最終話 N本さんと光差し込む森 終

 戦況は拮抗していた。

 灰色マンションの繰り出す蔓をかいくぐって本体に迫り、自らの蔓を突き刺そうと狙うノーマンであったが、マンション側の蔓も本数が多い。ある程度はN本さんが光球で打ち落としていたが、次から次へと生えてくる蔓に一行は防戦を強いられていた。

 えんじムカデは世界改変を続ける魔王側に陣取り、迫り来る蔓を切って捨てている。

 ノモトさんは魔王の後方で虹色の立方体を抱えたままじっとしていた。

 しばらく防戦が続いていたが、

「く……」

 光球を放とうとしたN本さんが、光を霧散させてしまう。

 灰色マンションの蔓がノーマンの頬を掠め、ノーマンは後方に退いた。

 N本さんが頭に手をやり、しゃがみこむ。その顔は蒼白だった。

「まずいですブレイブさん、N本さんはもう限界です」

 N本さんに襲いかかる蔓を自らの蔓で止めながら、ノーマンが叫ぶ。

 ノモトさんはじっとそれを見ている。

 N本さん、と呟くノモトさん。

 理想だった。完璧だと思っていた。いつも、どんなときでもN本さんは余裕だった。

 ノモトさんは小さく震える。

 じりじりと押され後退するノーマン。

 N本さんはうずくまったままぴくりとも動かない。

 N本さんには頼れる人が誰もいない。N本さんは一人だった。ずっと。私はN本さんに甘えてばかりだった。

 立方体を握る手に、力がこもる。

「N本さん……」

 返事はない。

 このままだとN本さんは消えてしまうかもしれない。迷子じゃなくて、見つかる可能性もなくて、今度こそ、私の目の前から、

「N本さん」

 立方体に光が灯る。

 そうだ、彼は強い人ではない。絶対的な存在でもない。今は、ただの、

「N本さん!」

 立方体が一際強い輝きを放つ。それは広がり展開し、ノモトさんを覆い尽くした。

 ノーマンが防ぎ切れなかった蔓がN本さんに迫り、もう駄目かと思われたとき、

「えいっ」

 虹色の光線によって蔓は切り裂かれ、塵になった。

 すた、と着地するノモトさん。その背中から、虹色の幾何学的な羽根のようなものが生えている。

「灰色マンションは私がやります。いややれるかどうかはわからないんですけど、たぶんやれると思います。ノーマンさんはN本さんを」

「わかりました。頑張ってください」

「頑張ります」

 羽根を羽ばたかせ、ノモトさんが舞い上がる。

 充分上に上がり、羽根を広げて静止した。

「照射」

 何十もの虹色の光線が羽根から放たれ、灰色マンションの本体を貫いた。

 マンションの全体に細かなひびが入ってゆく。

 光線の照射は止まない。

 崩れ始めるマンション。

 N本さんに伸ばされた蔓を、ノーマンの蔓がたたき落とす。

 たたき落とされた蔓は力を失い、塵になった。

 どどう、とマンションが地に崩れる。

 静寂。

 周囲が水色に光り、改変完了、と魔王が言った。

 崩れたマンションが端から光の粒になってゆく。

 うずくまったままだったN本さんが、顔を上げた。

「ああ」

 そして、地に降りたノモトさんを見る。

「終わった、のか」

 ノモトさんはぱし、と瞬きをした。

 ふらつきながらも立ち上がるN本さん。

 背中の幾何学的な翼を見て、何か言いかけたN本さんに背後から声がかかった。

『ノモトさん』

「ワタシ、私、いや、その、声は」

 N本さんがゆっくりと振り返る。そして、

「N本さん」

 と言った。



 シルクハットに黒いマント、N本さんに生き写しの姿がそこにはあった。

「どうしたんですか、今までどこに」

 ふらり、とN本さん、いや、「ノモトさん」は「N本さん」に歩み寄る。

『まあまあ落ち着きたまえ。キミはわかっているでしょう?』

 こくりと頷く「ノモトさん」。

『いい子だ』

 「ノモトさん」の肩に手を置く「N本さん」。

『結果的に、置いていく結果となってしまいましたねえ。ワタシは悪い雇い主でした』

「そんなことは」

『いいんですよ。ワタシはあなたを裏切った』

「……」

『本当はね、置いていきたくなんてなかったのですよ。一緒に連れて行きたかったくらい。ただそうすると次のN本さんがいなくなってしまうでしょう。できなかったんですねえ、これが』

 でも、と「N本さん」は言葉を切る。

『世界の理は崩れました。どこかの親切な魔王様のおかげでね』

 ちらりと魔王を見る「N本さん」。

『さて……キミはワタシと一緒に行くこともできるし、残ることもできる。ワタシとしてはせめてもの罪滅ぼしとして連れて行きたい気持ちがあるのですがねえ、キミの方はどうかしら?』

 「ノモトさん」は一瞬口を引き結び、

「いえ」

 と言った。

「ワタクシは行きません」

 言われた「N本さん」はすっと目を細める。「ノモトさん」だった人物は言葉を続けた。

「ワタシはもう「ノモトさん」ではない。アナタ同様、ワタシにはワタシのノモトさんがいる。二度とない機会ですが、またの機会にしていただけたらと思いますよ」

『ふふ、そうですか』

 「N本さん」は笑って、N本さんの肩から手をどけた。

『じゃあ、ワタシは行きますねえ。……キミにもう一度だけ会えて嬉しかった。キミのノモトさんをよろしく頼みますよ』

 そしてステッキを構える。

『アディオスアミーゴ』

 ぱちん、という音がして、「N本さん」は消えた。

 さようなら、とN本さんが呟く。そして、ずっと黙って見ていたノモトさんの方を向いた。

「巡業の旅は終わりです。鞄の中には稼いだマネー」

 両手を大きく広げるN本さん。

「バカンスしましょうノモトさん。南がいいですね。ムカデくんにちゃんと充電してあげてください、レッツゴー南」

 そう言うと、ノモトさんの腕を掴んでずるずる引っ張ってゆく。

 ノモトさんは機能停止していたえんじムカデを回収し、引っ張られている腕の方に抱えた。

「あの……ありがとうございました、魔王さん、ノーマンさん」

 ぺこりと頭を下げてから、立って見送る二人に手を振るノモトさん。

 二人は手を振り返し、ノーマンの方がさよなら、と叫んだ。

 手を振り続けるノモトさん。やがて魔王とノーマンの姿は薄れていき、見えなくなった。

「よいしょ」

 ノモトさんは体勢を立て直す。

「N本さん、ちゃんと歩けますから離してください」

 そうかい、と言ってN本さんはぱっと手を放す。

「おっと」

 少しふらついたが、ノモトさんは自分の足で地面を踏みしめた。

 そしてN本さんの後をついて歩き出す。

「道に出たらキャンプですか?」

「ご明察。優秀ですねえ」

「いえ」

 ノモトさんは頬を赤らめる。

 手元の立方体を握り締めようとして、ないことに気付き、背中の羽根をぱたりと一回羽ばたかせた。

「あれ、もう終わったんですか」

 目を覚ましたえんじムカデが声を上げる。

「終わったよ」

 とN本さん。

「ノモトさんが活躍してくれた」

「えっこいつが?」

「危ないところを救ってくれたのですよ」

「それは……それは」

 ムカデがきろりとノモトさんの背中の羽根を見る。

「そう、なんか。お前もやればできる奴やったんやなあ」

 そう言って、沈黙した。電源が落ちたのだ。

「充電してあげてくださいね」

「もうやってます」

「それは結構」

 N本さんが歩きながら空を見上げる。

 そして、あ、と言った。

「見てください」

「え?」

 ノモトさんも空を見上げる。

「明けの明星ですよ」

「どこです……あ、本当ですね」

 しばらく二人は空を見上げたまま歩いていた。

 木々が切れる。

 N本さんは立ち止まった。

「ほら」

「出られましたね」

「出られたでしょう」

「ええ」

 二人は黙り込む。

「N本さん」

「何ですか」

「もしまたN本さんが迷子になったら……私が探して見つけますね。翼があるし、もう森に妨げられることもない。いくら迷子になってもいいですよ」

 ふむ、とN本さん。

「それは頼もしい。そのときは、よろしく頼みますよ」

 そう言ってシルクハットを持ち上げ、N本さんは笑った。

 朝の月が見えていた。

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ノモトさんは森の中 Wkumo @Wkumo

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