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 人間、言葉を失う時って言うのは本当にあるのだと知った。


「……………」


 目の前に居るのが柚希だということは分かっていた。でも、本当にこの子が柚希なのかとも思ってしまったのだ。

 化粧を施したことで少女という部分を抑え込み、大人としての魅力をこれでもかと引き立たせていた。薄く塗られた口紅、パッチリとこちらを見つめる大きな目、純白の布に守られながらも彼女の健康的な素肌が目に留まる。


「……どう……かな?」

「……あ」


 ……そうだよ、彼女は柚希だ。

 どんなに綺麗になっても、どんなにいつもと違う装いでも、目の前に居るのは俺にとって何よりも大切な女の子だ。

 照れたように頬を赤くして俺を上目遣いに見つめる姿、俺はそんな柚希を見て何を考えていたんだと苦笑した。


「綺麗だよ凄く。一瞬、魂が抜けるかと思ったくらいだ」

「……えへへ、そっか。ありがと」


 魂が抜けかけたのはあながち間違いではないけれど。でもそれくらい、俺は柚希の姿に惹かれてしまった。


「カズも凄くかっこいいよ」

「そうかな? 個人的にはちょっと似合わないって思ったんだけど」

「そんなことないよ! 凄くかっこいいってアタシは思う」


 そう言って柚希はいつものように俺に抱き着こうとしたけど、流石にドレスを着ていることを思い出して踏み止まった。ただ何だろうか、やけにこの空間が静かに感じてしまう。ここに居るのは俺や柚希だけではなく、俺たちそれぞれを担当してくれたメイクさんが居るはずなんだが。


 メイクさんたちは、そう思って後ろを振り向こうとした俺を止めたのは柚希だった。彼女は少しだけ頬を膨らませて自分が着ているドレスを睨んだ。睨んだとはいってもとても可愛い表情だったけれど。


「むぅ……このドレスを着れて凄く嬉しいんだけど、カズに思いっきり抱き着けないのは嫌だよ。ねえ、早く終わらせよ? それでギュッてしよ?」

「……っ!」


 なんでこの子はこう……一つ一つの言動が可愛すぎるんだよマジで。俺がそう思ったのと同時に後ろからヒソヒソと話し声が聞こえた。


「……あんな可愛い子が存在していいの?」

「いいに決まってるでしょう戯けが。あぁ尊い……尊いわぁ」

「……あかん、和泉さんがおかしくなってしまったわ」


 なるほど、やっぱりあの人はおかしい人だったか……って、流石に失礼だから口には出すなよ俺。後ろから向けられる生暖かい目と、目の前に居る愛おしい人の可愛らしい言動に色んな意味でライフが削られてしまいそうだ。


「手、出してよ」

「?」


 柚希にそう言われて俺は手を差し出した。すると彼女はいつものように俺の手を握った。けれどいつも握るより優しく、まるで触れられることを喜ぶように、大切そうに俺の手を撫でながら。


「抱きしめられないから……これでね? えへへ、ちょっと物足りないけど我慢できるよ」


 …………はっ!? いかんいかん、本当にどうにかなってしまいそうだった。

 いい加減に段取りを進めないといけない、そう言われるように和泉さんたちに撮影場所まで案内された。

 和泉さんとメイクさんたち、それからカメラマンさんの指示に従って並ぶ。


「カズ」

「なに?」

「……ありがと。こんな時間を作ってくれて」

「……はは、それ言うなら俺たちを見つけてくれた和泉さんにだな」

「それもそうだけど……カズがやりましょうって言ってくれたから」


 確かにそれもあるんだと思うけど、今回のことは俺の我儘と和泉さんが見つけてくれた運だと思う。それとも、柚希のウエディングドレス姿を見てみたいって願ったおかげでもあるのだろうか。


「ねえカズ、いつになるか分からないけど……必ず未来でも着たい」

「そうだな。そして、そんな君の隣に俺は並びたい」


 そのためにも、俺も色々と頑張らないとな。柚希を幸せに……いや、幸せというのももちろん大切なことだ。けれど一番大事なのは、彼女をずっと笑顔で居させることが俺は一番大切だと思っている。


「柚希」

「なあに?」

「……俺は君を好きになって良かった、出会えて良かったって心から思ってるよ」

「ふふ、アタシも一緒だよ。だからカズ、ずっとアタシを離さないでね?」

「もちろんだ。絶対に離さない」


 そうして二人で笑い合った時、パシャっと音が聞こえた。

 突然のことに俺と柚希は驚いたけど、そう言えば写真を撮るんだったと思い出したのは本末転倒だ。それからカメラマンの人に従って何枚か写真を撮るのだが、何故かどれも納得できないのか首を傾げられた。


