禍神(マガガミ)

朝比奈 志門

第一巻 破壊の夜

濫觴村篇

第1話 破壊-(1)

 深い森の中。

 木々の間を、異常な速度で疾駆する二つの人影があった。

 

 一人はぼさぼさの髪に朱玉しゅぎょくの耳飾りをした者。

 もう一人は緑灰色りょくかいしょくの髪の者。

 

 どちらも腰に刀を身に付けており、小綺麗な装束を纏っている。

 身のこなしや身なりから察するに、二人が一戦級の武人であるということは瞭然だった。


「ユキさん!! 寄り道してないで早く行かないとまずいですって!! 約束の時間に遅れてしまいます!!」


 緑灰色の髪の者は、必死にぼさぼさ頭の者を注意する。

 突然、何故か目的地とは全く違う方向に走り出したからだ。

 

「寄り道じゃねえ!! ハヤテ!! 聴こえねえか、この音!!」


 ぼさぼさ頭に言われ、緑灰色ははっとした。

 耳を澄ませると、遠くに禍神まががみの心音を捉えたのだ。だが、その音は非常に小さく、並の帰天師きてんしならばこの位置から観測することすらできないだろう。

 

「よく聴こえましたね。こんなの……」

「おう。探知は得意だからな。

 ……というか、そもそもこんな時間になったのはお前のせいだろう」


 そう言われ、むっとする緑灰色。


「ボクのせいじゃありません。あの女の子たちが勝手に……」

「あー。分かった分かった。お前、滅茶苦茶モテるもんな」

「なんか納得されてないような!?」

「ったく、騒がしいな。そうこうしているうちに着くぞ」


 ぼさぼさ頭の言葉からほどなくして、二人の前に禍神の姿が認められる。


 目が幾つもある、黒い金魚のような禍神だ。

 空中に浮遊し、鰭を動かして器用に空気を掻き分け、移動している。

 想定していた以上に強い相手だと悟るまでに、そう時間はかからなかった。


音隠ねかくしか。ということは、結構強いな」

「そうですね」


 そこで、緑灰色はあるものを視認する。


「あれ、見てください!!」


 禍神が人を襲おうとしている。

 十代後半に思える少女。こんな所を歩くなんて、旅人か何かだろうか。

 幸いなことに、未だ傷は負わされていないみたいだったが、既に地面にへたりこんでおり、恐怖に震えていた。 

 

「ちぃッ……!!」


 人が襲われてるとあらば、迷っている暇は無い。

 ぼさぼさ頭は緑灰色を差し置いて急加速し、腰の刀に手を伸ばす。

 洗練された動作で、鞘から取り出すと同時に異形に斬りかかった。


 黒い金魚は辛うじてそれを躱す。

 そして、口から泥のようなものを吐き出して攻撃してきた。

 一歩退き、幹を伝いながら上方に逃げるぼさぼさ頭。

 泥は硬い木を砕き、へし折ってしまうほどの威力だった。常人が食らったらひとたまりもないだろう。

 

 たんっと、踏み込む。

 木から落下する勢いを使い、剛速で接近した。

 相手は反応できていない。

 もらった。

 

 銀色の軌道を描いた刀身は、禍神の肉に食い込む。

 そして、その心臓を真っ二つに両断した。


 紅の血飛沫があがる。


 斬られても尚、動こうとする禍神。

 だが、やがてぴくりとも動かなくなり、絶命した。

 

 抜き身の刀を鞘に収め、一息つくぼさぼさ頭。

 

 その勇ましい姿を見て、旅人の少女は命拾いしたと縋り寄り、


「あっ……。あのっ。ありがとうございます!」

 

 と礼を言った。


「おう。山道には気を付けろよ」

「然して、さぞ名の立つ帰天師様と見受けられます。どうかお名前だけでも」


 そう言われ、ぼさぼさ頭はにいと口角を上げる。そして、高らかに宣言した。


「俺は火伏ユキムラ。最強の帰天師になる男だ」

 


 ***


 

 ——時は数年前に遡る。

 

 王暦九百九十二年、幻和げんなくにみやこの外れ。

 そこに濫觴村らんしょうむらという小さな村があった。

 人口は百に満たないものの、水清く青々とした山に囲まれ、比較的豊かな土壌を持っている。人々は田を耕し、畜生を養い、租税を納め、時に京の商人と交易することで生計を立てていた。


