キリキリてんてこ

備成幸

予測可能&回避不可能

「別れましょ」

「えっ」

「えっじゃなくて、別れましょ」

「ちょ、ちょっと急すぎない?」

 男はすでに泣きそうであった。夕飯後にしばらくキーボードを叩いていた彼女から、突然「テレビつけて」と同じようなテンションでこれを言われたのである。女は画面をぐるりと回して、未だ新しいテーブルの向いに座る男に見せつけた。

「別れましょって言ったのはね、私たちの為なの。私たち、どのみち破局するみたい。長年かけて作成したプログラムでそういう結果が出たわ」

「そんなバカみたいな話があるか。僕は別れないからね」

「勝手にすれば? 私は別れるけど」

「ああ勝手にするよ。ってそれじゃ別れたのとおんなじだろ」

 無意識のうちに声や拳が震える男だったが、普段ポーカーフェイスな彼女の眉間に入った一本のしわがよほどの深刻さを物語っていたため、かえって怒りが覚めてしまった。

「……で、どういう結果になったんだい? その占いは」

「占い? シミュレーションよ。一年目、貴方は自分より三歳年下の部下と飲み会に出かけてそれ以来愛人関係になるの。それを知った私は会社の上司と浮気するわ。それで妊娠して、子供を産むの。それに怒った貴方は私と上司の密会現場に乱入、上司の頭を陶器の灰皿で殴って会社はクビ。でも離婚調停には勝って私は多額の慰謝料を払って破産、心労で体調を崩して寝たきりになるわ。優しいあなたはそれを気に病んで鬱病になるの」

 女は淡々とした口調で「そういうことだから、別れましょ」と彼に詰め寄る。

「一応全部聞いたけど、ひどいね」

「でしょ。三日前この結果が出たときは驚いたわ」

「三日って、どうしてその間に僕に相談してくれなかったんだよ」

「原因があなただからよ」

「あそっか」

 鋭い蹴りが男の腿に飛んだ。打ち上げられたナマコのようにフローリングにうずくまった男をよそに、女は徐々に潤んでいく目を指で擦った。

「あーもう最悪。早く出て行って」

「待ちなよ、僕がなんで浮気するって決めつけるのさ。今、別にしてないだろ」

「今……?」

「ちょっと待て、今の『今』は違うじゃん、言葉の綾じゃん」

「じゃあ、浮気しないの?」

「しない、しない」

「本当に?」

「当り前だろ」

「わかった」


 一年目、男は浮気した。会社の新卒歓迎会で隣の席にいた三歳年下の部下が泥酔し、近所に住んでいた彼の家に連れ込んだのだ。その結果、間違いが起きた。


「おい」

「ごめんなさい」

「やっぱシミュレーション通りじゃねえか、なあ」

「我ながらビックリだよ、大胆だね僕」

「っせえ」

 研ぎ澄まされたナイフのような蹴りが男の腿に飛んだ。

「でもさ、やっぱり変だよこのシミュレーション」

「何が」

「僕らは共働きじゃないだろう? 君はいつだって家にいる」

「あ、でもこのシミュレーションだと、あなたが糞女を連れ込んだ時には私が家にいない」

「うちの会社の飲み会は金曜日が恒例だろ?」

「私、金曜日は予定入れないことにしてるし」

「つまり?」

「バグ?」

「おい」

「ごめんなさい」

「いいさ。でもこれでわかったろ? 誰が浮気なんてするもんかよ」


 一年目、男は浮気した。年下の部下が泥酔したので家に連れ込んだのだ。彼の妻はいなかった。町内の二泊三日の温泉旅行へ出かけていたのである。そして間違いが起きた。


「仕方ない。これから旅行は我慢してくれ」

「我慢すんのはあなたでしょうが! なんで私が旅行我慢しなきゃならないのよ!」

「しょうがないじゃないか! じゃあ僕が糞女に取られてもいいの?」

「……わかったわよ。じゃあもう絶対温泉旅行にはいかない」

「本当だね?」

「本当よ。旅行よりあなたの方が大事だもん」


 一年目、男は浮気しなかった。年下の部下が泥酔したが「嫁がいるから」と他の者に任せて帰路についた。家に帰ると、女が上司と浮気しているのを発見。上司は町内の人間だったが、頻繁に旅行において行かれて寂しい思いをしていた中、女と出会い関係を持った。カッとなった男は上司の頭を陶器の灰皿で殴打。そして自分を裏切った妻も殴打。そして屋上から夜の街めがけて飛び降りた。


「駄目だこりゃ……」

「何なのこの上司、情けなさすぎでしょ」

「その情けない男と関係持って僕に殴られるのは誰だよ」

「もうダメよ、やっぱり私たち別れなきゃダメ。お互いの為よ」

「いいや、僕は絶対に諦めない。君と幸せな生活を送る確率を引くまでは」

「じゃあどうするのよ」

「禁煙するよ」

「は?」

「僕は金輪際タバコをやめる」

「どういうこと?」

「考えたんだけどね、どっちかが浮気するのは、もう人間の性だから仕方がないとして」

「単純明快にして悲しい結論ね」

「で、問題は僕が、浮気相手を毎回出てくる『陶器の灰皿』で殺すから悪いんだ。ほら、あそこのテレビ前のテーブルに置いてるやつだろ」

「あ、確かに」

「思えば僕、あの灰皿見ながらいっつも『火サスの凶器みたい』って思ってたんだよね。それがまさか本当に殺人に繋がるなんて。アッハハハ」

「何さらっと怖いカミングアウトしてるの? 私そういうこと考えてる人と暮らしてたわけ?」

「というわけで、僕は禁煙する。そしてあの灰皿は処分だ。これで最悪の未来は阻止できたハズさ。もしかしたら浮気もどうにかなるかも!」

「だといいけど……」


 一年目、男は浮気しなかった。タバコを断ったモヤモヤを仕事に打ち込むことで払拭し、真面目に仕事に取り組んだ彼は、会社の飲み会には一切参加しなくなった。そのため穴埋めにいつもハブられていた「上司」が飲み会に呼ばれるようになり、女と上司が出会うことも無かった。

 三年目、男の業績が認められ、男は北海道函館市の本社に単身赴任が決定。しかし女は妊娠していたため別居となる。しかし、北海道行の飛行機が墜落事故を起こし、男は死亡。

 四年目、ストレスと鬱病により女は流産。後に自殺。


「最悪」

「最悪だね」

「浮気された方がまだマシ」

「マシだね」

「もう決めたわ、別れましょうよ。それがお互いにとっての最適解なのよ。一番お互いが傷つかずに済む結論じゃない」

「イヤだ。別れるくらいなら飛行機事故で死ぬ方がマシさ」

「そんなこと言ったって……」

「泣かないでよ。でね、考えたんだ。僕はどうにもタバコみたいな嗜好品はどっぷり浸かっちゃうタイプみたい」

「思えば全部酒かタバコのせいだものね。なんかムカついてきた。何タバコ吸ってんの?」

「最後まで聞いてよ。だから、今の内に酒を飲みまくって体を壊しておくんだ、タバコも吸う」

「どういうことよ」

「肝臓を壊していれば飲み会には行けないし、タバコを吸うから仕事に熱中しなくてさっきみたいに北海道へ転勤することもない」

「あなたはそれでいいの? 出世できないってことじゃない」

「寧ろ君に聞きたいよ。いい暮らしはできそうにないってことだしさ」

「いいわよ。その代わり一緒にいられるんでしょ?」

「あうう」

「なんでここで泣くの?」


 一年目、男は浮気しなかった。出世もしなかった。医者からアルコールの類を止められていたため、会社の宴会等には参加できなかったのである。

 三年目、女が妊娠、その後無事に男児を出産。

 四年目、女はパートを始めた。男が出世していないため、養育費などもかさんで財政的に追い込まれたからだ。

 五年目、女が夜勤に行っている間に、男は貰い物の酒を口にし、一口だけのつもりが一升瓶をまるごと飲み干す。その状態で女を迎えに駅まで歩いていたところ、暴力団と口論になり、暴行に及ぶ。その結果団員の一人が発砲。撃たれどころが悪く死亡する。

 六年目、女は夫の死をきっかけに酒におぼれるようになり、子供と引き離される。


「……もう別れましょ」

「だから、嫌だって言ってるじゃないか」

「あなたの為に言ってるの! あなたの死因、私たちが一緒に居ようとするたびに酷くなる一方じゃない。そのたびに私が遺されてるのよ」

「それは……」

「別れて、お願い」

「……」

「お願い」

「……うん」

 女は帽子掛けに引っ掛けてあったバッグから、何やら白い箱を取り出した。

「はい、これ別れのしるし」

「プレゼント?」

「そ」

 開けてみると、銀のジッポライターが男の暗い顔を反射させていた。

「私の為に酒やタバコ、我慢させても悪いし。でもほどほどにね、長生きしてね」

 こうして、二人は別れた。


 一年目、男は恋愛をしなかった。女も恋愛をしなかった。二人はお互いへの想いを払拭するように、男は仕事に、女は研究に没頭した。。

 三年目、女は発表した自作のシミュレーターが高く評価され、一躍企業のトップにまで上り詰めた。しかしどれほどいい男に言い寄られても、薬指の指輪を理由に断った。

 四年目、男は女の作ったシミュレーターが、株価の変動を予測できなかったとして大バッシングを受けていることをニュースで知った。そのソフトは即凍結された。

 四年と半年目、女は自作のシミュレーターによって大損害を受けた政府に雇われたヒットマンに命を狙われ、帰宅途中を狙撃される。しかし、偶然通りかかったある男がそれをかばい、代わりに胸に弾丸を受ける。しかし、胸にあったジッポライターによって、それは阻止された。別れた二人の再会だった。


 あのシミュレーターは、今はもうない。

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