局姉ぇ
穂高 萌黄
第1話~勤続30年つぼ姉さんは今日も行く~
「また怒ってる・・・」
「おはようございまぁ~す」と事務所の扉を開けた瞬間に感じる張り詰めた空気で、
つぼねぇの機嫌が分かる。
直接顔を見なくても、すでに出勤している従業員の言葉なき回覧で、
「今日もピリピリでーす」が伝わってくる。
「めんどくさいな・・・。」
仕事は完璧に出来る、責任感も強い、お偉いさんからも評価されている、
そんなつぼねぇは、まったく協調性がなかった。
だから、周りの人間が振り回される。
私に言わせたら社会的に不適合だ。
いつも、つぼねぇの顔色をうかがい、御機嫌を伺いながら仕事をする。
自分の物差しで人を測る、そのやり方に疑問を感じつつも、
誰も何も言わないところへ、私のようなマイノリティが何か言ったところで、
火の粉が飛んでくるどころか、大火事になるのが目に見えていたので、
好きなようにさせておくしかなかった。
自分の仕事量が多すぎて、時間内に終えられそうにない日、
昼休み返上で働いていたら、きつく叱られた。
その理由が「あなたが仕事をしている音が気になって、私がゆっくり休憩できない。」だったので、
いよいよ、私は呆れ心の中で笑ってしまった。
残業手当も支払われないブラック企業に勤め続けているのは、
転職活動が上手くいかないまま年を取ってしまったから。
仕事が終わったら一分一秒でも早く職場を離れたい私は、
残業よりもつぼねぇの逆鱗に触れながら昼休みに働く事を選んだ。
ある日、つぼねぇが私の逆鱗に触れることになる。
入社して半年に満たない営業部の男の子が部署違いのつぼねぇに呼び出された。
大勢の従業員の前で怒鳴られている。
座席の配置上、二人の姿は私には見えない。
つぼねぇの大声と、繰り返される新入社員の小さな「すみません」が聴こえてくるばかり。
その会話から察するに、結局叱責の内容は、
「間違えるな。お前が間違えると私の作業に余分に時間がかかる」という物だ。
それだけでは怒りが静まらないのか、
「紙を切る時はカッターナイフを使え。」なんて、
全く怒鳴る必要のないことにまで話が及んでいた。
「いい加減にしろ。」
今までつぼねぇの顔色を伺いながら、精神的な苦痛を負いながら、
円形脱毛になりながら働いてきた私の中で、何かがプツンと切れた気がした。
その日から、つぼねぇが私に向けて吠える言葉が、一切聴こえなくなった。
なんか怒ってる・・・そう感じた時は、
「申し訳ございません」と腰が折れんばかりに頭を下げる。
それは全て見せかけの演技で、心の中では舌を出していた。
心が軽くなった気がした時、
爆発寸前の怒りを抱えて、怒鳴られた新入社員がいる営業部へ乱入した。
私より年下の営業係長を捕まえて(私も彼から見ればお局だ)、
「つぼねぇをあのままにしておくな!」と何があったか、
時折、感情のままに支離滅裂になりながらも必死で伝えた。
話し終えた時、
「いや、あれは僕が悪いんです。間違えたんですから。」
とすっかり落ち込んだままの新入社員と、
「つぼねぇって・・・すげぇ上手いこと言う。」と大爆笑する係長がいた。
「え?え?おわっ。」
そもそも、つぼねぇって私が勝手につけたあだ名で、
心の中で使っていただけで、今回初めてしかも職場で言葉に出してしまったのだった。
慌てる私を見て営業部が和む。
「分かってるから。大丈夫。また何かあったら聞かせて。」
一日中眉間にしわを寄せている事も、
毎日溜息をつきながら仕事をしている事も、本人いわく癖で、
人の悪口を言う事を最大のごちそうとして生きているつぼねぇと、
適度な距離感を保つ術をすでに営業係長は身につけていた。
しかし、私の怒りはおさまらなかった。
怒鳴られた新入社員に、
「絶対に気にすんな。怒鳴られたらとにかく『すみませ~ん』だけ言っておけばいいから。なんで怒られたのか分からなかったら、どんな話になったのか報告に来て。」
と伝えたことで、ようやく気が済んだマイノリティはとりあえずおとなしくなった。
つぼねぇの直属の部下である私が、
様々な事に疑問を持ち、怒りを抱えている事が明らかになった時、
会社のスタンスが目に見えて変わっていった。
キャリアと権力に物を言わせて常に、
「自分が仕事をやりやすい環境」を守り続けていたつぼねぇだったが、
新しい事を決める時に経営幹部に呼ばれなくなった。
営業所長から
「来季から、新しい事業を展開するにあたり、
今までのやり方を一新することとしました。」
と報告があり、つぼねぇは決められたことに向けて何をなすべきかを
考えさせられるようになった。
「これでは私がやりにくいです。」
といくら主張しても、パソコンに強い中堅社員や、
つぼねぇのやり方に疑問を持っている私が、
「こうすれば、改善出来そうですね」と次々発言をすれば、
もはやマイノリティではなく、過半数となる。
パソコンが覚えられない、
ペーパーレスに馴染めない、
そんなつぼねぇは会社の方針に従おうとすると盛大な失敗をし、
自分自身に効率のいい、いわゆる「昔ながら」の方法で仕事をしようとすれば、
会社から評価を下げられる八方ふさがりの現状を急に突き付けられた状態になった。
怒りに拍車がかかる。
「こんな決まりを作るから」
「私のやりやすい手順を否定するから」
「営業所長が悪い」
せっかく実績があったのに、とまらない悪口に、
最初は愚痴と思って好意で耳を傾けていた人も、
一人減り二人減り、やがていつも一人で怒っているだけの人になってしまった。
幸か不幸か、協調性のないつぼねぇは孤立しても苦痛ではなかった。
一人で淡々と仕事をして、仕事以外で会社の人と関わることを極端に嫌った。
だから、いつの間にか少数派になっても、気付いてすらいないようだった。
気付かなかったので、気付いた時にはすでに遅かった。
仕事のミスが増え、指導のつもりなのか他部署の新人に怒鳴ってばかりいるつぼねぇに、
人事異動の話が出た。
人事部に頼み込んでももう決まってしまった事だった。
転居を伴う転勤を嫌い、退職願を出したつぼねぇは権力を失った今、
武器を持たない兵士のようで、哀れな程小さく見えた。
あと三年頑張れば定年だったのに。
早期退職して今頃何をしているのだろう。
「私は仕事が出来ます」と職業安定所で言い放ち、
畑違いの清掃業者を斡旋されて、
窓口で怒り狂っていたという噂がまことしやかに流れている。
つぼねぇならやりかねない、実話かも知れないねと、
新風の吹く会社の中では今日も笑いがおこる。
局姉ぇ 穂高 萌黄 @moegihodaka
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます