竜殺しのリザードマン

一終一(にのまえしゅういち)

第1章 ガーラ大迷宮編

第1話 竜殺しのリザードマン

 ムーランディア大陸を終わらせたのは、たった六頭の竜だった。突如現れた空を飛び魔法を使う怪物に人類はなすすべなく蹂躙され大地は血に染まった。


 大陸中を一通り暴れ終えた竜達は、さらにその数を増やし地上の支配者となる。絶望の中、わずかに生き残った人類は竜でも破壊不可能な地下迷宮ダンジョンへと逃げだした。


 それから五年。


 ほぼ円形の大陸ムーランディアの南西の果てにあるガーラ大迷宮の奥地にも人間が暮らすハルモニアと呼ばれる小さな集落があった。そこは竜も現れない平和な土地。


 集落のリーダー赤毛短髪の男リンドウはいつも通り数人の男達と狩りへと出かけるところであった。


「気をつけてね。リンドウくん」


 妻のダリアが笑顔で見送る。長い金髪の青い瞳をした誰もが認める美人だ。


「ああ、行ってくる」


 二人は首に下げた指輪付きのネックレスを打ち合わせた。安全を祈るまじないのようなものだ。


「ホッホッホッ、朝から仲が良いのう」


 白いフクロウに似た長老がヒゲをさすりながら茶化してくる。リンドウは、鼻を鳴らして照れを隠した。


「長老、留守は任せる」


「ふむ、気をつけての。リンボー」


「リンドウだ。耄碌もうろくしたか爺さん」


「ああ、そうじゃったの。最近忘れっぽくていかんのう。ではリンドウ、気をつけての。女神ハルモニアの加護があらんことを」


 リンドウは静かに頷くと踵を返し、数名の男達を連れ集落を後にした。二、三人横に並んでも幅に余裕がある薄暗い道をランプ片手に歩いていく。


 一応明かりを持っているが、迷宮の壁や床の一部は、迷宮石と呼ばれるものにより淡い緑色に発光しており、歩く程度なら困ることはない。初めて見た時は幻想的と感じたが、慣れればその辺の草と何ら変わらず目に留まることもなかった。


 まるで生きているように明滅する道を一行はキビキビと進んでいく。狩りといっても竜と戦うわけではなく、迷宮コウモリや迷宮魚、迷宮植物といった迷宮固有の動植物をとるだけで危険はほとんどない。


 先頭を行くリンドウは、足を引きずりながら歩いていた。昔、軍隊に所属していた頃、病を患い満足に動かせなくなっていた。右目も視力が落ち、右側の目の前のものすら霞んで見える。


 それでも簡単な狩り程度なら問題ない。何より集落は慢性的に男手が少なく、彼も狩りに出ざるを得ないのだ。


「なぁ、リンドウ」


 暇を持て余したのか狩り仲間のエスカーが蜘蛛の巣避けの棒切れを手首の上で踊るように回しながら話し掛けてくる。


「知ってるか? 地獄ってのは天国の形をしているんだぜ?」


「またそれか」


 飽きるほど聞いた言葉だ。同じことを繰り返すだけの毎日だと会話も似通ったものしかならない。それにしてもこいつは同じ言葉の引用が多すぎるとリンドウは呆れていた。


「迷宮ってのは陽の光がないのを我慢すればそれなりに生活していける。それはもう天国みたいなもんさ。だけど、何の前触れもなく唐突に地獄へと変わる可能性を秘めているんだ。だからそうなる前に誰かが竜を倒さなきゃなんねぇんだ」


