第17話 女騎士さんと招かれざる客

「おまえももうすっかり常連だな」

店を出るカリー・コンプを送り出しながらセシル・ジンバが話しかける。吟遊詩人は今夜もその歌声を披露して、客たちから喝采を浴びていた。

「居心地がいいので、毎日のように通いたくなるのですよ」

「嬉しいことを言ってくれる」

「それに」

銀髪の青年は見えない眼を三つ編みの少女に向けて微笑みとともに告げた。

「看板娘に会うのも楽しみですしね」

整った容貌の男が白い歯をきらめかせてこのように言えば、女性ならば心ときめくのも当然だと思われた。「くまさん亭」の女子店員は一瞬きょとんとした後で、

「ああ、それも嬉しいことだな」

と頷いた。

(ようやくわたしの思いが伝わったようだ)

と喜び勇んだカリーがさらなるアプローチに出ようとしたところで、

「そうか、おまえもおかみさんが好きなのか」

と言われて思考が完全に停止してしまう。

「はい?」

「おかみさんは『くまさん亭』の太陽みたいな人だからな。わたしも大好きだし、尊敬している。だから、おまえが好きなのもわかるし、とても嬉しいぞ」

(いや、あの人は「娘」という年齢では)

と思ったものの、男はそれを口に出さない礼節はわきまえていたので、

「あ、まあ、はあ、そうですか」

とお茶を濁すよりほかに仕方なかった。セシルことセイジア・タリウスには自分が美しい女性であること、男性の愛情の対象になっている自覚がまるでなく、そのおかげでシーザー・レオンハルトやアリエル・フィッツシモンズはかつて何度も苦い思いをさせられていた。その罠にカリー・コンプもまさに嵌まろうとしていたのだ。

「それじゃあな。もう夜だから気を付けて帰れよ」

セシル・ジンバが手を振るのを感じながら、

(実に手ごわい。しかし、だからこそやりがいがあるというものだ)

と吟遊詩人はさらなるファイトを燃やしつつ、「くまさん亭」を後にした。そんな彼に蟻地獄よりたちの悪い陥穽に落ちていこうとしている自覚はもちろんなかった。

「さて、と」

夜道を行くカリーの後ろ姿を眺めながらセイは店内に戻ろうとする。付け合わせをまかされるようになってしばらく経ったが、まだ納得できるものではなかった。料理の脇役、とでも呼ぶべき付け合わせではあったが、それだけに奥深いものがあることに、女騎士は気づきだしていた。親切に教えてくれるコムにも、一言二言ではあるがアドヴァイスしてくれる女主人にも応えたかった。

(もっと高いレベルを目指すんだ)

意気込みを新たにして、厨房に戻ろうとしたところへ、

「席、空いてるかしら?」

と背中から若い女性に声をかけられた。

「ああ、いらっしゃ」

「い」が言えなかったのは、振り向いた先に、よく見知ったリブ・テンヴィーの顔があったからだ。夜だというのに、いや、夜だから、と言うべきなのか、その美貌はますます光輝いて見えた。

(リブめ。「店には来るな」と言ってあったのに)

セイの胸に苦いものが滲みだす。同居人がやってきたら自分の正体がばれてしまうかもしれないのに、どうしてわざわざ来るのか。

(まあいい。帰ったらとっちめてやる)

少女の心中は荒れていたが、表面上はあくまで冷静だった。いつも通り振る舞えば何も問題はないはずだ。

「いらっしゃいませ。お客様、お一人ですか?」

「あいにくそうなのよ」

「そうですか。それではご案内いたします」

頭を下げて女店員はリブを「くまさん亭」の店内に招き入れた。

(なかなか様になってるじゃない)

リブはセイの仕事ぶりに感心していた。好奇心を押さえかねて女騎士の注意に反してでも店までやってきた甲斐があったというものだった。

店の中にリブが足を踏み入れた瞬間、男たちの目が彼女に集中した。深緑のドレスを身にまとったグラマラスな美女が大衆食堂にやってきて人目を惹かない方がおかしかった。なだらかな曲線を描く肩も、胸の深い谷間も、スリットからのぞく白い太腿も、あらわになった身体全てが目で味わう最高のごちそうだと言えた。それに加えて先のとがった黒い帽子をかぶっているせいで、人々をたぶらかすために町までやってきた魔女のように思われてくる。店員たちも占い師の出現に大いに動揺し、オーマは指を切り、コムは手に火傷をし、チコは皿を落とした。客の中にはとうとう口笛を吹くやつまで出てくる始末だ。

