釘が抜けない【なずみのホラー便 第85弾】
なずみ智子
釘が抜けない(上)
1
「蘭(らん)の率直な意見を聞きたいんだけど、私って美魔女かなぁ?」
カフェのオープンテラスでのランチの最中、沙知子(さちこ)からの突然の問いに、蘭はキョトンとしたかと思うと次の瞬間には噴き出していた。
「いきなり何を言うのかと思ったら……ごめん、気ィ悪くするかもしれないけど、年相応の普通のお母さんに見えるよ」
蘭は、クックックッと喉を笑いで痙攣させている。
沙知子は気ィ悪くなるどころか、一番聞きたかった答えならびに妥当だと思われる答えを親友の口から聞くことができた。蘭とは、大学時代からかれこれ十年以上の付き合いであり、おそらく彼女の本音であろう。
喉を落ち着かせるためか、ドリンクを一口飲んだ蘭が言う。
「美魔女ブームって思ったより長く続いているよね。でも急にどうしたの? 余裕のある奥様暮らしだし、美魔女目指そうとか思い始めた?」
「ううん……なんかね、私がこの間、メイクしていたら、娘の沙羅(さら)が『ママ、美魔女みたいで気持ち悪い』『香水は絶対につけないで、美魔女みたいだから』って言ってきたの」
「……沙羅ちゃんって、まだ小学校二年生だったっけ。たぶん、テレビで美魔女って言葉を知ったんだろうね。まあ、今は美魔女活動に必死のお母さんもいるだろうし、年の離れたお姉ちゃんがいる子なんてませてるもんだし。ちょっと覚えた言葉を使ってみたい年頃なんでしょ? 一過性のものだと思うよ。子どもの言うことをいちいち気にしていたら、これから先やっていけないよ……って、子どもがいないうえ、結婚すらしていない私が言うのもなんだけど」
蘭の言うことは最もだ。
「それにさあ、三十五歳からが美魔女って意見もあるみたいだけど、私たちまだ三十六歳なわけだし。三十六歳で美魔女はまだ早いでしょ。実際の美魔女って、私たちより一回り以上、年上の人たちに対しての言葉だと思うんだけど」
そうかもしれない。
沙知子自身も子どもの頃――沙羅と同じ歳ぐらいの頃――は、母親や同級生のお母さん、それに学校の先生も、その美醜や服装にかかわらず、皆、おばさんと認識していたし、おばさんにしか見えなかった。だが、実際に自分が三十六歳になってみると意外に若い。いや、“意外”ではなく、まだまだ若いのだ。
それに年齢を重ねるとともに、さらに結婚して子どもを一人産んだと言えども、それに比例して内面も順調に成熟していくわけではないということも身をもって知った。
どこか遠くを見るような目をしたままの蘭が言う。
「賛否両論あるみたいだけど、正直羨ましいよね、美魔女の人たちって。この世の中には信じられないほど優雅に暮らしている美女がいて、自由になる時間もお金もたっぷりあって……私なんか求職中だし、美容に使うお金どころか、家賃と食費どうしようってレベルなわけだし」
そうだった。約三か月前、勤務先の業務縮小によって退職勧奨を受けた蘭は今現在、必死で仕事を探しているのだ。
沙知子は「まずアルバイトかパートで雇ってもらって正社員への道を目指したら? それか、婚活に力を入れて素敵な人を見つけちゃえば?」とアドバイスしたものだが、「そんなにうまくいくわけないって。婚活しようにも”軍資金”すら碌にないんだから。だから絶対に正社員の職を見つけなきゃ」と蘭は面接試験をはしごしているようであった。
元気そうに振舞っている蘭であるも、やはりどこか疲れが滲み出ていた。
このカフェでのランチというひと時が、少しでも蘭の息抜きとなればいいと沙知子は思わずにはいられなかった。
沙知子自身はとりわけ社交的なタイプではないも、ママ友が皆無というわけではない。
けれども、ママ友となると当たり前だが沙羅を通じての友人だ。気を使うし、使わせてもしまうことは多々ある。
だから、沙羅ちゃんママではなく、沙知子(三十六歳)に戻ることができる時間は、沙知子自身にとってもうれしいひと時である。
これから十年後、二十年後にも、蘭とこうしてたまにランチしたり、お茶したりできたらいいなと沙知子は思わずにはいられない。その頃には、蘭も誰かの奥さんになったり、ママになっているだろうけれども……
沙知子がこれからも蘭との友情が続いてくことを密かに願っているとも知らず、当の蘭はまだ美魔女の話を続けていた。
「それにさぁ、美魔女の人たちって、元々ある程度は美人なわけだし。生まれ持った美貌を磨き上げて、いくつになっても若々しく人生を謳歌していて、女としてランク上感が半端ないよね。見ていると、羨望なのか嫉妬なのか何だか分からない感情がブワワッって湧き上がってくるというか……なれるもんなら、なってみたいよ」
蘭は、美魔女に並々ならぬ羨望と嫉妬を抱いているらしいが、沙知子はそうでもなかった。
自分と同じ時代の同じ国に生を受けた女性たちではあるも、所詮は”別世界”で生きている人たちだ。
沙知子は今の生活――身の丈にあった平凡で慎ましやかな生活――を嫌いなわけではないし、これでいいと考えていた。
2
結婚二年目に夫の達之と沙知子自身の両親の援助もあって購入した一軒家のローンはまだ残ってはいるも、現状は達之の収入だけで赤字になることもなく家計は回っており、沙羅をお稽古事に通わせるほどの余裕もある。
メイクにダイエット、エステ、アンチエイジング等で自分にお金をかけようと思えばかけることができるし、ワードローブだってもっとランク上のものを購入することだってできるだろう。
だが、沙知子の美容費ならび服飾費は人並み程度――この”人並み”程度という基準は現代日本では極めてあやふやで、個人によって差があると思われるも――であり、高級感よりも清潔感を重要視していた。
徒歩十分内のスーパーマーケットに行く時は、フェイスパウダーは薄く、透明マスカラは二度塗りし、チークはほのかに、最後にグロスで唇に色と潤いを添える。
全てプチプラコスメを使って顔を作る。作るという表現には間違いがあり、他人から見ればスッピンとほぼ変わらない。今がまさに青春時代といった大学生の女の子などの方がよっぽどメイクが上手いに違いなかった。
沙知子が全身鏡の前でクルリと一周した時、突き刺すような視線と気配を感じた。
部屋のドアから顔を半分だけのぞかせた沙羅が、こちらを見ていた。
いつからそこにいたのか?
不気味なシチュエーションと生気のない表情に思わず飛び上がりそうになった。
我が子であるはずなのに、一瞬だけ知らない子どものようにも見えてしまった。
「沙羅、今からスーパーに行くんだけど一緒に行く? 一つまでなら、沙羅にお菓子買ってあげるよ」
「……行かない……ママ、その胸、嫌だ。美魔女みたいで気持ち悪い」
出た。まただ。
子どもの言うこと、それも我が子の言うこととはいえ、うんざりしてしまう。
それにこの胸を、おっぱいを飲んで育ったというのに気持ち悪いはないだろう。
沙知子が胸の谷間をたっぷりと強調した服を着ているならまだしも、ラウンドネックのカットソーなのに。
「あのね、沙羅……ママの胸は、他の女の人に比べて大きめかもしれないけど、それはママ自身の力ではどうすることもできないことなの。ママの胸だけじゃなくて、世の中には色んな人がいるんだし、人の顔や体のこととか自分の力でどうすることもできないことを『気持ち悪い』なんて言うの最低なことよ」
果たして、沙羅は分かっているのか、いないのか?
横を向いたまま不貞腐れたように口を尖らしていたかと思えば、顔を上げて言う。
「ママの唇、テラテラ光ってて美魔女みたいで気持ち悪い」
言った側から『気持ち悪い』という言葉をそのあどけない口から吐き出した。
「沙羅は学校に行く前に、顔を洗って髪も梳かしてゴムで二つ結びにするでしょ? ちゃんと身だしなみを整えてから登校するでしょ? ママのメイクも同じことなの。大人の女の人の身だしなみなの。もう一度聞くけど、ママと一緒にスーパーに行く?」
「……ううん、行かない」
踵を返した沙羅のパタパタという足音が家の中に消えていった。
少し塗り過ぎてしまったかもしれないグロスをティッシュで押さえながら、沙知子は胸中に生じた閉塞感の塊がズシリと重みを増すのを感じた。
子育てはやはり難しい。
自分から生まれたも自分ではない人間を一から育てていくのだから当たり前といえば当たり前ではあるも。
思い返せば、お腹の子どもの性別が分かった時、口には出さなかったも、沙知子はうれしいというよりもホッとしたものだった。
沙知子自身も女であるし、三姉妹の次女として姉と妹に挟まれて育った。多少の世代の違いはあれど、年齢に応じて必要になる物や欲しくなるであろう物、さらには女の子同士のトラブルなどは、おおよそのところ想像というか、予測がつく。
未知なる男児を育てていくより、ずっと育てやすいのではないかと思ったのだ。
実際、沙羅は育てやすい子どもであった。
たまに風邪などで体調を崩すことはあれど、持病やアレルギーなどもなく健康。まだ小学二年生なので将来、成績優秀となるかどうかはこれからにかかってはいるも、勉強でも運動でも他の子どもたちに後れを取ることもなく、並以上にこなせている。やや大人しく消極的な性質と言えばそうかもしれないが、情緒面にも問題はなく、お行儀も聞き分けもいい子であったはずなのに。
3
夜。
寝室にて、沙知子は夫の達之に沙羅のことを相談した。
案の定、達之は深刻さを微塵も感じ取ることはなく、「お前が美魔女ねえ」と寝室のベッドに寝転がったまま、アハハと笑った。
笑い声と同時に達之の腹の肉も揺れる。
二才年上の達之は、全体的なシルエットは肥満とは言い難かったが、ここ数年、なぜかお腹だけがポコンと前に出てきていた。そこだけ信楽焼のタヌキみたいだ。
「あー、あの、あれだよ、きっと、聞きかじった言葉を使いたい年頃なんだよ。俺らもそんな頃あったろ?」
蘭とほぼ同じことを達之も言う。
不意に顎に手をやったまま、何かを思い出しているらしい達之。
「ほら、美魔女っていうのは、沙羅の担任の星野(ほしの)先生みたいな人のことを言うんだろ? 俺、去年の運動会で見た時、ビックリしたし。あの人、外見はとても小学校の先生には見えないよな。『四十代になっても現役! 全力で女を頑張ってます』って感じでさ」
「……星野先生、まだ三十代後半だったはずなんだけど」
達之は、”実年齢より遥かに若く見える美人”ではなく、単にメイクが濃くて派手めなファッションでギラギラとした女のオーラをふんだんに漂わせている人――別の言い方をするなら、やや典型的なお水系のオーラを発している人――を美魔女だと思っているらしかった。本当に適当過ぎる。
なお、星野先生はメイクとファッションこそ小学校教師らしからぬほど派手なものの、保護者からの評判は割と良かった。
ただ、ナチュラルで気張っていないメイクやファッションにした方が、もっと若く、そして”綺麗にも”見えるだろうに、とは他のママたちも言っていたし、沙知子自身も思っていたが、完全に余計なお世話なので先生本人に言えるわけがなかった。
達之がふと、沙知子のパジャマ代わりのスウェット越しにも膨らみがはっきりと分かる胸元にチラリと目をやった。
「美魔女もいいけど、俺的にはあと少しだけでも色気が欲しいところなんですけどね、奥さん。いやあ、ホント、胸の大きさと色気って直結しないんだなあ」
自分の体の隅々どころか内部まで知っているこの世で唯一の男に、色気なしの烙印を押され、ほんの少しばかりチクンと心が痛む。
でも、そのことは沙知子も自覚していた。
幸運にも性犯罪に巻き込まれたことはないが、この胸は何かと悪目立ちすることが多かった。
沙知子の場合は、なんというか胸の大きさそのものが原因というよりも、素朴で十人並の顔とバーンと突き出た胸がアンバランスなのだ。
さらに、沙知子はセックスも淡泊だ。
身の毛もよだつほどに嫌いというわけではないも、そう積極的に性の喜びと快感を求めるというわけでもない。
