第19話 御用商人と世界地図(1)

 大伯母が去ってから数日後。今日は月に一度やってくる御用商人の、訪問日である。私はお風呂に入ってちょっと良い服を着ると、うきうきとして彼の訪れを待った。


 ガリアでも十本の指に入る豪商であるヴァランタン商会は、現在の主人が小さな織物商から身を立てて、一代で急成長をとげた大店おおだなである。そんな主人には、後継者として能力を見込んだ四人の養子がいた。ロシニョル家の御用聞きであるギィ・ヴァランタンは、そのうちの最年少である。


 そんなやり手の彼が、なぜ自らこんな貧乏侯爵の御用商人として出入りし、そして大した物も売れないのに毎月顔を出すのか。武辺者でおだてに弱いおじい様や幼いフロルは単純に口の上手い彼を大歓迎していたが、アラサー庶民の記憶がある今は「裏があるのでは?」という某再従兄の意見ももっともに聞こえてくるから困りものだ。


 ただヴァランタンは大商人だが、新興ゆえ御用商人としては上級貴族にはまだあまり食い込んでいけていない状況である。今後他の上級貴族と取引が増えてくれば、そのうち我が家なんて相手にしてくれなくなるかもしれない──そう考えると、ちょっと寂しい感じもした。


 それはともかく、商人と会えば何か状況を変えるヒントが得られるかもしれない。私はいてもたってもいられなくなって、大階段の手すりを横乗りで勢いよく滑り降りた。最後にふわりと一瞬の浮遊感のあと、床にスタっと着地する。遅れて、波打つ髪もフワリと背中に降り立った。


 うーん、十点満点!


 なんだかんだ言って、私はヴァランタンの来訪に心が躍るのを抑えきれずにいたようだ。彼の語ってくれる遠い異国の話はどれもワクワクしたし、それにいつも彼の商会が手掛ける高級菓子の手土産つきなのである。外国の話も最新のお菓子も、辺境ではとっても貴重なのだ。楽しみになってもしょうがない。


 ソワソワと玄関ホールを行ったり来たりしていると、出迎えに出てきたのであろう執事のクレマンに見つかった。


「お嬢様、ヴァランタン様でしたら応接室にご案内致しますから、どうぞそちらでお待ち下さいますよう」


「はっ、はい!」


 いつもポーカーフェイスで感情の読めない執事の鑑のようなクレマンだが、どことなく呆れられている気がする……。


 私は慌てて背筋を伸ばすと、玄関ホール脇にある応接室に引っ込んだ。



 *****



「フロランス様、御快癒ごかいゆよろこび申し上げます」


 応接室のドアのない入り口をくぐるなり、青年商人は右手を胸に当て恭しく頭を下げた。硬そうな栗毛を軽く後ろに撫で付けた髪型は、真面目そうだが流行にも後れを取らないソツのないスタイルである。


「ほんの気持ちほどでございますが、私共より快気祝いの品をお持ち致しました。どうぞお召し上がり下さいませ」


「ありがとう」


 私は努めて声のトーンを抑え貴族らしく答えると、にっこりと上品に微笑んだ。


「どうぞお掛けになって。また少しお話を聞かせてもらえるかしら?」


「私めでよろしければ、喜んでお話しさせて頂きます」


 ギィは光の加減で緑にも褐色にも見える不思議な榛色ヘーゼルの瞳を細めると、再度一礼してから私の対面に腰かける。そうして彼はソファに座るなり、ニコニコとして両手のひらをこちらに向けた。


「そういえば、年が明けましたらフロランス様のお誕生日でございますね。何かご要望のものがございましたら、私共よりの贈り物とさせて頂きます」


 ヴァランタン商会からの誕生日プレゼントは、毎年貰っている。だがこれまでのプレゼントは特にリクエストを聞かれることもなく、ただちょっと豪華なお菓子類だったのだが。


「ありがとう。でも、何だか申し訳ないから……いつも通りでいいわ」


「いいえ、ご遠慮なさらないで下さいませ。無事に病魔を撃退されたお方に対する、ほんの御祝いの気持ちでございます」


「本当に、何でもよろしいの?」


「ええ、構いませんとも。フロランス様も来年は成人されますから、流行の装身具ビジューなどいかがでしょうか」


 ギィはにこにことしているが、私は逆にちょっと困っていた。ここガリアでは成人である十三歳を迎えると、社交界へデビューするのが習わしである。普通の貴族の娘であればそれに合わせて大量の衣装や宝飾品類を新調するので、彼はその一括受注を狙っているのではないだろうか。


 だがはっきりと言って、うちの経済状況では初心舞踏会デビュタントの服装規定に合わせたドレスを新調するので精いっぱいだ。高価なアクセサリーなんてもらっては、きっと赤字になってしまう。


 しかしここで断ったとしても、彼はサプライズで持ってきそうなタイプである。ならばあまり高価でないものをこちらから指定してしまった方が良さそうだ。


 じゃあ、何を頼もうかな。好きに買い物もできない今は、こんなチャンス滅多にない。どうせなら安価だけどなかなか手に入らないものを……あ、アレだ!


「地図! 最新の世界地図が欲しいです!」


「地図……でございますか? しかし世界地図となると、申し訳ございませんが私どもの方にも……」


「世界の全てを網羅している必要はないの。あなた方が交易の際に使う、交易路を記した図面の写しを頂けたらありがたいのだけど」


 そう何も考えずに口にした瞬間。彼の持つ切れ長の瞳が急に鋭く光りを帯びて、私は身構えた。


「あの、無理ならいいです!」


 焦って口調が庶民になる私にギィは一転視線を和らげると、またいつもの本心の見えない笑顔の仮面を貼り付ける。


「さすがロシニョル家のお嬢様、ご賢察にございます。交易図なら確かに存在しますが……なぜそのようなものを」


 確かに、普通は女子が誕生日に欲しがるアイテムではない。


「えっと、その……いつも貴方がお話ししてくれる異国の位置関係が気になって……ホホホ」


 ずいぶん下手な言い訳になってしまったが、本心である。


「本来、交易図は商人にとって門外不出の秘伝にございます。ですが……写しをお渡しすることはできませんが、特別にお見せすることはできますよ」


 私がぱあっと嬉しそうな笑顔を見せると、珍しくギィは営業用スマイルの仮面を外して苦笑した。


「全く、フロランス様には敵いませんね」


「とっても嬉しいわ。楽しみにしているわね!」

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