第9話 緑眼の竜

『ここで待ってろ』


 リンドウはただならぬ気配を感じていた。今までの雑魚竜とは違い強者の気配。


「ああ、いるんだな? 緑眼が」


 ドゥワフの問いにコクリと頷く。リンドウは口角を上げる。ゴミ共との戦いに飽きていたところだ。


 すぐに開けた場所に出た。


 正面に伸びる直道は馬車二台は通れるほどの横幅があり、先にはもうひとつの出入口。道の両側には迷宮サボテンが群生している。天井は竜が飛び回れるくらいには高く、突起状の鍾乳石が敷き詰められていた。さらには数十匹の迷宮コウモリがこちらのことを意に介することもなく、悠然とぶら下がっていた。


 道の先に影が三つ。一つは緑眼の竜。


 ——鉤爪凶竜ディノ。二足歩行でリンドウと同程度の大きさの体躯。翠玉に似た緑眼と右足の一本だけ伸びた長い足爪が特徴——


 あと二つは人間だった。一人は足を切断され眷属になりかけの男、もう一人はディノに踏みつけにされている顔の右側ほぼ半分にやけど跡のある女。やけどは昔のもので竜にやられたわけではないようだ。


(女はまだ無傷か。だが、助けるのは厳しいな)


 今にも女に長い爪を振り降ろさんとしている。こちらを値踏みして止まっているが攻撃態勢を取れば爪を容赦なく振り下ろすだろう。


 しかし、リンドウは諦めない。


(一か八か試してみるか)


 相手の死角であるリンドウ自身の背後に尻尾で空中文字を書く。コバコはそれを見てリンドウの背中に『りょーかい』と書いた。


「ガゥ!」


 緑眼が吠えた。


 いつもの脳に違和感。識別信号を送り仲間かどうか確認したのだ。リンドウはそれを無視し尻尾を地面に付けその場でゆっくり、そして徐々に早く回転する。体の周りが土煙により見えづらくなっていく。


 その不可解な行動にディノは警戒心を強める。


「ッ……!」


 女はディノに体重をかけられ思わず声を上げる。


 リンドウが動きを止める。すでに自身の体の周辺は土煙で覆われていた。煙の中から短い棒の形に変化したコバコを山なりに投げる。全員の視線が上に移った刹那。


 ディノの頭へ鱗を二枚投擲とうてき。別段焦る様子もなく平然としているディノは軽く手裏剣をかわす。遅れてコバコが山なりに落下してくるが、竜に届くことなく手前の地面に刺さる。


 ディノはリンドウを一瞥する。砂煙の隙間から体表を確認。動きがないことに奇妙さを覚えていた。緑眼を光らせ、とりあえず女を眷属にしようと足を振り上げる。女の柔肌へ鉤爪を落とそうとした、その時。


 突如、真横から現れたリンドウの跳び蹴りが鉤爪竜の足と交錯する。


「グガッ!?」


 驚いた鉤爪竜は、横目でリンドウが元居た場所を確認する。道の先の土煙が晴れていく。そこに佇む竜の形をしたものは【脱皮】した皮だった。


 ——両生類や爬虫類は、定期的に脱皮する——


 リザードマンの皮は自立できるほど頑丈なので変わり身に使い、その隙に横のサボテン群を通り接敵したのだ。【脱皮】の欠点は一日に一回しか使えないということだ。ちなみに脱皮後は体が柔らかい。


 虚をつかれたディノは防戦気味だった。一撃二撃と足と尻尾での攻防を繰り返し、ついには女との間に入られる。


 自由になったやけどの女はリンドウを一瞥し、背後の出入口へと消えていった。それを見たコバコがこっそり護衛がわりにくっついて行った。


 リンドウとディノが対峙する。


(完全に仕留めに行ったのに防ぐとはな)


 そうでなくてはつまらない。内心高揚していた。


 ディノは足を出し戦闘態勢になる。足全体に緑色の風をまとう。


(風魔法か)


 ディノは瞬時に距離を詰めた。前蹴り、回し蹴り、跳び蹴り、かかと落とし。多彩な足技でリンドウを翻弄する。一つ一つが魔法で強化されているので当たれば致命傷必至である。