(やっぱりこうなった。リブ、おまえ目立つんだから自重しろよな)

自分も相当目立つ人間であるのを忘れて、セイは心の中で突っ込みを入れるが、テーブル席に座ったリブは赤い唇に笑みをたたえて、

「とりあえず生ね」

とバイト女子に注文を入れた。

「かしこまりました」

と溜息をつきたいのを我慢しながらセイはお辞儀をする。

「とんでもないな、あのおねえちゃん。ものすごいお色気だ」

厨房に戻ると、コムがよだれを垂らしそうな顔でつぶやきながら、火傷をした右手を水で冷やしていた。

「コムさん、熟女専門じゃないんですか?」

最近ますます陰気になってきたチコに突っ込まれたが、

「まだ若いけどすっかりれだから問題ないぜ。かーっ。お近づきになりたいもんだ」

大柄な料理人は全く意に介さなかった。そこへ裏口から厨房へと戻ってきたノーザ・ベアラーがリブの存在に気づいた。

「あら、占いの先生じゃないですか。こんばんは」

「こんばんは。『先生』はやめてよ、おかみさん」

「いえいえ、その節はありがとうございます。とても助かりました」

頭を下げる女主人に、いえいえこちらこそ、と軽く頭を下げる女占い師。

(リブのやつ、おかみさんと知り合いだったのか)

そんなこと言ってなかったのに、とセイが思っていると、

「前に相談に乗ってもらったことがあるそうだ」

すぐ横にいたオーマが教えてくれた。

「おかみさんも大変な時期で気持ちが弱くなっていたそうなんだが、あの人と話をしに行ったら明るい顔で戻ってきてな。だから、おかみさんにとっても、この店にとってもあの人は恩人なんだ」

そう言っているオーマの左の人差し指に血がにじんだ新しい絆創膏が巻かれているのにセイは気づき、少女の視線に気づいた小柄な料理人はリブの魅力の犠牲となった指を気まずそうに隠した。

(いいこともしてるんだな)

友人に感心しながら、注文されたビールをジョッキに入れてテーブルまで持っていく。

「ご注文の生です」

「あら、ありがと」

にっこり笑ってジョッキを持った女占い師は、ごくごく、と音を立てて一気に飲んでいく。大の男でも容易には呑みきれない量の酒が、瞬く間に美女の咽喉に吸い込まれていくのを客も店員も呆然と見守る。全て一気に飲み切ると、リブは、ぷはーっ、と大きく息をついて、

「おいしーっ」

と呟いた。唇からこぼれた雫が喉元を伝い、白いふくらみに垂れるのを見た男たちの脳が沸騰する。

「おれも、あの人と同じのを」

「おれもビール」

「おれも」

たちまち注文が殺到する。大手の広告代理店をもはるかに超える宣伝効果を発揮したとも知らずに、リブ・テンヴィーは壁に貼られたメニューを見て、次に頼む酒の品定めをしていた。ワインにしようか、この店にはブランデーはあるかしら。

(無茶苦茶だな、あいつ)

そんな女友達を見てセイは心の底から呆れたが、リブも同じように女騎士に呆れるのが常なので、完全にお互い様だった。

「あんたも先生に一度見てもらったらいいよ」

ノーザがにこやかに話しかけてきた。

「はあ」

「世の中にはあんな人もいるんだねえ。きれいで頭も良くて思いやりもあって。本当に素敵な人だよ」

心から感じ入っている女主人に、

(昼過ぎまで起きてこなくても、家事が壊滅的にできなくても、素敵ですか?) 

とは言えなかった。勘違いをしていた方が幸せ、ということも世の中には確かにあるのだ。

結局ビールのお代わりを頼むことにしたリブの前に誰かが音を立てて座った。いかにもむさくるしい中年の男が鼻の下を伸ばした典型的な「スケベ面」で美女の全身をじろじろ見ている。