 そんなことはリンドウも分かっていた。しかし、わずらった足では竜の餌になるのが関の山だろう。今の現状維持こそが最善だとリンドウは思っていた。


「お前が竜を殺してくれるのか?」


「今は時期が悪い」


「いつになったら良くなるんだ」


「そうだな、俺に美人の嫁ができたらだな」


「一生無理そうだな」


「てめぇー」


 たわいもない会話を交わしながら歩を進める。ほどなくして開けた場所にたどり着いた。


「よし、ここからは別れて探そう。ランプの油が半分になる前には戻れ。地図外には行くな。不穏な気配を感じたら無理せず引き返せ」


 リンドウが男達に指示を出す。誰一人意見せず彼に従う。迷宮に隠れて五年、誰もがリンドウをリーダーと認めていた。



 リンドウは一足先に狩りを終えて、水場でランプを脇に置き上半身を拭いていた。


 軍を抜けても鍛え続けていた身体はさながら筋肉の鎧のようだった。生傷だらけの背中には一際大きな十字の傷が刻まれている。これだけは生来のものだ。


 乾いた布で水気を拭き取り、上衣を羽織る。その時、何かの気配を感じ取り、薄暗い通路に目を凝らした。突如、視線の先から足元に何かが転がってくる。


「ッ……!?」


 それは——狩り仲間エスカーの頭部であった。


 全身が総毛立つ。本能が危機の到来を告げている。刹那、腹の底を突き上げるような振動を感知した。通路から何かが近づいてくる。人ではない何か。リンドウは息を呑む。


 等間隔に響いてくる質量のある足音。水面がたわみ、迷宮全体がきしむ。薄暗い迷宮を照らす迷宮石の淡い光にその生物の輪郭が徐々に露わになっていく。


 緋色の鱗と瞳、名剣より研がれた牙、巨木のような二本の腕と二本の足、長大な尻尾。そして一対の翼。


 現れたのは人類の天敵——竜だった。


 広間に入ると前脚を持ち上げほぼ直立になる。竜の影がリンドウを覆い隠した。霊峰のような巨体。生暖かい息を吐きながら低く唸る。


(……こいつが竜か。間近で見るのは初めてだな)


 常人ならば萎縮し戦意を喪失してしまうだろう。だが、リンドウは違った。


 軍隊に所属し、何度も修羅場を乗り越えてきた男にとってたかが大きいトカゲ一匹。狼狽うろたえるわけもない。それにどうせ不自由なこの足では逃げ切れない。ならば、立ち向かうのみ。リンドウは左手で剣を抜き半身に構える。


 静寂の中、竜が瞬きをした刹那、リンドウが突撃する。堅固な鱗を持つ竜に刃は通らないだろう。だが、眼なら貫ける可能性はある。そこに賭けるしかない。


「グオオ!」


 一撃で命を狩り取りそうな敵の右腕のなぎ払いを紙一重でかわし、右手を鱗の隙間に差し込み強引に体をよじ登る。竜は眼前に迫るリンドウに噛みつこうと横を向くが数瞬遅い。


(とれる!)


 が、真紅の瞳に刃を突き立てようとした瞬間、竜の肩裏から別の青い瞳の竜が噛み付こうと大口を開けていた。


(二頭目!?)


 とっさに剣をひるがえし、牙を受け止める。しかし、剣は無残に噛み砕かれ、リンドウは吹き飛ばされた。空中で体制を整え受け身をとる。新たな策を組み立てようと頭をフル回転させる。


「うくっ……!」


 だが、突如右脇腹に激痛が走る。見ると、大人より一回り大きいぐらいの緑眼の竜が牙を立てていた。


 ——竜は三頭いたのだ。


 緑眼の竜が牙を引き抜くと、脇腹から勢いよく血が噴き出した。


「くそ……終わりか……」


 その場に膝を折るリンドウ。三頭の竜は潮が引いたように暗闇の中へと消えていった。とどめを刺さないのは“眷属竜”にするためだ。噛みつかれたり引っ掻かれるなどで竜の血が体内に入ると竜に似た化け物に変化し、竜の傀儡になってしまう。


 ——治療法はない。


「……すまない、ダリア」


 血を吐き死を間近に感じても考えるのは妻のことだった。死ぬことに恐怖はない。いつも死と隣り合わせで生きてきたのだ。そんなことはどうでもいい。ただ、妻と集落の仲間達を助けられないのが辛かった。


(まだ何も恩を返せていないのに……せめて、せめて皆に危険を知らせねば)


 最後の力を振り絞り集落の方へ歩きだす。視界が狭まり寒気がする。それでも歩みは止めない。しかし、歴戦の勇者でさえも抗えない毒にやがて思考も足も止まり、糸の切れた操り人形のように倒れ、力尽きた。



 リンドウは夢現ゆめうつつの中にいた。


 上下も分からぬその温かい空間は妙に居心地が良かった。ずっとここで眠っていたい。何もかも投げ捨て眠りたい。


 そのまま意識が途切れる間際、電撃が走ったような強い衝動が脳に押し寄せる。自分の中の生存本能が生きろと囁いてくるのだ。


(そうだここで死ぬわけにはいかない。皆を助けなければ——)


 そう強く自覚した瞬間。


「ガハッ……!」


 リンドウは大きく息を吐き出し覚醒した。


(どうして、どうなった、なぜ生きている……?)


 混乱する思考の最中、リンドウは自分の手の違和感に気付いた。苔色の鱗の生えた腕、人のものとは思えない長く無骨な爪。


 急いで近くの水場に移動し、反射する自分の顔を覗き驚愕する。


(これは……竜になっている……!?)