もし仮に『あなたはこれから一生セックスすることはないですよ』と誰かに言われたとしても、『すでに子どもは一人いるし、それならそれでいいかもしれない』とすんなり受け入れられる気がする。
現状も、月に一回程度の性生活を営んでいるも、それほど官能的で濃い時間ではなかった。
パパッと脱いでパパッと済ます時短セックス。
同じ屋根の下に娘がいる――時間は極めて短いとはいえ、父と母がオスとメスになっている場面を沙羅に見られないように気を付けている――ことも理由の一つであるも。
「なあ……」
ベッドに腰を腰かけた沙知子の肩に、達之の手が優しく触れる。
久々というか、”今月分”の夜のお誘いだ。
「ご、ごめんね。ちょっと……」
沙知子はその手をスッと押さえ、さりげなく下ろした。
達之が傷ついた子どもみたいな顔になっているのは、振り返らなくても背中越しに分かった。
4
小学校へと向かう沙知子の足は、意図せずとも早足になってしまう。
今日は授業参観の日でもなければ、保護者会の集まりがある日などでもない。
昨日、担任の星野先生から家に電話がかかってきた。
「沙羅ちゃんのことで、少し気にかかることがありまして……」と。
電話口で聞いた限り、沙羅が問題行動を起こした――お友だちを虐めたり、怪我をさせたり、物を盗んだり壊した――といったわけではないらしい。
応接室へと沙知子は通された。
星野先生と互いに頭を下げ合って挨拶をする前に、星野先生が沙知子の全身に上から下へとサッと目を走らせたことに、沙知子は気づいた。
それはほんの一瞬のことであった。女同士だからこそ、感じ取ることができた視線と言えよう。
「お忙しいなか、お呼び立てして申し訳ございません。最近、ご家庭や沙羅ちゃんの周りで何か変わったことはありませんでしたか?」
「いいえ、特に……あの、沙羅が学校で何か?」
一瞬の間をおいて、星野先生がいかなる時もきっちりと濃く色付けられているであろう唇を開く。
「沙羅ちゃんが、お友だちの花や星の飾りのついたヘアゴムとか、花柄やフリルのついたブラウスやスカートを見て『そんなの着ていると、気持ち悪い美魔女になっちゃうよ』などと言っていたんです」
「す、すいません」
俯いてしまうしかない沙知子の頬にサッと赤みがさす。
やっぱり、あの子は家以外でも「美魔女、美魔女」「気持ち悪い、気持ち悪い」と言っていた。
しかし、それだけで親までをも呼び出すということに違和感を感じる。
顔を上げた沙知子の疑問に答えるように、星野先生が続ける。
「私が気にかかりましたのは、なんだかその時の沙羅ちゃんは美魔女なるものを嫌悪や軽蔑しているというよりも、怯えているように見えたんです」
怯えている?
嫌悪や軽蔑――沙羅はまだこの二つの言葉は知らないだろう――よりも、美魔女に”恐怖”を感じているということか?
「それに、このところ、沙羅ちゃんの様子は明らかに今までと違っていて……休み時間にお友だちと笑いあっている時もないわけではないのですが、いつの間にかお友だちの輪から離れて、暗い表情で何かを思いつめているような時があるんです」
星野先生の教師ならではの勘か?
二年生の児童の様子がおかしい。
考えられる一番大きな要因は、家庭内の急激な変化だ。
両親の離婚や別居、あるいは両親のどちらかに何かのスイッチが入ってしまい、急に派手に着飾るようになったり、家庭外に恋人を作り始めたといった具合に。特に母親の方が『私の人生まだまだこれからよ!』とはっちゃけ始めたか、と。
だが、学校へとやってきた当の母親は美魔女の香りなど微塵も漂わせてはおらず、地味で垢抜けないままだったというオチだ。
「ご家庭以外でもご近所とか、もし沙羅ちゃんを習い事や塾に行かせているなら、その先で問題とかは……」
沙羅の交友関係は、沙知子が把握できる範囲でおさまっている。
沙知子の母も姉妹も姑も、近所の女性たちも、沙羅がよく遊ぶお友だちのママたちも、週一回通っているピアノの先生も、歯医者の先生も美魔女などではなく、皆、年相応の女性たちだ。
美容命、お洒落命、艶やかに、華やかに、女であり続けることをすっごく頑張っています、といった感じの女性は思い出せる限り一人もいない。
よくよく考えてみれば、沙羅の周りにいる大人の女性で、一番派手でお洒落に余念のない人といえば、ぶっちぎりの第一位でまさに今、目の前にいる星野先生である。
双方ともに明確な原因に辿り着けず、沙知子はもやもやとしたまま、小学校を後にすることになった。