「おいッ‼ 八雲やくも‼ ふざけんじゃねえ‼」


 そんな辺鄙へんぴな村で憤慨する一人の少年。

 名を火伏ひぶせユキムラという。生来の負けず嫌いであり、ぼさぼさの髪に真一文字に結んだ口元は、齢八歳ながらもすでに歴戦の武士もののふの風格を漂わせるものであった。

 

 ユキムラが怒っているのには理由がある。

 御光様みひかりさまの社に供物を捧げに行く道中、何者かに背後から小石をぶつけられたのだ。

 

 振り向き、犯人を確かめるといつもの顔ぶれが。

 

 主犯は八雲という少年だ。

 彼はユキムラにちょっかいをかけ、いじめるのが好きで、頻繁に揉め事を起こす。今回もどうやら例に漏れない。然して激昂し、叫び立てたわけだが、相手も黙っているわけはなく、


似非えせ帰天師の息子やーい‼ 酒呑んで倒せるなら俺でも倒せらア‼ がははは‼」

 

 少し離れたところで、取り巻きらと共にげらげらと笑っている。どうにも、ユキムラの父をダシに因縁をつけてきているらしい。


「てめっ! こっちへ来い、卑怯者!」

 

 ユキムラは今にも掴みかからんと、身を乗り出した。すると、裾の端を引っ張られ、制止される。

 

「やーい、阿呆! 鈍間!」


 その隙に悪童たちはばらばらと逃げ出してしまった。


白蓮はくれん。お前、なんで止める⁉」

「ここから追いかけてもどうせ追いつけないでしょ。それに八雲は村長の息子だよ。殴ったりでもしたらどうなるか……」


 ユキムラを止めた少女は、呆れたような口調でそう言った。

 新雪の如く白い髪に、整った鼻梁、愛らしい大きな瞳。村始まって以来の美女だとも絶賛されることもある、見目麗しい少女だ。ユキムラの幼馴染であり、小さい頃から共に時間を過ごしてきた。

 だが、関係はそれ以上でもそれ以下でもない。特にユキムラの鈍い性格のせいで、白蓮の淡い恋心は気取られずにいた。


「でもよ、俺はあいつを一発ぶん殴らねえと気が済まねえ。卑劣だ」

「その意見には全面的に同意するけど……まあ、ユキムラのお父さんにはもう少ししっかりしてほしいよね」

「……違えねえ」


 ユキムラの父は村でも有名な酒狂いだった。

 大酒を呑んではろくに働きもせず、そこらをほっつき回り、道行く人にちょっかいをかける。村総出で稲刈りをしていた最中、手伝わずに一人昼寝をしていた時など、周囲から買った恨みは凄絶なものがあった。さすがに温厚な母もこれには腹を立てたが、適当にいなされ有耶無耶になったのを覚えている。

 

 度重なる怠慢が積もりに積もり、村でのユキムラの父の信用はすでに地に堕ちていた。

 それに加えユキムラの父は自らを『伝説の帰天師』と称し、明らかな法螺ほらを吹いて回るので、完全に侮蔑の対象へと成り下がっている。その息子であるユキムラが疎ましがられるというのは、当然の流れであった。


「くそっ。ムシャクシャする。だからって、なんで俺まで……」

「相手が相手だからねえ。しようがないよ」


 白蓮は苦笑する。

 一方のユキムラは思いつめた表情で俯き、

 

「俺は、親父みたいになりたくない。

 家族に迷惑かけて、心配させて。あいつがしっかりさえしていれば……」

「そ、そうだよね……」

 

 白蓮は言葉に迷った。

 下手に物を言うと、誤解を招きかねないと思ったのだ。彼女にユキムラの父を強く卑下する意思は無い。ただ、改善を求めているだけである。だから、ユキムラの言うことは尤もだと思いつつ、肯定するのも否定するのも躊躇われた。

 

 気まずい雰囲気。何とかせねばと、慌てて話題を変える。


「えーっと。御光様のお社に行って、早く帰ろう。お父さんが猪汁を作ってくれてるって」

「……ああ」

 

 ユキムラは八雲たちが走り去った方から向き直った。

 怒りは収まるどころか増す一方だったが、虚仮こけにされるのは日常茶飯事であるので、我慢する術はある程度心得ている。

 口から漏れそうになる不満を何とか抑え、当初の目的通り、御光様の社を目指して、畦道を歩き出した。

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