第4話 

 青空は澄み渡り、気持ちの良い風が吹いている。何処かに甘い香りのする果実でもあるのだろうか、ふんわりとした蜜の匂いが漂ってきた。少しだけ水色を付けた珍しい蝶々が番になって飛んでいる。うららかな日和とあった。


 黒い影の意識は止まり、ただ影としての存在でゆらゆら揺れている。思い出すことも止めたようだった。



 森全体の空気が動いた。それは意識と言えばよいのか、白い高貴な意志を持つ何かが笑ったようだった。


『あのものは、何度も同じ思考を繰り返すが、その先にはいかないようだ。人とはかくも不思議が生き物である。あの親子は、私も覚えている。何も持たずに、どこからかやって来た。初めて森に入った日に、可愛い花の種という手土産を持って挨拶をしたのだった。ふ、森に貢ぐ人がいるとは…。そうしてから、この森の近くのあばら家を丁寧に掃除し二人仲良く住み始めた。あの母親は、よく気の付くよい人であった。森の中の果実やキノコ、勝手に生えた芋などあれば、自分と子どもの分だけ取り、あとは他の動物が食べやすいように、取りやすいようにと少しだけ掘り起こしたり、開いてくれていた。ミツバチの蜜も、虫が困らないよう、ほんの少しだけ取り、手を合わせてお礼を言っていた。心根の優しい母であった。この母に育てられた娘も、母と同じように森を大切にしてくれた。


 それなのに、この男は親子を亡き者にしてしまった。初めは母親であった。親子が谷から落ちてきたとき、私は助けようと手を差し伸べた。しかし、二人同時に助けるには無理があった。そのとき、母親の一心に願う気持ちが聞こえてきた。

「どうかこの子だけでも、お助け下さい」と…。何とか子どもだけ助けたが、その子どもも誰かを助けようとして、谷から落ちてしまった。

「お願い誰か、あの子達を助けて下さい」と祈りつつ…。


 あの親子の気持ちはこの谷に沁み込んでいった。

 あの後、大人たちは森に迷い、朽ち果てた。しかし、捨てられるはずだった子ども達は、森の中で優しい親子の想いに触れ、共感し、生きていこうと頑張った。子ども達の素直な気持ちに森は応え、果実やキノコ、芋や虫、ネズミを与えた。食べる物が無かった子ども達に栄養を与え、知恵を授けた。

 それからも、何人もの子ども達がこの森に捨てられに来た。さすがに、森深くには入らなかったが…。子ども達だけで抜けられない深さまで連れて来ると、置いて帰るのだった。子ども達の母親らは、森の出口の処で大声を出して泣いていた。


「後生だから、返してくれ…」とどんなに泣き叫んでも、男たちは容赦がなかったようだ。げっそりと痩せた母親達は、皆肩を落としてとぼとぼと家路を戻って行くのが、私にも分かった。

 森に取り残された子ども達は、最初怖がって泣いているようであったが、大人達が居なくなると、元々いた子ども達が近づいて、甘い果実を渡し慰めると、元気を取り戻し、屈託なく遊ぶようになる。

 先にいた子ども達は、森での過ごし方を教える。どの果実が食べごろなのか、どれ位取って食べても良いのか…。魚の取り方や寝床の作り方を教わり、森に感謝をしながら生活する日々の中で、森との共存を学んだようだった。


 森は、子ども達を完全に受け入れていた。動物も植物も子ども達が健やかに育つことだけを考えているようだった。

時にあの親子の気持ちが森に流れてくるときがあった。小さくて母親が恋しい子どもがぐずると、小さな子守唄を聞かせることもあった。安心して眠ることが出来るように、虫の羽音や風に揺れる葉をこすり合わせて、リズムを取り、小さな声で歌を歌う…

「もう大丈夫。安心してお眠りなさい。誰も怖い人はやってこない。ここは子どもたちの住まう谷、龍が守る谷だから…」


 季節が移ろい、天候の不順もなくなって来た頃だった。子ども達も大きくなり、大人衆と対抗できるまでになってから、勇気を出して村に帰ろうと相談し、帰っていく姿が見えた。

 そうして、道端にお地蔵様ができたのだった。

 

 村がどうなっていたのかは、分からない。知りたいとも思わなかった。でも、子ども達が森に戻って来なかったところを見ると、何とかなったのだろう。


私は神ではない。龍の姿に見えるとも言われるが自分の存在が何かもはっきりしない。ただ、そこに存在するだけなのだ。



 

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