沙羅と向き合って話をしなければならない。
だが、その前に……
沙知子はスマホを取り出した。
誰かに相談したい。ママ友の誰かか、それとも自分同様にすでに家庭を持ち母となっている姉か妹かのどちらかに……
5
「……って、なんで子どものいない私に電話してくるかなぁ。さすがにそれは力になれそうもないんだけど」
折り返しかかってきた電話口の蘭の声は、沈んでいた。どうやら、沙知子が最初に電話をかけた時、彼女は面接の真っ最中であったらしい。
今は駅構内にいるらしく、アナウンスと周りの雑踏の音が彼女の急いた声に入り混じっている。
「今から、また別の面接が入ってるの。終わったらまたかけるから」
そう言って蘭の電話は切れた。
結局、沙知子は、蘭の電話番号をタップしていたのだ。
ママ友とはやはり沙羅という子どもを介しての繋がりだ。信用していないというわけではないも、話が大げさに、さらに間違ってママ友間に広まっていく可能性も無きにしも非ずだ。
思えば、大学時代からいつも蘭に頼ってしまっていた。
蘭はいわゆる姉御肌のリーダータイプではない。だが、どこか安心できる存在で、大学時代から沙知子は数えきれないほど蘭に愚痴や悩みを聞いてもらった。
達之からのプロポーズを受けるべきかどうかも、蘭に相談したものであった。
折り返しかかってきた蘭の電話は、思いもよらない”怪情報”を沙知子へともたらした。
「え……女の変質者?」
蘭の元同僚の女性の子どもが隣町の小学校に通っているらしい。その近隣で、女子児童のみをジロジロ嘗め回すように見てくる変な女がいると噂になっているのだという。
「変質者って、普通は男じゃないの?」
「沙知子が知っていることだけが世の中の全てじゃないんだって。このご時世、おかしな奴に男も女も関係ないの」
「その女って、どんな女なの?」
「物凄い不細工で不幸そうな女よ。あり得ないぐらい面長で、痩せぎすで死人みたいな顔色なのに、唇だけ似合ってもいないのに真っ赤に塗りたくっちゃってさ。長い髪も不潔っぽいの。なんていうか、湿った不潔っぽさというよりも、”乾いた不潔っぽさ”というか……それにね、世の中の全てを呪っていそうな邪悪なオーラが全身から滲み出ているのよ。なんというか、夜な夜な丑の刻参りをしていそうな女なの」
オカルトにそう造詣が深いわけではないが、丑の刻参りぐらいは沙知子とて知っている。
蘭から話を聞いただけでも、その件(くだん)の女の真っ赤に塗りたくられた唇が、その唇から放たれる生臭い息までもが、電話口を介して聞こえてくるようであった。木に藁人形を五寸釘で打ち込んでいるカーンカーンという音までをも、沙知子の想像力は届けてきた。
「…………その人って本当に生きている人間なの?」
「当たり前でしょ。こんな時にボケないでよ。そいつ、公園の近くのいつの時代の遺物ですかってボロボロの一軒家に一人で住んでるし。幽霊に住民票はないっていうか、幽霊なんかいるわけないでしょ。生きている人間こそが怖い世の中なんだから」
女子児童のみをジロジロ嘗め回すように見てくる不気味な女。
もしかしたら、星野先生も隣町の小学校近隣でそんな変質者がいるという噂を耳に入れていたのかもしれない。
学校から帰宅した沙羅――母が自分のことで担任の先生に呼び出されていたことなど知らない沙羅――は、沙知子を見るなり、ハッとして頬を強張らせた。
「ママ、家にいるのに何でそんなにお洒落しているの?」
「おばさんなのに、スカートから膝出さないで」
そして、お決まりの「美魔女みたいで気持ち悪い」をランドセルを背負ったまま言い放ってきた。
「……沙羅、手を洗っておやつを食べる前にママとちょっと話をしようか。沙羅は学校から帰る途中に……ううん、学校から帰る途中でなくても、変な人に会ったりしなかった?」
沙知子は、こういう問い方しかできない自分が情けなかった。
いくら小学校低学年の子どもとはいえ、勘のいい子なら気づくだろう。
下を向いたまま、沙羅は黙り込んでいた。華奢な肩どろこか、沙羅の全身が震えていた。
「知らない! 知らないよ! そんな”おばさん”に話しかけられたりなんてしてないもん!」
変な人が”おばさん”かどうかなんて言ってないのに。
話しかけられたかなんても、まだ聞いてもいないのに。
ワッと火がついたように、沙羅は泣き出した。
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