「……まあ気持ちは分かるわね」

「えぇ、最初の一枚があまりに完成度が高すぎるんです」

「……くぅ、視線がこっちに向いてないとダメなんだよな……くそ、これを超える一枚をどうすれば生み出すことが出来る!?」


 っと、色々と何かと格闘するように頭を抱えるカメラマンの人には少し申し訳ないことをしてしまったかもしれない。しかし流石はプロだと言うべきか、そこからちゃんとした一枚を撮ることが出来て無事に撮影は終了した。


 撮影が終わると後は着替えるだけだ。手伝ってもらいながら丁寧に服を脱ぎ、再び制服を着て俺と柚希は合流した。


「カズぅ!!」

「おっと!?」


 さっきの言葉を裏付けるように、柚希は俺に思いっきり抱き着いた。まだ和泉さんたちが目の前に居るんだけど、柚希は全く気にしてない風に俺の胸元で頬をスリスリと当てていた。


「あはは、本当にラブラブなんですね。羨ましい限りです」


 そう言った和泉さんに二つの包みを渡された。


「それは二人が向き合っていた一枚、最初の一枚ですね。それは差し上げた方がいいと思い現像させていただきました」

「あ、ありがとうございます!」

「ありがとうございます!!」


 なるほど、それは嬉しいな。ちょっと恥ずかしいけど、部屋に飾るのもいいけどその前に母さんに見せるとしようか。


「今回撮った写真ですが、来週に店の前に貼られると思いますので良ければ立ち寄ってみてください。雑誌にも載りますが、それはたぶん再来週かな」

「分かりました」

「楽しみだね!」


 ワクワクした様子の柚希に俺は強く頷いた。もちろん恥ずかしさはあるけど、是非柚希と一緒に見てみようと思う。


「それと、お二人のお名前を載せたりはしません。親しい方たちは見ただけですぐ気づくかもしれないですが、これを見てどこどこの誰だとはならないと思います」


 俺もそうだけど、柚希の方もパッと見ただけじゃ分かりづらい部分がある。柚希は白無垢姿というのもそうだけど、普段よりも大人っぽい感じが先行するからだ。俺にしても少し髪型を変えるだけで別人っぽくなってるし……まあ空たちは気づいてしまうんだろうなとは思う。


 それから出演したことに対する色々な話をしてこの場は解散となり、俺と柚希はホクホク顔の和泉さんにブンブン手を振られる形で見送られた。


「ふふ、和泉さん凄く嬉しそうだったね」

「あそこまで喜んでくれると嬉しいな」


 俺たちはただ、写真を撮っただけなんだけど。貴重な体験をさせてもらって逆にこっちが何度もお礼を言いたいくらいなのに。


「アタシ、今日が最高の思い出になったよ」

「俺もだよ……まあ色々な意味で大変ではあったけどね」


 柚希の可愛さというか、仕草には慣れたと思っていたのにそうではなかったらしい。どうやら俺もまだまだ修行不足らしい……って、なんの修行だよ。

 一人で意味の分からないやり取りを内心でしていた時、ギュッと柚希が俺の腕を取った。


「あぁ、こうやってカズに触れられる幸せだよぉ」

「さっきも抱きしめられたけどな」

「あれだけじゃ足りないもんね。もっとギュッてするもん!」


 更に強く、胸元で抱きしめてくるのでダイレクトに胸の膨らみが伝わってくる。何度も思うけど、本当にこの感触って幸せだなぁ……流石にこれはマズいか? いやでも相手は彼女だし、それくらい思うのは彼氏としての特権だろうよ。


「気持ちいいでしょ?」

「……俺声に出してた?」

「ううん、カマを掛けたんだけど当たりみたいだね」

「不覚!」

「あはは! でもこういうことも嬉しいんだよ?」

「というと?」

「カズがアタシの色んな部分に夢中になってるって思えるから」


 夢中なんてレベルではないと思うけどね。頬を掻く俺を優しく見つめた彼女は抱きしめていた腕を離し、俺の正面に移動して腕を大きく広げた。そしてそのまま俺に抱き着き、顔を上げてニッコリと笑みを浮かべるのだった。


「そして、そんなアタシもカズに夢中なのです♪」


 あぁ本当に、うちの彼女が可愛すぎて辛い。

 そう思えるのは贅沢な悩みであると同時に、自分がこれ以上ない幸せを感じていることの証でもあるのだった。

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