 さらに厄介なのは時折混ざる尻尾での攻撃。ディノ自身の体が壁となり軌道が読みづらい。鞭のように柔軟性があるため下手に防御すればそれを支点に尻尾の先が後頭部など急所に当たる可能性が高く危険だ。


 それでも徐々に順応していくリンドウ。回避が小さくなり、やがて最小限に到達した。そして、次の横蹴りをかわそうとした瞬間。


 ディノの右足爪が伸び、死神の鎌のごとくリンドウの首筋を狙う。緑眼の必勝戦術。相手が達人になればなるほど攻撃を紙一重でかわし反撃に移る傾向にある。その思考を突いた一撃。少し射程を伸ばすだけで容易に首をかっ切れるのだ。


 リンドウは、すんでのところで相手の爪と自分の首の間に自身の爪を差し込んだ。そのまま力に逆らわず横に吹っ飛び、サボテン群に体が半分埋まる。


 それでも相手から視線は外さず、追撃をさせまいと尻尾で一握の砂を飛ばしていた。


 それを軽くいなすディノ。コツコツと鷲爪を鳴らし、愉悦の笑みを浮かべている。まだまだ余裕そうだ。


 リンドウは思案する。自身の血が一滴でも流れ、敵に付着したら毒持ちが判明してしまい逃げられるかもしれない。となれば短期決戦しかない。


(奴は慢心している。飛ばれる前に一気に決めるべきだな)


 サボテンの間は天井が高く、翼のある敵が有利である。飛ばずに殴り合いに応じている今が好機だろう。


 リンドウは起き上がるとディノに突撃する。猪のように直線的に向かう。


 ディノは平然と横蹴りを放った。


(よし)


 リンドウはこれを狙っていた。爪がまっすぐにしか伸びないなら攻撃は横なぎになる公算が高いと踏んでいた。蹴り上げやかかと落としの縦の攻撃は横にいなされたら隙が大きく生じるからだ。


 横蹴りなら横には逃げられないし、上に飛べば魔法の餌食、下にしゃがめば一拍分攻撃を遅らせられるというわけだ。そんな絶望的な選択肢しかない中、リンドウは“下”にかわした。削るように地面を“滑る”。


 能力【粘液】。


 ——アシナシイモリは、敵から逃れるため体から粘液をだす——


 地面との摩擦を減らし氷の上でも滑るように竜の足下へ潜り込む。そしてアッパーをする要領で爪を立てたまま斬り上げる。だが、完全に殺ったと思った一撃は外れていた。


 ディノは、瞬間的に翼に魔力を集中して突風を起こし、下がりながら飛び上がったのだ。顔から余裕は消えていた。


 口内が光る。次の瞬間、風のブレスが吐き出された。鋭いそれは、当たれば硬い鱗を持つリンドウでさえ切り裂かれるだろう。


 横にワンステップでかわす。


 ブレスの直撃した地面は切り傷が刻まれていた。


(やっかいだな)


 一撃で仕留められず飛ばれてしまった。


 リンドウは新たな策を練る。飛ぶ敵を引きずり下ろす方法。思考は一瞬。敵の技量はある程度分かった。使える能力、物、地形。それらを脳内で組み合わせていく。


(よし、次で決める)


 リンドウは一足飛びに天井に移り、駆ける。尖った足場を渡りコウモリを払いのけながら緑眼竜と距離を詰めていく。


「ガァガァ!!」


 近くに来るまで敵が悠長に待ってくれるはずもなく、またしてもブレスを放射する。


 鍾乳石を引っつかみ回避。鱗を敵の足下へ投げる。その時、下のサボテン群から眷属竜がリンドウ目掛け襲いかかる。


 伏兵。サボテン群に隠れ潜んでいたのだ。


 が、リンドウの感知能力が気付かないはずもなく特に焦りはなかった。あえて敵の元に落下していく。敵と接触直前に口を膨らませ、胃に仕込んでおいた鶏眷属竜の紫卵を勢いよく吐き出した。


 ——一部のカエルは胃を出し入れできる——


 卵が目に直撃し、視界を失い焦る二体を踏み台にディノへ再び飛びかかる。一直線に向かう。ディノがブレスを吐く間もなく、距離が詰まる。


 敵が距離を取るべく横に動きだした瞬刻、リンドウがカメレオンのような長い舌を伸ばし水平になぎ払う。何もしなければ体の中心を絡めとられる軌道。


 下に逃げれば翼が絡めとられると判断したディノは、上昇する。しかし、上は天井が近く、わずかしか上がれない。また、体が横に流れていたためかわしきれず足の先に舌が触れる。