 黄金の瞳、突き出た口吻こうふん、鋭い牙、長い尻尾。紛れもなく竜だった。竜に噛まれたのだから当然といえば当然だが、人の意識を保ったまま眷属化するなんてリンドウは聞いたこともなかった。


 さらに観察するとひとつの違和感を覚えた。


(……翼がない)


 竜に必ずあるはずの翼がどこにもなかった。背中を覗き見ても鱗がびっしりと生えているだけで痕跡すらない。


(どういうことだ? ……いや、今はそれより集落へ戻らねば)


 幸か不幸か人間の意識がある。今わかるのはそれだけだ。優先すべきは一刻も早く集落へ行きダリアと村人を助けることだ。ランプの油の減り具合から数時間は経過している。急がねばならない。


 水場を後に走る。患っていたはずの足も治っていた。全盛期のような、否、それよりも何倍も早く走ることができた。


(ダリア、待っていろ)


 逸る気持ちを抑え、集落へと急いだ。



 集落に戻るとそこは地獄絵図のようだった。壁や天井は血に染まり、食料や日用品は破壊されそこかしこに散乱していた。


 さらには、血塗れの村人達がそこかしこに倒れていた。眷属になりかけで発狂している者、すでに眷属化して唸り声を上げている者。身につけている装飾品や服の切れ端で誰が誰なのかリンドウには分かった。


 一度体内に竜の血が入ると眷属化を止めるすべはない。歯を食いしばり、もう助からない村人達を尻目に脇を抜け奥へと進んでいく。不幸中の幸いか、妻ダリアらしき人物はいない。


 集落中央の大広間に到着すると三頭の眷属と共に黄眼の竜が鎮座していた。四本足で背中には角張った背びれと一対の翼があり、岩のような灰色の体躯をしている。


 リンドウを殺した三頭の竜とは別の個体だ。迂回して回避することを考えたが、放っておけば被害は拡大し、さらに眷属で守りを固められる可能性が高い。


(殺ってやる!)


 ダリアを探したかったがこいつを野放しにしておくわけにはいかない。何より今の自分なら勝てる自信があった。瞬時にそう判断したリンドウは、竜目掛けて迷わず跳躍した。


 こちらに気づいた黄眼は、牙をむき出しに威嚇してくる。一瞬、脳がむず痒くなる感覚に襲われたが気にせず突っ込む。黄眼を守るように左右と前方から眷属竜が飛びかかってきた。


(見える!)


 視力がほぼなかった右目は完治し、視野が広がっていた。ほぼ全方位をカバーし、さらには動体視力が向上しているため敵の動きが手に取るように分かる。


 眷属達の攻撃を容易にかわし、間をすり抜け本命の竜へ接近、大木のような脚に爪撃を叩き込んだ。金属が触れ合ったような甲高い音を立て火花が辺りに散る。だが、鱗を数枚剥がしただけで致命傷にはいたらなかった。


(さすがに固いな)


 一度距離を取ろうとした瞬間、敵の図太い尻尾がリンドウを襲う。予想外の速度に避け切れず右腕をかすめる。そこから噴き出した血が偶然、竜の体に掛かった。


「グガァ!!」


 すると不思議なことに竜の鱗を溶かし、血煙が上がる。黄眼は激痛に悶え苦しんでいた。


(毒……か?)


 リンドウが近くに落ちていた竜の鱗に血を垂らす。すると、同じように煙を上げながら溶けていく。


(間違いない……俺の血で竜を溶かせる!)


 これを使わない手はないと踏んだリンドウは、即座に血のついた右腕を竜の方向に全力で振った。無数の血の玉が竜に着弾する。黄色い瞳にも命中。


「グガァァァ!」


 苦痛の叫びを上げて体勢を崩した竜。その隙をつきリンドウは強靭なバネでカエルのように跳躍し、竜の首元にかぶりつく。驚異的な咬合力で花を摘むがごとく容易に喉を食い破った。直後、えぐれた首から血が噴き出し赤い雨が降る。


 黄眼の竜は、地面に置いたミミズのようにのたうち回り、やがて瞳から光を失い動かなくなった。リンドウはその様子を確かめた後、口に残った肉片を吐き出した。戸惑う眷属を置き去りに奥へと急ぐ。


(ダリア……無事でいてくれ……!)


 有事の際に隠れる場所は村人達と決めていたのでそこへ向かう。人がやっと入れるくらいの細道を抜け、避難場所に入ると一つの人影があった。


「来ないで!!」


 声を荒げ怯えているのは、妻のダリアだった。恐怖で目を見開き、ナイフの刃先をこちらに向け震えている。生きていてくれたことに安堵し、胸をなでおろしたリンドウ。


「グ……ガ……」


 声がうまく出せない。声帯の構造が変わったのか喋れなくなっていた。これでは自分がリンドウだと証明できない。


 が、すぐに首につけたネックレスと指輪を思い出す。指輪を手にとりダリアへと見せた。震えの止まらない彼女はそれを見て恐る恐る尋ねる。


「……リンドウ、くん?」


 リンドウは大きく頷いた。驚かせないようゆっくりと近づき指輪を口付けでもするように触れ合わせる。


「その姿、どうして意識が? ううん、そんなことどうでもいい。よかった生きていてくれて」


 喜びと戸惑い、悲しみの混じった顔をして彼女は言葉を続ける。


「最期に会えて、よかった」


 悲しげに笑うダリアの背中には——竜の爪痕が痛々しく刻まれていた。


 竜の血が体内に入れば眷属になってしまう。


 治療法は、ない。


(嘘だ……そんなダリアが……)


