第18話  ツンデレとモラハラは紙一重(2)

 だが──。

 ひたすら聞き流しておく筈だった私の耳に、どうしても聞き捨てならないフレーズが飛び込んできてしまった。


「そのくたびれた服もなんだ、嘆かわしい。おばあ様という賓客ひんきゃくをまさか軽んじているのではあるまいな!」


 確かに、今着ている服は長年使い回された生地でできている。ドレスが小さくなるたびに、何度も糸を解いて繋ぎ合わせて、仕立て直して着ているためだ。でも上手にタックをとって継ぎ目を隠し、フリルを繋ぎ合わせたデザインはとても可愛くて、お気に入りである。


 丁寧な手洗いで清潔さも保たれていて、来客への失礼にはけしてならないはずだ。乏しい中で少しでも良いものを、と、リゼットが仕立てから流行までこつこつ勉強しながら夜なべで縫い上げてくれたものなのに。なのに……。


「分家にみすぼらしい格好をさせるのは本家の恥だ。後で商人を寄越すから、そんな襤褸ぼろはさっさと廃棄してしまえ!」


「これルイ、淑女に向かって何ですかその物言いは! わたくしはフロルの服装が失礼にあたるものだとは全く感じませんよ!」


 見かねたらしい大伯母さまが、非難の声をあげる。だがジャン=ルイはフンとひとつ鼻をならすと、珍しく敬愛する祖母に反論した。


「おばあ様は甘い。僕は事実を述べているだけです。おばあ様のご指導を受ける身でこの有り様では、社交界に出たのちおばあ様の恥となりましょう。衣服ぐらい与えてやりませんと、分家の娘がみすぼらしいなりをしていてはフランセル家の恥です」


「ルイ!」


 いつも穏やかな大伯母さまが、めずらしく語気を強めて孫の名を呼んだ。このまま彼女に対応を任せるのが、大人としては正解だろう。


 ──だが。

 私のことなら、いくら侮辱されようが構わない。だがこの男は、私のことを想ってくれるリゼットの気持ちを踏みにじったのだ。


 ああもう、大人の対応なんてやめたやめた! 私は込み上げてくる怒りを暴発しないようぐっと押し止めると、毅然として再従兄を見据えた。


「ほどこしでしたらお断りしますわ」


「なっ!」


「当家には国王陛下より賜りし、れっきとしたロシニョルという家名がございます。フランセル家の分家ではございません」


 35年前のエルゼス奪還戦争において国王軍以上の最大功績を挙げたのは、エルゼス地方に領地が隣接するロートリンジュ公爵フランセル家だった。そのため順当に行けばエルゼス領はフランセル家の加増となると考えられたが、国王はこれ以上フランセル家が勢力を伸ばすことを危ぶんだ。

 苦肉の策として次男のヴィルジール公子に新たな家門の創設を認めて独立させることで、牽制したのである。


 いつものサンドバッグから思いもよらない反撃を受けて、ジャン=ルイはかっと顔を朱に染めた。


「小娘が生意気な口を! これまで幾度となく援助してやった恩をもう忘れたというのか!?」


 そうですね。ところで当家が貴方に支払っている領主代行官の年俸って、頂いた援助の百倍くらいありますよね。でもまあ、頂いたのは確かではありますね。


「これまで頂きました援助につきましては、感謝申し上げますわ」


「だったら文句を言うなど……」


 勝ち誇った顔の公子がみなまで言い終えないうちに、私は口撃をかぶせた。


「しかし我がロシニョル家を独立した家門とお認め頂くこととは、別の話でございます。国王陛下のご威光を疑う所業かと存じますが」


「黙れ!」


 王権を盾にした瞬間。反論に困ったらしい彼は激高したように叫んだが、傍らに鬼の形相の祖母が立っていることを思い出したのだろう。自分を鎮めるよう一つ咳払いをして、慎重に言葉を続けた。

 たとえ公爵家といえど、王を軽んじる発言は致命傷になりうるのだ。


「まあ、言い分はもっともかもしれん。貴家は確かに、フランセル分家ではなく、ロシニョル本家だ」


「ご理解頂き有難う存じますわ」


 私は完璧な笑みを浮かべると、令嬢らしく小首を傾げた。


 これまでの幼い私は、散々この男の言動に泣かされてきた。私に優しく接する使用人たちをことごとく遠ざけ、御用商人を疑うよう仕向け、顔を合わせるたびに出来が悪いと叱責された。必要以上にフロルが委縮してしまっていた元凶は、はっきり言ってこの男なのである。


 それに被害者は私だけではない。引きこもり始めた頃の兄に彼は説教という名の罵詈雑言を繰り返した結果、状況は取り返しのつかないところまで悪化してしまったのだ。


 ただもう一度落ち着いてアラサーフィルタにかけてみると、私に対するイヤミの数々も心配ゆえと言えなくもない。そして引きこもった兄を部屋から出そうと何度も説得しに来たのは、数多の親戚の中でも彼くらいなものだった。


 そもそも現代日本の価値観ならひどいハラスメントの嵐に聞こえるが、この国基準だとわりと普通の価値観である。生意気な女も、軟弱な男も、どちらも罵倒を以て矯正されても仕方のない存在なのだ。


 だがいくら良かれと思っての行動でも、受けとる方はありがた迷惑である。めっちゃ殴ってくるけど本当は優しい人なの(はぁと)なんていう趣味は、私にはない。


 その後不機嫌を隠そうともしていない再従兄となぜかちょっと楽しげな大伯母の見送りを終えると、まだ怒りが収まらない私は玄関に塩でも撒こうと厨房へ向かった。だがエメにおやつを勧められてちょっと落ち着いた私は、貴重なお塩を無駄にせずに済んだのだった。

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