1月8日 夏八木 蒼
夏八木蒼は青い表紙のノートを前にため息をついた。
青いノートは日記だった。
夏八木は一月末に締め切りの新人賞に向けて原稿を進める日々を送っていた。ところが先日、駅のホームから線路に転落してからというもの、なかなか執筆に身が入らないでいた。
迷いながら筆を進めるタイプの夏八木にとって、ただでさえ一ヶ月は短い。まともな作品を仕上げるのに充分な期間ではない。毎日、どれくらいの量を書けば、応募規定をクリアする枚数を締め切りまでに仕上げることができるか、夏八木は計算していた。
このペースでは間に合わないことは明らかだった。なんとか字数だけ稼いでも内容が伴わなければ、出す意味はない。
夏八木にはいくつか目標があった。野望といってもいい。
学生のうちに商業作家デビューするというのが、その一つだった。
元々は高校生作家として世に出るという夢を掲げていた。今にして思えば、それは確かに「夢」だった。現実を見ていなかったな、と夏八木は反省している。大学生でのデビューも甘すぎる見通しだということはわかっている。
夏八木が猛省しているのは、高校生の頃、具体的になにかアクションを起こすことが少なかったからだ。ちょこちょこと短編は書いていたが、新人賞を獲って即デビューするならば、やはり、長編がいい。長編に取り組み出した頃には、もう受験生でまともに原稿と向き合う時間は取れなかった。
今、夏八木にはあの頃とは比べ物にならないほど、たくさんの時間があった。数年前にあれだけ渇望したその貴重な時間が今はある。
だが、その大切なものを夏八木は無駄にしていた。
「ダメだ、ダメだダメだ」
スマホの光だけしかない暗い部屋で、夏八木はつぶやく。誤って苦いものでも口にしてしまったかのように、顔はゆがんでいる。
「ダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだ」
なにかに憑かれたかのように夏八木は「ダメだ」をくり返す。矛先は自分自身だ。自己否定の言葉の連打は、繊細な夏八木の精神を削り取る。
頬を手で叩いて気合いを入れてから、夏八木は今年のぶんの日記を読み返した。去年の大晦日のところは読み返す勇気がなかった。
「なに噓、書いてんだよ。自分しか読まないのにさ」
小さな言葉だった。
夏八木は日記に噓もまじえていた。そうでなければ、ポキッと心が折れそうだった。今日は噓を書かずにはいられないほど悲惨な状況だった。
書いても書いても、自分の生み出したものがつまらなく思えて仕方がない。それでも、ボツにすることを前提に残しておけばいいものを、夏八木はすべて消去してしまっていた。デリートキーを連打するという自虐的な行為で自分を支えていた。だから、原稿は一向に進まない。
「さぁ、書くかね。順調な創作は、こいつだけだからな」
夏八木は青いノートを開き、ペンを握った。
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