「おねえさん、一人で寂しそうだね、えへへへへへへ」

「そうねえ。寂しいかもしれないわね」

「よかったら、おれと話そうよ。あんたと仲良くしたいんだ」

「あら、ほんとに?」

端から見れば、男の強引な押しを美女が断れないように見えた。店内の殺意が男に集中する。

「あの野郎」

コムが憤る。怒りだけでなく、自分も彼女と相席したかった、という羨望が大いに含まれてるのは明白だった。

「あちゃあ。あんな酔っぱらいを相手にして、先生、困ってないかね。止めた方がよさそうだ」

動き出そうとしたノーザを、

「大丈夫だと思いますよ」

と三つ編みの少女が止めたので、女主人は驚く。

「大丈夫って、だって、あんた」

そう思いながら、リブの方を見ると、

「あら、あなた、生命線が長いのね。頭脳線もすごいわ」

「そうかい、そうかい。おれもそうだと思ってたんだよ。えへへへへ」

男の手相を見てやっていた。といっても、この酔っ払いにとっては、自分の運勢よりも美女に手を握られている方がずっと重要で、もう手を洗わないぞ、とひそかに決心してもいた。

「いや、でも、あれはまずいんじゃないかね?」

そのうちセクハラ行為に発展するのを危惧するノーザだったが、

「おかみさん、心配しなくてもいいですよ。あの人はああいうのに慣れてますから」

「慣れてるって、セシル、あんた」

娘と占いの先生の関係も気になったが、それでもやはり止めに行こう、と決めた女主人の耳に突然男の泣き声が飛び込んできた。驚いて振り返ると、さっきまでにやついていた男がテーブルに突っ伏して泣き崩れている。

「おれは、おれは、なんてダメな男なんだ。今までのおれの人生はいったいなんだったんだ」

号泣する男の肩をリブが優しく叩いている。あまりの急展開に店の中がどことなく白けた空気になる。

「そんなことないわ。あなたは立派よ」

占い師に励まされても、男は、ううううう、と呻くだけで、悲しみから立ち直れない。

「今からでもやり直すことができるわ。自分を信じれば、人はいつからでも新しく生きられるものなのよ」

そう言われた男がようやく顔を上げる。涙と鼻水でますます汚い顔になっている。

「本当にそう思うかい?」

「もちろん。あなたが望むのなら、今後についてお話に乗ってもいいわよ」

「本当かい? 頼む。ぜひとも話を聞かせてくれ」

「でもねえ、悪いんだけど、わたしも仕事だからタダで、というわけにはいかないの。残念だけどお金がかかっちゃうのよ」

男は懐から財布を取り出すと、銅貨をテーブルの上にばらまいた。

「金はいくらでも払うから、話を聞かせてほしい」

「あら、悪いわね」

リブが笑顔を浮かべる。この世で一番美しい営業用スマイル、と呼べるはずだった。

(ほらな)

セイは心の中で溜息をつく。男の劣情を利用するのはリブ・テンヴィーの得意技だった。美しい獲物を狙いに来た獣をたやすく返り討ちにしてしまう。それを知っていた女騎士には何百回も読み返した本をまた読むような、わかりきったつまらない流れでしかなかった。

(それにしても相変わらずすさまじいテクニックだな。いや、ますます磨きがかかっているかもしれない)

自分も女でなかったら危なかった、と思っていると、女占い師は男から金を巻き上げられるだけ巻き上げてから、さっさとテーブルから追い払ってしまった。当の男は体よくあしらわれたことに気づかないどころか、占ってもらったことに感謝までしているのだから、まことにいい面の皮、としか言いようがなかった。

「ねえ、おかみさん」

いきなりリブに呼びかけられてノーザが驚く。

「はい、なんでしょう?」

「わたし、このお店が気に入ったわ。なんというか、いい気の流れを感じるのよ。だから、たまにここで出張の占いをさせてもらってもいいかしら?」

(またあいつ勝手なことを)

セイは驚きながらも呆れたが、

「もちろんですとも。先生ほどの人なら、こちらからお願いしたいくらいです」

占い師に恩義を感じている女主人が断るはずもなかった。

「だから『先生』はやめてってば」

そう言いながらも、ようやくビールのお代わりにありついたリブ・テンヴィーはご機嫌そのものだった。


その夜、家に帰ってきたセイに勝手な行動をこっぴどく叱られたリブだったが、

「少しでもあなたとお店の助けになりたかっただけなのよ」

と弁解すると、単純な女友達はそれを信じてあっさり許してくれたので、逆に拍子抜けしてしまった。実際のところ、好奇心だけでなく悪戯心で動いた面もあるので、後ろめたい気持ちもあった。

(でもね、セイ。あなたが頑張っているのが見られてうれしかったのは嘘じゃないから)

その思いは口にせず、占い師は「今度から店に来るときは前もって言ってくれ」という女騎士の注意を黙って受け入れた。






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