第138話 蓮の花の池に沈む乙女の話 

「イエルサレムを失なっても 我らはまだ犠牲を払い、守るべきものを守る」

ヴァレッタ隊長はそうして言葉を紡ぐ。 


「我らは犠牲を惜しまぬ 

それは騎士として神に仕えるものとしての誇りでもあるから」


「騎士、騎士団としての矜持でもあるのですね」シオン


「シオン」

ヴァレッタ隊長の言葉に どこか寂し気な微笑みを浮かべてシオンは言う。


「ええ、僕は長く騎士団を見守ってきたようなものです」


「だからよく知っている‥

遠い過去の時代、イエルサレムの地にあった時からしているのだから」

「それに病院騎士団、ホスピス・ナイツの名に相応しく」

「テンプル騎士団はパリで消え去り、チュートン(ドイツ)騎士団は郷里でもある

東方へ去った」

 

「最後に残った防波堤 十字軍騎士団 それが貴方方」


ゆっくりと闇夜の中で

海の波に揺れるガレー船の中で二人の会話はまだ途切れない


「グランドマスター‥リラダン総長とは

昔、自らを犠牲にした乙女の話をしたことがありましたよ」


「乙女?」ヴァレッタ隊長が魔物で吟遊詩人のシオンに聞く

「ええ、東洋の王女だったか、自らを犠牲にして蓮の花が咲く池に沈んだ娘」

問われて言葉を返すシオン


シオンはリュートを手に 拍子をつけて謡いだす

「気高き騎士団の話の前に これは東洋の蓮の池に沈んだ乙女の御話」


「城は敵に占拠されて 哀れな心優しき乙女、王女は敵に願う」

「乙女、王女は涙ながらに

どうか、どうかご慈悲をくださいませ

城に避難した民に王族に従っただけの家臣や召使、彼らにご慈悲を賜りますように」 


「ならば、そなたがその蓮の池に潜っている間のみ、城門を開けて逃がしてやろう

いいか、そなたが池の中にいる間だけだ」

「なれど大勢の城の者たち そなたは果たして幾人程度 救えるかな?」


「青ざめた王女は蓮の咲く池へと潜り、それを合図に

城に居た者たちは城門の外へと逃げ出すが‥果たして」


「ふむ、それから?」ヴァレッタ隊長


軽く笑みを作りシオンは謡いだす。

「なれども、どれだけの時が過ぎ去っても乙女、王女は池から出てこない 

浮き上がらない、城の者たちがすべて、逃げ出した後でさえ」

「乙女は自らの長い髪を蓮の花の茎に縛って体を浮き上がらないように

哀れ、心優しき乙女、王女は自らの犠牲さえ厭わなかったのです」


歌を終えた後で呟くようにシオン

「騎士様たちも自らの犠牲は厭いませんね そうして盾になり剣になるのだから」


「それが騎士の定めというものだよシオン わかっているのだろう?」


ヴァレッタ隊長を見つめて小さく頷くシオン

「はい、未来の偉大な騎士様」

「お前の未来視か?それともおだてているのか、ふん、まあいい

ワインでも飲むかシオン?」


「それはリラダン総長のワインでは?」シオンがにこやかに聞く。

「ワインをこれ以上取られなかったら、起きるがいいと枕元で言ってみたのだが」


「そのお菓子もですね すみれの砂糖漬け」

「ブルーチーズもだ 目を覚ましてほしいものだが」





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