言ってくれたおかげで、わたしも、みんなも安心できたんだ。たとえ、今度ばかりは勝ち目のない戦いかもしれないけど、やれるだけのことはやっておきたいからね」

そう言われた娘は一瞬きょとんとしてから、

「何を言ってるんですか、おかみさん? さっき、わたしが言ったのは本当のことですよ? この戦いはこちらが必ず勝ちますから」

そう言われた女主人は愕然とする。少女は自分たちを励まそうとしてあのように言っているとばかり思っていたのだ。

(この子、まさか本気なのか? 本気であのチェーン店に勝つつもりなのか?)

そんな戸惑いを感じたのか、目の前の娘は「信じてくれないのか?」と一瞬むっとしてからすぐに微笑んで、

「向こうの料理を食べてみたら、わたしの言いたいことが分かると思いますよ。あのシュバババカレーとかいうのを」

「シュバリエシチュー、かい?」

「そうそう、それです。じゃあ、わたしも準備に戻ります」

楽しげに厨房へと向かっていく少女の背中に「シュしか合ってないじゃないか」と突っ込むこともできず、ノーザはただ黙って見送ることしかできなかった。

(さあ、面白くなってきた)

セイジア・タリウスはこの上なくウキウキした気分になっていた。いよいよ戦いが始まり、騎士の出番がやってきたのだ。ここで燃えずにいつ燃えるというのか。

(これでメッセージを送った甲斐もあったというものだ)

「くまさん亭」に客のふりをしてやってきた「フーミン」14号店の男のポケットにメモを忍ばせたのはもちろんセイの仕業だった。なかなか反応がなくてがっかりしていたのだが、こういう形で反撃してくるとは、敵もなかなかやるみたいだ、と女騎士は感心する。

(向こうには策士がいるようだ)

洗い物をしながらも、前髪に隠れた青い瞳が強く輝く。武勇を競い合うのはもちろん大好物だが、知略を比べ合うのも少女は愛してやまなかった。そういう争いを久々にやれるのが楽しみで仕方がなかった。

(だが、策士殿。あなたの今度の作戦は失敗だ)

その理由はいずれわかるさ、と思いながら、少女騎士はまだ顔も姿も知らぬ敵へと期待を膨らませていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る