1月19日 桃野 千秋

 桃野千秋はペットボトルのコーラを掲げた。

「ほらよ、買ってきてやったぞ。そんな健康に悪そうなもん、うちの冷蔵庫にはないからな」

「たかだかアパートの前の自販機まで行っただけのくせに、まるでハンブルグまで行ってきたような言い方をして恩着せがましいな、ユーは」

 桃野の交友関係のなかでも、秋津はひときわ変わった人物だった。脂ぎった髪は肩までのびていて、フケだらけ。折れたフレームをテープで補修したメガネのレンズは年中、指紋でくもっている。

 服もボロボロで、三パターンくらいしか見たことがない。今日もおなじみの黒い長袖のTシャツに、ダボダボのジーンズという出で立ち。冬でも基本的にTシャツで寒くないのかと桃野は不思議に思っていた。

 もっと不可解なのは靴下だ。どうやって洗濯しているのかと首をひねるほど妙に白くて、違和感がある。

「ハンブルグってどこだよ、なんとかネシアとなんちゃらネシアの間?」

「恥ずかしげもなく地理を知らないことをさらけだすのは、やめておいたほうがいい」

「うるせーよ、いいからとっととなおせ」

 桃野はペットボトルを投げつけた。

「馬鹿、間抜け、クズ、低脳、そんなことしたら飲めなくなるだろうが」

 秋津がわめく。

「コーラは豆腐じゃないぞ」

「コーラをたしなまないユーは知らないだろうが、揺らしたコーラは爆弾みたいなもんだ。ためしにお前んちの床をベットベトにしてやってもいいんだぞ」

「やめろやめろ。それより早くなおしてくれよ」

 パソコンの調子がおかしいので、桃野は秋津を部屋に招いたのだ。秋津は異様なほど家電に詳しかった。いわゆるオタクだ。

 同じような格好をした同好の士と、どれだけ低予算でハイスペックなパソコンを自作できたかなどを大学の隅で語り合っている。

 他のオタク連中と違い、秋津は妙な社交性のようなものを持っていた。気がつけば、桃野は時折、秋津としゃべるようになっていた。

「こいつなら、もうなおっている。ただ、問題がある」

 秋津は高速でキーボードを叩くと、見ろと画面を指で示す。


 本当に言いたいことは画面で伝える。

 驚くな。不自然に黙るな。

 普通に会話しているふうを装え。

 わかったら、「問題ってなんだよ?」と聞け。


 無言で桃野は秋津を見た。家電オタクは妙に深刻な顔をしている。

「聞こえなかったのか、お前」

 怒ったように言うと、秋津はパソコンのディスプレイを指で叩いた。

「いや、聞いてた。問題ってなんだよ」

「もっと処理能力の高いモデルにしたほうがいい」

 ゆっくりと言いながら、秋津は文字を打っていく。


 驚いて聞き返すなよ。

 なんか適当にしゃべれ。


「そうかなぁ。だって高いんだろ」

 大きくうなづいてから、桃野は言った。自分でも芝居臭さがあると感じた。

「ゲームとかやりたいんなら、絶対に買い換えたほうがいい」

 また秋津はキーを打つ。魔法のような指使いだ。


 わかったようだな。それでいい。

 本題に入ろう。


「そうかなぁ。今ので充分な気がするけど」

「きっとビックリするぞ」

 

 盗聴

 

 桃野は自分の目が信じられなかった。

「具体的に説明してやろう」

「じゃあ頼もうか」

 うなづいてから、秋津は口と手を両方、動かし始めた。

「最近のゲームはまずグラフィックがいい。反面、情報量が多く、処理能力の低いやつだとアウトだ。動作が重いなんてレベルじゃない」


 自慢じゃないが盗聴器発見器を持ち歩いている。

 さっきそれが反応した。

 この部屋のどこかか、隣の部屋に盗聴器がある。


「いや、でも、なぁ」

 桃野はくちごもってしまった。

「買い換えたほうが安心だって」


 調べてやろうか。


「じゃあ頼むわ」

「それはパソコンをつくってくれってこと?」


 心当たりは?


「あるわけないでしょ」

 思わず桃野は口にした。秋津がすぐにフォローする。

「早くもお金の話か。現金なやつだな。どうも巷じゃ、わいの作品は品質も値段も高い高いと評判らしいが、予算に応じてつくるよ。いきなり、払うお金なんてあるわけないなんて言うなよ」 


 たぶん、拾っているのは、音だけだ。

 映像を飛ばすのは難度が高い。

 一応、きく。

 しかけたやつに探しているところを見られてもいいか?


 少し考えて、桃野はうなづいた。

「大丈夫」

「なにが大丈夫だよ、つくらなくてもいいってことか?」


 心当たりがあるなら、あえて盗聴させて、そいつしか知らない情報を漏らすかどうか試す手もあるけど?


 なるほど、そういう罠も仕掛けられるのか、と桃野は秋津の狡猾さに感心した。

 冷静になると、盗聴犯と先日の猫の死体の事件は無関係ではなさそうだとわかる。

 罠を仕掛けるのは一つの方法だとは思ったが、明らかに怪しい人物はいない。周囲の人間ひとり一人にトラップを試すのは、ちょっと想像しただけでも気が重くなった。

「まぁ、ゆっくり考えてくれ。一応、頼まれたところはなおっているから。確かめてみる?」

 秋津はパソコンの前を譲るように横へ移動した。秋津の狙いを理解して、桃野はキーを打つ。


 今すぐ探してて外しtw


「わかった」

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