「グガッ!?」


 ただかすっただけにも関わらず舌が粘着し、手綱を無理矢理引っ張られたかのごとくリンドウ側へ引き寄せられていく。


 ——カメレオンの舌は長く伸びる上、先から分泌される粘液は脅威の粘着力を持っており、舌を巻きつけなくても当てるだけで獲物をくっつけて引き寄せることができる——


 引きずり下ろせないなら逆に上げてしまえば回避できなくなる。すべてはリンドウの掌の上だった。リンドウは縦軸回転し、尻尾でディノをなぎ払いにかかる。


「グルガァ!」


 ディノは応戦すべく魔法をまとい、かかと落としをする要領で右の足爪を振り下ろす。


 そして、尻尾と足爪が接触する瞬間、リンドウは【自切】した。


 ——ヤモリは敵に襲われると尻尾を切り離して逃げる——


「ギッ——!?」


 空を切る爪撃。勢い余りかしぐ体。


 リンドウがその間隙を見逃すはずもなく、回転の勢いそのままに鋭い斬撃でディノの右腕を刎ね飛ばす。


「グォォォォォォ!」


 右腕を失ったディノは動揺するが、すぐに左脚で反撃へと移る。だが、焦燥は心の乱れ、心の乱れは魔法の乱れ。安定しない魔力の蹴りはいとも容易くリンドウの牙で止められ、食い千切られた。


「ガアアアアア!!」


 リンドウはすぐに足を吐き出し、舌で翼を掴み引き寄せると紙を千切るかのごとくたやすく食い破った。おまけに腹部に蹴りをお見舞いする。


「グガァッ!」


 ディノは血を吐きながら勢いよくサボテン群へと叩きつけられた。


 リンドウはサボテンの青臭いにおいと砂埃の漂う地上へ着地すると、血だまりの中にディノが倒れているのを確認した。ディノは緑眼だけ動かしリンドウをにらむ。


(中々楽しかったぞ。外なら負けていたかもな)


 リンドウがゆっくりと近づき、首をねようとした瞬間。


「グォォォォォォ!」


 横から飛んできた眷属竜が決死の覚悟でリンドウへ襲いかかる。リンドウは焦ることもなく粘液を纏い、敵の体を滑るように移動して懐に入ると無慈悲に喉を食い破った。


 その隙にディノは失った左脚がわりに魔法で無理矢理固めたサボテンをくっつけていた。満身創痍の緑眼は奥の通路へ逃げていく。


 リンドウはあえて追わなかった。なぜならその方向には——。



 ディノは足を引きずりながらも懸命に逃げていく。逃げる先に影が一つ。


「チッ、くだらねぇことしやがる」


 土色の全身鎧を着たドゥワフは悪態をつく。


 リンドウがなぜ逃したか。答えは簡単。ドゥワフに殺させるため。


 クロスボウを構える。


「グルル!」


 ディノは唸り声を上げ威嚇する。


「本当にムカつく顔してやがるぜ。こんな奴から逃げてたなんてバカみてぇだ。……俺様と仲間の借り、返させてもらうぜ」


 刹那、充分に引き絞られた矢が放たれる。意外な速さにディノは反応できない。しかし、ただの矢ごときで鱗を貫けはしない。そのやじりが“リンドウの牙”でできていなければ。


 矢は竜の頭を容易に貫通した。


「グ……ギッ」


 ディノはなにが起きたのか理解していない。


「じゃあな、クソ野郎」


 もう一本放たれた矢が胸の中心を貫く。


「ガゥゥ……」


 ついにディノはその場に崩れ落ちる。宝石のような緑眼に二度と光が宿ることはなかった。


 ドゥワフは兜を脱ぎ濃緑の髪を搔き上げ、大きく息を吐きだした。


 少しして脱皮殻からネックレスとその他の荷物を回収したリンドウが姿を現した。


『悪いな。逃した』


「ケッ、白々しいな! ……だがよ、感謝するぜ」


 二人は勝利を祝うように拳を突き合わせた。

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