 心臓を握りつぶされたような痛みがリンドウを襲う。目眩がして今にも倒れそうになるのをどうにかこらえる。


「時間がないわ……だからよく聞いて……昔、話したよね。リザードマンの物語」


 ダリアが好きな爬王物語のことだとリンドウはすぐに理解した。翼がなく仲間の竜に差別されるリザードマンという竜が困難に立ち向かう物語だ。何度も聞かされたので内容も覚えていた。


「今のリンドウくんはそのリザードマンそっくりだよ。結末、覚えてる? 人間に悪さをする他の竜に立ち向かって最後はみんなに認められる“英雄”になったよね」


 英雄という安っぽい言葉がなぜかリンドウの胸に突き刺さった。自分になれとでもいうのか、妻一人守れない男に。


「リンドウくんならなれるよ。英雄に。世界中のみんなを助けてあげて。……それまで私の後を追ってきたらダメだからね」


 ダリアの手がリンドウの手に触れる。いつだって助けてくれた小さな手。


「もう行って。けじめは自分でつけるから」


 眷属になる前に自害するつもりだとリンドウは理解した。だが、彼女の意向を無視し、巨体を縮こまらせて隣に座った。その行動にダリアは困ったようにため息をつく。


「……はぁ、頑固だね。でもダメお願い、行って……リンドウくんには——あなたには醜い姿を見せたくないから」


 死が間近に迫っているにも関わらず妻でいようとしてくれる彼女の言動に胸が締め付けられる。リンドウができることは首を横に振り、動かないことだけだった。自分のように人の意識を保てる可能性もゼロではない。もしダメなら、その時は——。


「……ばか。でも、ありがとう。愛してるよ。リンドウくんに出会えて本当によかった」


 苦しいはずなのにいつもと変わらぬ笑顔を向けてくれる。二人は少しの間、肩を寄せ合った。


 ダリアは、たわいもない話をしてくれた。出会った時のこと、結婚した時のこと、迷宮に来た時のことなど今までの思い出を語る彼女は、とても幸福そうだった。


 しかし、そんな甘いひと時は、長く続かなかった。やがて沈黙し、ダリアの苦しげな吐息だけが響くのみになった。幾許いくばくもせずに彼女は意識を失う。


 そして——眷属竜へと変貌した。


 リンドウは待ち続けた。また笑い会えることを信じて。


 爪で引っ掛かれ、噛み付かれても待ち続けた。


 姿形が変わっても変わらぬ関係が続くと信じて。


 だがしかし。その思い虚しくいつまで経っても彼女が笑いかけてくれることはなかった。


(すまない、ダリア)


 やがてリンドウは意を決し、彼女に血の付いた爪を振り下ろした。



 それからリンドウは生き残りを探しながら集落を周った。途中、眷属に変わり果てた村人達を苦しまないよう葬った。ダリアも他の村人も化け物になって人間に危害を加えたくないと常々言っていた。


 だからその意思を尊重し、殺してまわった。自分への戒めも込めて。その後も集落と周辺を探したが結局、誰一人として生き残りはいなかった。


 自分を除くちょうど村人全員分の死体を確認した後、集落の中央に埋葬し、簡素な墓を建てた。十字に建てた木の杭に指輪を外したダリアのネックレスを掛ける。


(…………)


 リンドウは、二つの指輪が付いた首のネックレスを握り、しばらく呆然と墓を見つめていた。


 いつか束の間の平和が終わるのだと心のどこかで考えていた。だがもっと先の話で、こうなる前に国や軍隊、はたまた英雄じみた誰かが竜を殺し世界を救ってくれると思っていた。そんな都合のいいことが起こるはずないのに。


 言い訳を作り先延ばしにして現実から目を逸らしていた。


 結果、大切なものを全て失った。


 しかし、たった一つだけ手に入れたものがある。リザードマンの力だ。竜を一瞬で溶かすこの血があれば竜に対抗できるかもしれない。


 もう現実逃避は終わりだ。誰かが助けてくれるなんて甘い幻想は捨てる。他の誰でもなく自分がやらねばならないのだ。


(俺が世界を変えてやる……!)


 この命尽きるまで竜と戦い続けると心に誓う。


 皆に別れを告げ、墓を背にリンドウは歩きだした。その黄金の両眼に決意の光を宿して。


 こうして竜殺しのリザードマンが誕生した。

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